「歳!」
 思わず叫んだ近藤に対し、土方は平然と言葉をつづけた。
「公的に処刑する訳にはいかねぇから、秘かに始末しちまうか」
 そう呟いてから、にやりと口角をあげてみせる。
「安心してくれ、近藤さん。やる時には、俺自身が手を下すからさ。あいつを他の誰にも殺させたりしねぇよ」
「そういう事ではないだろう!」
 近藤は声を荒げた。
「おまえは本気で、総司を殺すつもりなのか。愛しているのではないのか」
「愛しているさ」
 当然のように、土方は答えた。綺麗な顔に、優しげな笑みをうかべる。
「この世の何よりも、総司を愛している。あいつは俺の宝物だ」
「だったら、どうして」
「それを聞くのか?」
 不思議そうに、訊ねた。
「あんただって、俺が殺すかもしれないと思ったんだろ? なら、聞く必要もねぇ事だろうが」
「……」
 黙り込んでしまった近藤に、土方は切れの長い目をむけた。微かに喉奥で笑うと、手をのばし、近藤の膝をかるく叩いた。
「そんなに心配しなくても、面倒はおこさねぇよ。俺だって莫迦じゃねぇ。自分の立場ぐらいわかっているさ」
「本当だろうな、歳」
「案外、信用ねぇんだな、俺って」
 少し拗ねたように云ってみせる土方に、近藤は嘆息した。
「信用など、あるはずがないだろう。総司の事になると、おまえの考えは全くわからん」
「ふうん」
 土方は己の唇を指さきでふれながら、呟いた。
「なら、俺がこれから何をしようと思っているのか、あんたにはわからねぇ訳だな」
「……おい、歳」
「何だよ」
 江戸の頃のような口調で、土方は聞き返した。何を思ったのか、黒い瞳が愉悦と興奮にきらきらしている。
 それを、近藤は恐ろしいものでも見るように眺めた。だが、結局は何も云うことが出来ず、口を閉ざしてしまう。
 土方はそんな友を一瞥してから、腰をあげた。書類を手に、悠然と部屋を出ていく。
 局長室を出た土方は、表情をあらためた。
 もはや、そこにいるのは、江戸で気儘に振る舞っていた若い男ではなかった。血も涙もないと噂される、冷徹な新選組副長だ。
 好きなことを近藤の前で吐いた土方だったが、己の立場の複雑さを誰よりも理解していた。
 そして、己自身の気持ちも。


 総司を奪い返したかった。もう一度、この腕に抱きしめたい。
 だが、それがもしも叶わぬのなら、殺してしまいたかった。他の誰かのものになるぐらいなら、この手にかけてしまうべきなのだ。
 どれ程の快感だろう。あの細い躰を犯すよりも、より甘美な悦楽に違いない。
 むろん、土方もよくわかっていた。総司をこの手にかけるなど、常軌を逸した行為であり、彼自身の破滅にもつながる事を。
 だが、土方にとって、総司は愛する恋人だった。この世の何よりも、大切な宝物なのだ。
 その愛の深さ、激しさを、誰も知らない。愛されている総司自身でさえ、男の狂気じみた愛に、まるで気づいていないようだった。
 だからこそ、あんなふうに無邪気でいられるのだ。


(俺が……傷つかないと、本気で思っているのか)


 腹の底からどす黒い怒りがこみあげた。
 だが、それを土方は奥歯を食いしばるようにして、抑え込んだ。
 矜持の高い彼には、表に出して発散するなど出来ぬ話だったのだ。だが、表に出せぬからこそ、昏い炎を燃え上らせる。
 その手から総司が逃げたことで、愛情は消えるどころか、より深く激しくなっていた。執着も情愛も、今では狂気と正気の境界ぎりぎりまで来てしまった。自分でも、いつ暴発するかわからぬのだ。


(情けねぇ、この俺がなんてざまだよ)


