宗次郎にとって、歳三は謎の男だった。
時折、ふらりと試衛館に現れては近藤と話し、すぐまたいなくなってしまう。遊び好きだとか、仕事嫌いだとか、何にもやる気がないとか、さんざんな噂しか聞いた事がない。
だが、近くで見た時、びっくりしたのだが、男は、息を呑むほど綺麗な顔をしていた。澄んだ黒い瞳がまるで夜の闇のようで、形のよい唇にうかんだ笑みに、ぼうっと見惚れてしまった事を覚えている。
とは云っても、宗次郎は歳三と話をした事もなかった。遠目に近藤と話している姿を、幾度か見かけただけだ。
だからこそ、驚いた。
突然、「俺のものになっちまわねぇ?」と云われた時は。
「……は?」
びっくりして見上げた宗次郎を、歳三は無表情で見下ろした。
とても、そんな事を告げた男の顔とは思えない。
だが、確かに彼は云ったのだ。
俺のものになっちまわねぇ? と。
「それは……何かの遊びですか?」
訊ねた宗次郎に、一瞬、歳三は顔を歪めた。だが、すぐに片手で顔をおおうと、低く喉奥で笑う。
「遊び、か」
「あの……?」
「いや、そう思われても仕方ねぇな」
歳三は小さく呟くと、黒い瞳で静かに宗次郎を見下ろした。そうして、また言葉をつづける。
「宗次郎、俺のものになっちまわねぇ?」
「……」
唖然として言葉も出なかった。
宗次郎も、もうすぐ元服だ。それなりに色々と恋の話なども聞いた事がある。
この男が云っている「ものになる」という意味がわからない訳ではなかった。
だが、頭で理解しても、気持ちがついていかない。
黙り込んでしまった宗次郎に、歳三はちっと短く舌打ちした。
はっとして顔をあげれば、視線をそらしている。懐手しながら、「……無理に決まっているんだよ」と低く呟いた。
それに「え?」と聞き返した宗次郎に、歳三はため息をついた。
「悪かった、変な事を云って驚かせちまったな」
「あ、あの」
「冗談だ。ちょっと悪ふざけしただけさ。悪い、忘れてくれ」
そう云うと、歳三はさっさと踵を返した。着流している紺色の着物の裾をひるがえし、足早に歩み去っていってしまう。
宗次郎は呆然としたまま、男の背中を見送った。
何が何だかわからないが、結局は、先ほど云ったとおり「悪ふざけ」という事だったのだろう。
「……」
宗次郎は持っていた箒をぎゅっと握りしめた。
そして、混乱する気持ちのまま、掃除のつづきを始めたのだった。
――――それが、数年前の出来事。
ふっと目が覚めた。
総司は布団の中で目を開いたまま、天井を見上げた。
懐かしい夢を見たと思う。
あんな昔のこと、今でも鮮明に覚えているなんて、よほど衝撃だったに違いない。
何しろ、いきなり「俺のものになっちまわねぇ?」なのだから。
いかにも遊び慣れた男らしい言葉だったが、今、新選組副長として振る舞っている男の姿からは、想像もできない。総司が今、話しても、誰も信じないだろう。
まさか、あの副長がそんな悪ふざけをするなどありえぬと、一笑にふされてしまうに違いなかった。
だが、それは不思議でも何でもない。土方自身が変わったのだ。まるで別人になってしまったように。
言葉使いや云いまわし、態度、表情、すべてが変わった。
今の土方に、自堕落に日々を過ごしていた遊び人の面影はどこにもない。見惚れるほど端正で精悍な容姿をもちながら、冷徹な副長として振る舞う男がいるのみだ。
驚くほどの変わりようだった。まるで別人になったとしか思えない。
そのため、総司にとって、土方は相変わらず謎の男だった。そんなふうに自分をがらりと変えることが出来るなど、並大抵の男では出来ないだろう。彼の中にある底知れぬさが怖いとさえ思った。
