伊東は仲居に云いつけ、二階の部屋へと案内させた。
もともと話はつけてあったのだろう。小奇麗な部屋には火鉢がおこり、柔らかくあたためられていた。
二人が部屋に入ってしばらくすると、料理が運ばれてくる。どれも、総司の好みを考え、あっさりとした味付けで綺麗な盛り付けの料理ばかりだ。
「おいしそうですね」
嬉しそうに笑う総司に、伊東は微笑んだ。とりあえず食べましょうと、しばらくの間、二人は箸をとりあげた。よもやま話をしながら、料理を食してゆく。
食後、伊東は酒を口に含んだが、総司は茶をもらった。もともと酒は飲めない。
薄く開かれた障子の向こうの光景を、ぼんやりと眺めている総司を、伊東は見つめた。しばらくたってから、静かな声で云った。
「きみは……今、何を思っていますか」
「え……?」
総司は澄んだ瞳で、伊東を見返した。小首をかしげる。
「何を、とは……」
「大変な立場に置かれていることは、きみ自身、わかっているでしょう。でも、きみはこうして私と逢っていながら、何も云わない。逢うこともやめようとしない。何を思っているのだろうと、ふと思ったのです」
小さく笑いながら云った伊東に、総司は目を伏せた。
噂は広まっていた。
それも、相手が伊東である事も知られてしまっている。
副長土方の腹心であるはずの総司の行動に、隊内は波立っていた。何しろ、この間、総長である山南が切腹した処なのだ。新選組内に様々な思惑が飛び交う中での、総司の行動だった。人目をひかぬはずがない。
だが、総司は何一つ弁明しようとしなかった。相変わらず、隊内では土方の傍にあり、そして、時折、伊東とも逢瀬を重ねている。その矛盾した行動は尚更噂を呼んでいるのだが。
「私は、自分でもわからないのです」
総司は湯呑みを置きながら、言葉をつづけた。
「伊東先生はもう……ご存じだと思いますが、私は土方さんの念弟です。そうである以上、土方さんと対立している伊東先生と逢うべきではないと、それもよくわかっています。でも、私は……今の自分が好きじゃない」
「好きではない?」
静かに聞き返した伊東に、総司は頷いた。
「今までずっと、土方さんが思うことは私の考え、土方さんの云うがままに動いていればいいと、そう信じてきました。でも、そんな私は……大人ではない。新選組一番隊組長として戦う時、私は一人の剣士として立っています。でも、自分の行動の基準、思考となると、すべて土方さんまかせなのです。土方さんに頼りきっている。あの人が私に優しいのをいい事に、ずっと頼り……甘えきって来てしまった」
総司は、そっと吐息をもらした。なめらかな頬が紅潮する。
「このままではいけないのです。私は、大人として独り立ちしなければいけない」
「……」
伊東は鳶色の瞳で、総司を注意深く見つめた。
やがて、微かに嘆息すると、低い声で云った。
「私は、きみに初めて会った時、とても不安定な子どもだと思いました」
「不安定……」
「そうです。きみの中のすべてが定まっておらず、揺れつづけているように見えたのです。それは、後から事情を知り、納得できました。土方君がきみを囲いこむようにして育て、きみに自分で考える力をもたせなかった。それ故、きみはとても幸せで平穏だったかもしれないし、子供であるのならそれでよかった」
「……」
「しかし、きみは今や新選組一番隊組長という大幹部だ。きみの行動は、隊内に大きな影響をあたえ、また、きみ自身に心酔している者も多くいる。そうである以上、子供である事は許されないでしょう」
静かで真摯な口調だった。
それを、総司は全身で聞いた。しんと胸にしみわたるようだった。
しばらく黙っていた総司は、やがて、ゆっくりと顔をあげた。深く澄んだ瞳が伊東をまっすぐ見つめる。
「伊東先生は……」
「何ですか」
「新選組を割られるおつもりですか」
「……」
伊東は微かに目を細めた。だが、やがて、低く喉を鳴らす。
「突然の問いかけですね」
「申し訳ありません」
「しかし……たとえ、そうだとしても、私が今、そんなことを明言すると思いますか。土方君の腹心であるきみに」
「では、土方さんの腹心でなくなれば、伊東先生は本心を明かして下さるのですか」
「土方君から離れるつもりですか?」
「わかりません」
総司はぎゅっと両手を握りしめた。
「ただ、私がもしそうしようとしたら……殺されると思います」