 土方は己の不甲斐なさに舌打ちし、副長室に戻った。
 途中、庭先の方から、総司のものらしい明るい笑い声が聞こえてきたが、聞こえぬふりをした。でなければ、到底、己を保てそうになかったからだ。
 部屋に入ると、すぐさま斉藤が訪れてきた。それに、また舌打ちしたくなる。
「……おまえか」
「随分な云われ様ですね」
 斉藤は肩をすくめると、不機嫌そうな土方に構わず、副長室の畳の上へ腰を下ろした。それを無視し、土方は文机の前に座る。


 思えば、もともと、土方から総司を奪おうとしたのは、斉藤だった。
 京へ上る直前も、総司を連れて逃げまでしたのだ。
 だが、京へのぼってから、斉藤はそういった素振りを一切見せなかった。おそらく、ものわかりのいい友人としての立場を保った方が、自分のためにも、総司のためにも、良き方へ向かうと判断したのだろう。
 むろん、土方にとって、斉藤は今でも邪魔な存在だった。総司の心が自分以外に向けられるのは、許せぬのだ。
 だが、今、総司の心は、彼のもとにさえない。


「総司をよく手放しましたね」
 思ったとおり、総司の話題だった。
 それ以外で、斉藤が自ら副長室を訪れるなど、ありえぬのだ。
 土方は背をむけたまま、答えた。
「おまえには関係ねぇだろう」
「関係ありますよ。おれにとって、総司は大切な友人です。幸せであることを望むのは、当然じゃないですか」
「つまり、おまえは」
 ようやくふり返ると、土方は鋭いまなざしを斉藤に向けた。冷笑が口元にうかべられる。
「俺から逃れられた総司は幸せだと、云いたいのか」
「そうだと、良かったんですがね」
 意味深な斉藤の言葉に、土方は眉を顰めた。
「どういう意味だ」
「さぁ? とにかく、今の総司が幸せだとは思いませんよ。もちろん、あなたから逃げ出した事は、正しいです。あのまま束縛しつづけていたら、総司は駄目になっていた。何も自分で考えることが出来ぬ、子供のままだったでしょう。自由になった総司は、おれから見ても、大人として成長している。綺麗になったなと思いますよ」
「なら、何も云う事はねぇだろう。俺から逃れ、大人になれて万々歳じゃねぇか」
 まるで吐き捨てるような口調だった。
 それきり懐手をし、黙り込んでしまった土方を、斉藤は珍しいものでも見るように眺めた。
 実際、珍しかったのだ。これ程、己の感情を露わにした土方など見た事がなかった。だが、それほど、総司を愛しているという事なのか。今も尚、誰よりも愛しているに違いない。
「土方さんは……総司を取り返すつもりなのですか」
 思わず訊ねた斉藤に、土方は切れの長い目をあげた。冷たく澄んだ黒い瞳が斉藤を見つめる。
 あまりにも当然の事を聞かれたと、云わんばかりの表情に、斉藤は「すみません」と謝ってから、言葉をつづけた。
「オレは、あなたが総司を取り戻そうとするのなら、それに反対はしません」
「ほう」
「総司を殺されるよりは、余程ましですから」
「……」
 土方の目が、すうっと細められた。形のよい唇が微かな笑みをうかべる。
 短い沈黙の後、低い声が囁くように訊ねた。
「俺が……総司を殺すとでも?」
「そうではないのですか。あなたは、総司を奪われるぐらいなら殺す。そういう人だ。だからこそ、おれは総司をあなたから引き離そうとした。でも、今回、あなたは何も動かない。伊東先生と仲睦まじくしている総司を見ても、知らぬ顔をしているだけだ。皆は、あなたが総司に飽きた故だと云っていますが、おれはそうは思わない。逆に、恐ろしいと思っている」
「恐ろしい?」
 土方は、わざとらしく驚いてみせた。くっくっと喉を鳴らして嗤う。
「何もしない俺が、どうして恐ろしいんだ」
「心底恐ろしいですよ。自分から逃げ出した総司を眺めながら、あなたが何を思っているのか。考えると、背筋がぞっと寒くなります」
「ひでぇ云われようだな」
 肩をすくめ、土方は文机に頬杖をついた。そうしながら、斉藤を切れ長の目で見やる。
「俺は今、別に何もしてねぇだろう。いったい、何を思っていると云うんだ」
「わかりません。いや、わかっても口にしたくない。恋人に裏切られた男がどんな行動をとるかなんて、おれには想像もつきませんから」
「……」
 冷たく澄んだ黒い瞳で、土方は斉藤を眺めた。だが、急に興味をなくしたらしく、ふっと視線をそらすと、文机に向き直った。書類をとりあげながら、低い声で云う。
「無駄話はこれまでだ。俺も仕事がある」
「……わかりました」
 一瞬、何か云いかけたが、拒絶するような男の背に、おとなしく引き下がることにした。
「お時間をとらせ、申し訳ありませんでした。副長」
 丁寧に頭を下げると、斉藤は副長室を出た。静かに障子を閉め、歩み去ってゆく。
 総司のことが心配で訪れた副長室だった。だが、土方と言葉をかわした事で、斉藤の中のあった不安はいや増しただけだった……。