京にのぼってから、土方は新選組副長、総司は一番隊組長となったが、公でも言葉を交わす事はほとんどなかった。ましてや、私的な会話など全くない。仲が悪い訳でもないが、ただ、あまり親しくないという程度の関係だ。
「……起きなくちゃ」
総司は小さく自分に声をかけると、身を起こした。着替えをしてから井戸端でばしゃばしゃ顔を洗っていると、斉藤が声をかけてきた。
「おはよう」
「あ、おはようございます」
同じ年の友人に丁寧に挨拶する総司に苦笑しつつ、斉藤は話しかけた。
「今日、一緒に出掛けないか」
「え?」
総司は驚いて、斉藤を見上げた。それから、ちょっと小首をかしげてから、訊ねる。
「どこへですか」
「色々と。桜を見るにもいい季節だろうし。何か、おまえ、行きたい処あるのか」
「行きたい処……そうですね、お団子が食べたいです」
「よし、奢ってあげましょう」
斉藤にしては珍しく軽い口調に、総司は花が綻ぶように笑った。おとなしい総司にしては、珍しく明るい笑顔だ。
「ありがとう、斉藤さん」
「これぐらいで、そんなに喜ぶかねぇ」
「だって……嬉しいのです。斉藤さんが誘ってくれた事も、お団子も」
なめらかな頬を染めて笑う総司は、花のように綺麗だ。
それに一瞬見惚れてから、斉藤は慌てて視線をそらした。華奢な躰を抱きしめそうになってしまったのだ。
さり気なく躰を引き離しながら、言葉をつづけた。
「じゃあ、後でな」
「はい」
こくりと頷いた総司に手をあげ、斉藤は踵を返した。だが、そのとたん、ぎくりとしてしまう。
少し離れた場所にある渡り廊下に、一人の男が佇んでいたのだ。こちらに鋭い視線をむけている。
斉藤が気づいた事を知ると、男はすっと視線を外した。そのまま黒い着物の裾をひるがえし、歩み去ってゆく。すっとのびた背が凛として、涼やかだ。
「……」
そっと窺ってみたが、総司はまるで気づいていないようだった。手拭いで顔をぬぐっている。
その事に安堵を覚えながら、斉藤はため息をついたのだった。
桜より団子が先になった。
花見に行く途中、おいしそうな団子屋を見つけ、総司がそれにつられてしまったのだ。
「本当に、花より団子だな」
呆れたように云う斉藤に、総司は「ごめんなさい」と謝った。
「でも、本当においしそうで。斉藤さんも、おいしいと思うでしょう?」
「まぁな」
斉藤は、緋毛氈を敷いた台の上にならんで坐る総司を眺めながら、今朝がたのことを思い出した。
あれは土方だった。
鋭い視線をこちらに向けていたのは、確かに土方だったのだ。
その意味はよくわからない。最近、隊内で流行っている男色を杞憂したのか、何を遊んでいると眉を顰めていたのか。
それとも……
(まさか、な)
斉藤から見ても、総司は確かに綺麗だ。おとなしくて控えめな処がまたいいし、気立てもよく、優しい。
だが、土方にその気があるとは到底思えなかった。何しろ、二人はほとんど言葉もかわした事がないのだ。なのに、そんな二人の間で、想いが育つとは到底考えられない。
しかも、土方は江戸にいた頃から、傍にいつも美しい女がいた。女の方が放っておかないのだ。それは京に来てからも同じで、祇園や島原で大層な人気だと聞いている。
そんな男が、総司に心惹かれるとは思えなかった。この時代、確かに男色は忌むべきものではないが、初めから全くそれを受け付けない男もいるのだ。
(もっとも、総司だってわからないが)
斉藤はちらりと総司を眺めた。
傍らに坐っている総司は、儚げな白い花のようだった。
さらさらした絹糸のような黒髪に、大きな瞳。長い睫毛が翳りをおとす、なめらかな頬。ふっくらした桜色の唇は、まるで可愛い蕾のようだった。