あの時のことを思い出し、身をすくめた総司を、伊東は静かに見つめていた。ゆっくりと酒の杯をもてあそびながら、云う。
「土方君は激しい人だ。彼は、逃れようとするきみを決して許さぬでしょう。そして、奪い去る私のことも」
微かに笑ってから、伊東は手をのばした。そっと、総司のなめらかな頬を手のひらで包みこむ。
「前に云いましたね。私は、きみを友人として見ていないと。私にとって、きみは特別です。もし、きみが私のもとへ来てくれるなら、全力で私は戦うでしょう」
「……」
「ただ、これだけは云っておきます。私のもとに来るのなら、子供ではいられません。自ら思考し、行動するきみを、私は望みます」
「伊東先生……」
総司は息をつめた。
この人の傍なら、自分らしく生きられるのかもしれない。
そこには、新しい世界が広がり、そして、愛する男の束縛から解き放たれるのかもしれないのだ。
そう考えた瞬間、総司は、自分がどれほど自由を求めているのか、思い知った気がした。
大声をあげ、どこまでも続く野原の中を駆けてゆくような、そんな解放感だった。どれ程の喜びだろう。何に束縛されることもない。自分で考え、自分で行動してゆくのだ。
何を選ぶのか、何を拒むのか。
誰かを愛するのも、好きになるのも、自分の自由なのだから……。
「!」
とたん、総司は、はっと息を呑んだ。思わず両手で唇をおさえてしまう。
訝しく思った伊東が声をかけてきたが、それさえ耳に入らなかった。
もしも、そうして自由になり、解放された時。
誰を愛することも、己自身で望めるようになった時。
(……それでも、私は、土方さんを愛するの?)
今の総司には、答えることが出来なかった。
小料理屋の前で伊東と別れた後、総司は一人考えに沈みながら屯所への道をたどった。
思い浮かぶのは、土方のことばかりだ。
彼から離れるべきだとわかっていた。でなければ、いつまでたっても、自分は大人になれないだろう。
だが、総司は土方を心から愛していた。自分を束縛してきたにしろ、いつも優しい彼だったのだ。嫌う理由など、どこにもなかった。
なのに、離れなければならないという思いが、胸を重くしている。
「……」
総司は深くため息をついた。
その時だった。
「……随分と憂鬱そうだな」
突然、後ろからかけられた声に、心の臓が跳ね上がった。
目を見開いたまま、その場に立ち尽くしてしまう。
後ろから、ゆっくりと足音が近づき、やがて、静かに肩に手が置かれた。彼が身をかがめ、耳元に唇を寄せたのがわかる。
「どうした、何をそんなに驚いている」
「……土方…さん」
震える声でその名を呼び、総司は、のろのろとふり返った。
薄暗い路地だった。右側には白塗の塀がつづき、左側には雑木林が迫っている。人気は全くなく、しんと静まり返っていた。
その光景の中、土方は佇んでいる。
切れの長い目がまっすぐ総司だけを見つめていた。黒曜石のような、綺麗な瞳だ。
微かな笑みをうかべた唇までも、形よく、美しい。
隊士の誰もが着ている隊服なのに、土方が纏うと、惚れ惚れするほどの艶があった。黒がこれほど似合う男も珍しいだろう。否、闇が似合うのか。
ぬば玉の夜に似た黒い瞳が、総司を見つめた。
「屯所へ帰るところか」
静かな声で訊ねられ、総司はこくりと頷いた。無意識のうちに、片手で袴を握りしめている。
「土方さん…は?」
「俺も今、帰るところだ」
土方はそれきり、総司の傍を通り過ぎた。さっさと歩きだしてゆく。それをぼうっと見送っていたが、やがて、土方が訝しげにふり返っている事に気づくと、慌てて追いかけた。
隣にならびながら、問いかける。
「どこへ出かけておられたのですか?」
「私用だ」
そっけない口調で答えてから、土方は切れの長い目で総司を一瞥した。ふっと微かに笑う。
「おまえも、そうだろう」
「えっ、あ……はい」
「なら、互いに詮索せぬ方がいいだろうな」
そう云った土方を、総司は大きな瞳で見上げた。二人きりなのに、どこか他人行儀な表情の彼を見ていると、何ともいえぬ気持ちがわきおこってくる。
気がつけば、両手を握りしめていた。
「土方さんは……気にならないのですか?」
立ち止まり、叫ぶように云った。
「私が何をしているのか、誰と逢っているのか、もう知っているのでしょう?」
「……」
土方は無言のまま、ふり返った。足をとめ、じっと総司を見つめている。