 表面上、日々は穏やかに過ぎていった。
 広い西本願寺の屯所の中で、土方と総司が互いに顔をあわす事は少なかった。打ち合わせの時には当然、顔をあわすが、事務的な会話しか交わしたことはない。
 土方は総司などまるで眼中にないように振る舞い、総司も土方の傍へ寄ることもなかった。
 逆に、伊東と過ごす時は急速に増えていった。伊東は、念兄弟になることを断った総司に、怒りも焦りもしなかった。ただ静かな表情で頷き、受け入れてくれた。それに総司は心から感謝した。
 自分が今度は、土方でなく伊東に甘えている事はわかっていた。だが、伊東の傍であれば、自分を見直すことが出来る気がしたのだ。
 ある意味、あまりに総司は土方を愛しすぎていた。総司の世界は、喜びも怒りも悲しみも愛さえも、土方だけで占められていた。すべてが、彼ゆえだった。総司の涙も笑顔も、何もかも。
 そんな土方から離れることは、自分を見直すいい切っ掛けだった。どんなに淋しくても、自分が一歩踏み出すためには必要な事なのだ。
 総司は、何度も何度もそれを己に云いきかせた。云いきかせることで、土方を思い切ろうとした。
 土方も最近では、総司をまるで他人のような目で一瞥するのみだった。彼の中で、総司との日々は終わってしまったのだ。もはや過去の事なのだと、思い知らせるような冷たいまなざしだった。
 それが総司には辛く悲しかったが、これも自分が望んだ事だと堪えた。
 そんなある日の事だった。
 一つの事件が起こったのだ。












「松原さんが……?」
 総司は細い眉を顰めた。
 それに、伊東は静かな声で云った。
「どうやら屯所に戻ってきていないようです。門限を過ぎても戻らないと聞きました」
「……」
 総司は黙り込んでしまった。
 伊東の部屋だった。そこで様々な書物を見ながら話していると、ふと思い出したように伊東が云ったのだ。
 松原のことを。


 総司にとって、松原は、以前は四番隊組長だという存在でしかなかった。だが、最近、降格された松原について、ある噂が囁かれていた。自分が殺した男の妻を囲っていると。
 それを聞いた時、総司は何ともいえぬ気持ちになった。別に松原を侮蔑したのではない。人には様々な事情、情愛があることを、自らの経験からよくわかっていた。
 ただ、切ないと思ったのだ。その囲われているという女性の事だった。
 夫が殺され、頼るものとてない世の中で、親切にしてくれる男がいれば流されてしまう事もだろう。だが、それを世の人々は非難するのか。不貞だと囁くかもしれない。
 ならば、自分はどうなのか。土方という庇護がありながら、あんなにも愛されていながら、その敵である男の元に逃げ込んだ自分は……?
 不貞、ではないのだろうか。