そこらの小町娘も顔負けの美しさは、今も前を通る男のほとんどがふり返っていくほどだ。当然、少年だとわかっている。何しろ、総司は地味な色合いの着物を身につけ、刀まで下げているのだ。
だが、もしも華やかな着物を纏えば、もっと可憐になるのは間違いなかった。
もっとも、こんなにも綺麗な総司でも、男の恋人はいなかった。というか、嫁取りの話まで最近は持ちあがっているらしいのだ。
それを聞いた時、斉藤は正直な話、逆だろうと思ったが、よくよく考えてみれば、世間的にはその方が普通だ。
総司に昔から片恋している斉藤とすれば、悲しい限りだが、まだ男に獲られるよりはましだと、最近は友人という位置を維持しつづけている。
下手に告白などして、友人としての位置さえ失ったら、たまったものではないからだ。
「縁談、どうなっているんだ」
不意にそう訊ねた斉藤に、総司は「え?」と目を見開いた。
きょとんとした顔で、斉藤を見ている。それに苦笑し、くり返した。
「おまえの縁談だよ。どうなったのかなと思って」
「あ、縁談……」
総司は思い出したように、こくりと頷いた。
「よくわかりません。まだお相手の事さえ、聞いていませんし」
「縁談があるって話だけか」
「そうなのです。まずは逢ってみなさいと云われているんですけど……」
近藤に勧められた縁談だった。だが、総司にすれば、今はそれどころではないのだ。隊の仕事もあるし、自分自身の病のこともある。そんな自分に縁談など、考えられなかった。
「あまり気がすすまないみたいだな」
「えぇ……」
目を伏せた総司に、斉藤は鳶色の瞳をむけた。しばらく黙ってから、訊ねてみる。
「もしかして……おまえ、好きな人がいるのか」
「え」
ぱっと総司が顔をあげた。その目は大きく見開かれている。
それに、斉藤は胸を刺し貫かれるような痛みを覚えた。
「……いるんだな。おまえ、好きな人がいるんだ」
「い、いませんよ! そんな」
慌てて手をふる総司だが、ひどく動作もぎこちないし、頬も真っ赤になってしまっている。
完全に動揺していた。それに、斉藤は焦げ付くような嫉妬を覚えたが、一方で仕方のない事だと思いもしていた。総司も二十歳をすぎているのだ、恋ぐらいして当然の事だろう。
「そろそろ行きましょうか」
団子を食べおわった総司は立ち上がった。それに斉藤も頷き、歩き出す。
桜の花は満開で、そのためか、大層な賑わいだった。人も多く、屋台からの呼び声もあり、少しくらくらしてしまう。
(でも、綺麗……)
総司はうっとりと桜の花を見上げた。
淡い青の空に、きれいな桜の花がとてもよく似合っている。ふわりと時折、舞い散る花びらも柔らかで夢のような世界だった。
その心地よさに総司はぼんやりと歩いていたが、ふと、ある事に気づいて目を見開いた。
「……あ、れ? 斉藤さん?」
気が付けば、どこにも斉藤の姿はなかったのだ。完全にはぐれてしまったのだろう。
総司はちょっと考えてから、仕方ないやと思った。そのうちまた逢えるだろうと、前向きに考え、また歩き出す。
そのとたんだった。
「――そこの人、見ていかへん?」
店の一つから声をかけられ、総司は驚いてふり返った。見ると、総司の茶飲み友達でもあるお久実がにこにこしながら立っている。
「お久実ちゃん」
総司が声をあげると、お久実はにっこり笑いかけた。もともとは老舗の呉服問屋の娘なのだが、手代と恋仲になり、修行のためと古着屋を商う小さな店を開いている。可愛らしい小町娘でもある。
「お花見、一人で来はったん?」
「ううん、違うんだ。けど、はぐれちゃって」
「ふうん……あの人と?」