その冷静な様子に、尚更、苛立ちを覚えた。彼にとって、いつまでも自分は子どもなのかと思うと、みじめで情けなくてたまらなくなる。
「あなたは何も云わないけれど、でも、それは私を大人として認めているからじゃないんだ。何か思惑があって、私を放っている」
そう云ってから、総司は自分の言葉に、はっとした。
もしかして、と思ったのだ。
土方は、自分を伊東派への間者とするつもりなのか。使い勝手のいい駒として動かし、伊東の思惑を探らせようと思っているのだろうか。
「もしかして……私を間者にするため?」
総司は、掠れた声で訊ねた。
まさかと思いつつ、縋るような気持ちで土方に問いかける。
それに、土方は微かに目を見開いた。一瞬、その端正な顔に怒気が走る。
だが、すぐにそれを抑え込むと、冷ややかな口調で云い捨てた。
「おまえを間者に?」
「……」
「そんなもの、子供のおまえに務まるものか。伊東に食われちまうのが関の山だろう」
「土方…さん」
「俺がおまえを放っているのは、まだ手出しする程の事じゃねぇからだ。まぁ、おまえが伊東と寝たとでもなれば、話は別だがな」
「そんな関係じゃありません!」
総司は、かっとなり、叫んだ。
「伊東先生とは、そんな……ただ逢って、お話をしているだけです」
「なら、俺がどうこう云う事じゃねぇだろう。それとも何か、おまえは、俺に疚しいという気持ちがあるのか。だからこそ、こうして云ってくるのか」
「……」
思わず黙り込んでしまった。
確かに、土方の言葉どおりなのだ。疚しさや罪の意識があるからこそ、何も云わない土方に苛立ちを覚えたのだ。
それが我儘だとわかってはいる。相変わらず、子供のように甘えているのだと。
だが、総司は云わずにはいられなかった。
知らぬ顔で日々を過ごしていくことが、我慢できなかったのだ。
「……疚しさは、あります」
小さな声で答えた総司に、土方は鋭い視線をあてた。
「土方さんと敵対している伊東先生と逢っているのです。当然、疚しさはあります。それに、私は……土方さんから離れたいと望んでいるのです」
「……」
とうとう云ってしまったと、思った。
どんな反応が返ってくるのか、わからない。今度こそ、殺されるかもしれなかった。だが、云わずにはおられなかった。己自身の感情が、もはや引き返すことのできぬ処まで来てしまっているのだ。
「私を、土方さんのもとから離れさせて貰えませんか。これからは、自分の道は自分で決め……」
「俺から離れる、か」
土方が低い声で呟いた。ゆっくりと歩み寄ってくる。
思わず身をすくめた総司をしばらくの間、見下ろしていたが、やがて、静かに手をのばした。総司の肩を掴み、傍らの塀へ押しつける。
おおいかぶさるように見下ろしてきた男を、総司は怯えた表情で見上げた。桜色の唇が震える。
それに、土方は唇の端をあげた。
「何を怯えていやがる」
「……っ」
「また首でも絞められると思っているのか。そんなに怯えるぐらいなら、俺に逆らわなきゃいいだろうが」
「逆らうんじゃありません。私は、ただ、土方さんから離れないといけないと思って」
「だから、何で俺から離れる必要がある。俺の傍にいて、何か不満な事があるのか。嫌な思いでもしたのか」
土方の問いかけに、総司は首をふった。
「何も……何もありません」
「なら、何故。俺は、ずっとおまえを守ってきただろう? この世の誰よりも愛してきただろう。今も、大切に思っているし、これからも愛してゆくつもりだ。いったい、何がいけない。何がおまえを俺から奪おうとしている」
次第に、土方の感情が激してゆくのが、手にとるようにわかった。
切れの長い目の眦がつりあがり、声が激しい怒気をおびた。
土方にすれば、当然のことだろう。
何不自由なく愛し、育ててきた相手に裏切られようとしているのだ。
いったい何故? と問いかけたくなるのは、当然の事だった。
(でも、この人にはわからない……)
確かに、土方の言葉どおりだった。彼自身には、何の不満もないのだ。
今も愛している。
この世の誰であっても、彼以上に愛せる男などいるはずがなかった。
だが、それでも、離れなければならなかった。今のままでは、土方も総司もだめになってしまうのだ。
二人だけの世界をつくりあげ、その中で微睡みつづけている限り、未来はない。
「お願い……離して」
総司は二重の意味で、その言葉を口にした。
次、無理やりなお褥シーンがありますので、苦手な方は避けてやって下さいませね。