(あの人の妻でもないのに、こんな考え方、おかしいよね)


 総司は思わず小さく笑った。それに、伊東が小首をかしげる。
「どうしました」
「いえ、何でもありません。それより、松原さん……誰か様子を見に行った方がいいんじゃないのですか?」
「きみにお鉢が回ってくるかもしれませんよ」
「まさか。来ても、お断わりします。私はそれほど親しくないし、それに……」
 云いかけた時だった。遠くざわめきが響いてきた。
 何か事があったようだ。伊東と黙って外の様子を聞いていると、やがて、篠原が部屋に入ってきた。強張った表情をしている。
「聞かれましたか」
「何をです」
「松原君のことです。彼、心中を図ったようです」
「――」
 さすがに伊東も驚いたようだった。僅かに目を見開いている。その傍で、総司は驚きつつ、やはりとも思った。帰ってこないという話を聞いて、そんなことにでもなるのではと思ったのだ。
「理由は」
「降格が理由でしょう。土方副長もかなりきつい事を云ったようですし」
「なるほど」
 伊東は腕を組みながら、目を細めた。篠原の話に、総司はじっと唇を噛みしめた。
 これで、土方に非難が集中するのは当然のことだった。
 松原が生きている間は、不義密通だと非難していた隊士たちも、彼が死んだとなれば、その死へ追いやった男である土方を非難するだろう。
 もっとも、土方はどんな非難を受けても平然としているに違いないし、その立場がゆらぐ事もない。ただ、問題は、今後の隊内の争いだった。
 今、伊東のもとに隊士たちは集まりつつある。松原の死で、それが加速するのは目に見えていた。
 篠原が出ていった後、伊東は鳶色の瞳を総司にむけた。僅かに小首をかしげるようにして、問いかける。
「……彼が心配ですか」
「え?」
 顔をあげた総司に、伊東は微かに笑った。
「心ここにあらず、ですね」
「……」
「まぁ、いい。私はこれから所用で外出しますが、きみはどうしますか?」
「部屋に戻ります。お邪魔致しました」
 丁寧に頭を下げると、総司は伊東の部屋を出た。自室への廊下を歩きながら、つらつらと考え込んだ。


(土方さんは、どうするつもりだろう……)


 伊東の行動は目だち始めている。もはや、土方と対立している事は明らかだった。同じ年齢、同じような力量の男が、並び立っているのだ。対立せぬはずがなかった。その上、総司の事もある。
 そこまで考え、総司は微かに笑った。自惚れているなぁと思ったのだ。もはや、土方の中には総司の存在などあるはずもなかった。無関係の話なのだ。
「私だけなのかな……いつまでも囚われているのは」


 伊東の傍で過ごす日々は、楽しかった。
 新しい世界を知ることが出来たし、伊東は、総司を個々の存在として扱ってくれた。決して甘えは許さぬが、そのかわり、総司の意思を認めてくれているのだ。
 それが何よりも心地よかった。
 だが、一方で、たまらなく淋しくなる事もあるのだ。
 土方の逞しい腕、ぬくもり、耳ざわりのいい声。そのすべてを思い出し、身の内が震えるような思いをする事がある。
 それは甘い疼きをともない、総司の心を激しく揺さぶった。


 総司は俯き、きゅっと唇を噛みしめた。ゆるく首をふると、再び歩き出そうとする。
 その時だった。
「……あ」
 思わず声をあげた。
 廊下の向こう側に、今の今まで想っていた土方が佇み、こちらを真っ直ぐ見据えていたのだ。黒い隊服姿がよく似合い、一分の隙もない姿だ。
 黒い瞳に見つめられ、総司は思わず息を呑んだ。



















次で急展開します。お褥シーンもあります。甘甘ですが、苦手な方は避けてやって下さいね。