悪戯っぽい瞳で訊ねるお久実に、「え?」と総司は目を見開いた。だが、すぐに「あの人」が誰をさしているかに気づき、慌てて首をふる。
それに、お久実が首をすくめた。
「残念、成就したかと思ったのに。でも、総司さんが誘われる処、見てはったんやろ?」
「さぁ……わからない」
「そやったら、ここに来てはるかも」
くすくす笑ったお久実は、不意に、総司に一つの着物をさし出した。びっくりした顔の総司に、云う。
「これ、買わへん? お買い得やよ」
「え?」
思わず目を瞬いた。
確かに、古着とは思えないほど綺麗な着物だ。桜色の地に紅の花を散らした綺麗で上品な小紋だった。だが、どう見ても、それは女物だ。
「誰かに贈れってこと?」
「まさか。総司さんが着るんやよ、よう似合うやろし」
「か、からかわないで」
「ちょっとした遊びやん。買って云わへんから、一度着てみぃひん? うち、前から着せてみたいなぁて思てたんよ」
「何を云って……」
思わず後ずさってしまった総司の手を、お久実はぐいぐい引っ張った。
四半刻後、総司は桜の樹木の下を歩いていた。
だが、先ほどとは全く違う姿形だ。ものの見事に、美しい少女になっていた。
桜色の小紋に、色の濃い朱の帯を締めている。花柄の飾り襟がとても愛らしく、白い肌によく映えた。
帯も草履も皆、お久実に貸してもらったものだ。髪だけはどうしようもなかったので、項の後ろで一つに束ねて流しているが、それがまた浮世離れしていて愛らしい。
当然、すれ違う男たちは皆、ふり返っていくが、総司は恥ずかしくていたたまれなかった。
(絶対、おかしいのに。こんなの……っ)
お久実には色々といつも相談にのってもらっている事もあり、つい従ってしまったが、早くも後悔し始めている。
半刻ぐらいは散策してくれば? と云われていたが、冗談ではない、さっさと戻ろうと思っていた矢先だった。
「――へぇ、別嬪の一人歩きか」
はっとして見上げると、いつのまにか、酔漢らしい男たちに囲まれていた。
にやにや笑いながら、総司を取り囲んでくる。
それを、総司は大きな瞳できっと睨みつけた。
「何かご用ですか」
声を出しても、娘だと疑われなかった。もともと、総司の声は高めなのだ。そのため、女性としては低い声になるが、区別がつきにくい。
「もちろん、用があるから声をかけたのさ」
げらげらと男たちは笑った。酒臭い。
不快さに細い眉を顰め、総司は傍をすり抜けようとした。とたん、手首を掴まれる。
「離せ……!」
「これは、じゃじゃ馬だ」
生憎、刀はお久実に預けてしまっていた。それを悔やみつつ、必死に男の手をもぎ放そうとするが、びくともしない。
「ちょっとつきあえよ。暇なんだろう?」
「いやだ、離せ……っ」
抗うが、男たちの力は凄まじい。多人数で囲まれ、そのまま引きずられてしまう。
もう駄目かと思った、その瞬間だった。
「……やめろ」
背後から低い声がかけられた。
怒りを押し殺した、だが、それだけに凄みのある声音だ。
男たちは総司を抑え込んだまま、ふり返った。
「何だと……?」
「酔漢か。酔った上で娘に無理強いとは、見苦しい限りだな」
侮蔑にみちた声音は、まるで鞭うつようだった。
だが、それは聞き覚えのある声だった。
「――」
おそるおそる見上げた総司は、そこに佇む男の姿に息を呑んだ。
すらりとした長身に黒い着物を着流し、懐手をして悠然と立っている。端正な顔にうかんだ冷笑は、綺麗だが、ぞっとするほど凄みがあった。
黒い瞳がまっすぐ総司を見つめている。
(……土方さん……!)
突然、現れた新選組副長の姿に、総司は目を見開いた。
いきなり、お約束の展開です〜(笑)。