土方にとって、総司は愛しい獲物だった。
 獰猛な獣同然に、この小さな生き物を狩りたて、追いつめ、ようやく己の獲物として喰らうことが出来たのだ。だが、まだまだ土方は満足していなかった。否、むしろ喰らえば喰らうほど、激しい飢えを覚えたのだ。
 情欲も愛も、土方にとって、同じことだった。それは執着となり、総司をがんじがらめに縛りつけようとする。


(俺が……何も気づいていないと、思っているのか)


 土方は腕の中の総司を見下ろし、目を細めた。
 黒い瞳に、暗い光が湛えられる。
 総司が誰と逢っているかなど、調べればすぐわかる事だった。あまりに多い外出を不審に思い、つけさせたのだ。思ったとおりだった。外で、ある男と逢っていた。


(それが、伊東だとは思わなかったが)


 伊東甲子太郎。
 新選組参謀となった伊東は、野心を胸に秘めた男だ。いずれ新選組を己のものとするつもりなのだろう。そのための一手として総司に近づいたのか、それとも、総司自身に興味をもったためか。
 どんな理由であれ、総司に近づく男を許すつもりはさらさらなかった。いずれ、排除しなければならないだろう。
 だが、今はその時ではなかった。
 本来ならば、二度とこんな事が出来ぬよう総司を何処かに閉じ込め、伊東も排除してしまいたい。だが、総司はまだ、伊東と友人になりつつあるだけだ。土方への想いとは全く違うだろう。そうである以上、今、手出しする訳にはいかなかった。表だって彼が口出しすれば、総司は土方を恐れてしまう。
 この愛らしい獲物は、とても敏感で利発なのだ。
 少しでも、土方が己の残酷さや狂気を見せれば、たちまち逃げ出してしまうだろう。それだけは避けなければならなかった。
 むろん、逃がすつもりなどないが、できることなら、今のまま優しい花園の中で微睡ませてやりたい。何も知らず、幸せな花びらの中にうもれていればいい。
 手出しできない理由は、他にもあった。
 近藤だ。伊東は、近藤が連れてきた男だった。そのうえ、土方と総司の歪んだ関係をもっとも理解している。そんな近藤の前で、伊東を排除するのはまずいだろう。
 ならば、今の状況を見過ごしてゆくしかないのか。
 暗い怒りを燻らせながら……。


「……土方さん?」
 押し黙ってしまった土方を不審に思ったのか、総司がそっと呼び掛けてきた。訝しげに見上げてくる。
 それに、土方は小首をかしげてみせた。
「何だ……?」
「ううん……何か、考え事をしているのかなと思って」
「あぁ。おまえの事を考えていたよ」
 甘やかな声で囁きかけた土方に、総司は、ぱっと頬を染めた。長い睫毛を瞬かせる。
「私の……ことを?」
「あぁ」
「どんな事? 何か……悪い事じゃないと、いいんですけど」
「おまえは悪いことをしているのか?」
「え、違いますよ」
 総司は無邪気に笑った。


 本当に、総司自身は、何の罪の意識もないのだろう。
 人に隠れて、伊東との逢瀬を重ねていること自体に、何の後ろめたさもないのだ。
 そのあたり、総司はとても無頓着だった。自分が、男たちからどんなふうに見られているか、全くわかっていない。
 だからこそ、土方の狂気じみた情愛も、執着も、まるで気づいていないのだ。
 掌中の珠。
 傍から見れば、まさに、総司は土方の掌中の珠だった。愛らしくも美しい生き物を、この男は独り占めしている。それへ表立った非難が向けられないのは、ひとえに土方が恐ろしい故なのだ。
 むろん、その事を総司は知らない。


「でも、じゃあ、私の何を考えていたのですか?」
 そう訊ねてくる総司に、土方は微笑んだ。白い額に口づけを落としながら、囁きかける。
「……おまえが幸せであるように」
「土方さん……」
「俺は、おまえが幸せであることを願っているよ」
 男の優しい言葉に、総司の瞳が潤んだ。嬉しそうに頬を上気させ、男の躰に抱きついてくる。
「嬉しい……とっても嬉しいです」
「総司」
「でも、私は、土方さんがいてくれるなら……傍にこうしていてくれたら、それだけで幸せだから」
「本当に?」
 土方は小首をかしげ、濡れたような黒い瞳で可愛い恋人の顔を覗き込んだ。甘く口づけながら、訊ねる。
「本当に、俺がいれば……幸せか?」
「はい」
 うっとりと口づけを受け、総司は答えた。男の胸もとに顔をうずめ、幸せそうな吐息をもらす。
 その華奢な躰を抱きながら、土方は静かに目を細めた。












「知っていながら、放置しているわけか」
 ある日、近藤がそれを話題にしてきた時、土方は僅かに眉を顰めた。
 局長室での打ち合わせの後だった。近藤が不意に云ったのだ。いいのか、と。
「何が」
「だから、総司の事だ。最近、総司は外出を重ねているのだろう。何か……まずいことに巻き込まれたりしていないのか」
「さぁ、知らねぇな」
 淡々と答えつつ書類を揃える土方に、近藤は視線をあてた。しばらく黙ってから、低い声で問いかける。
「歳、おまえ……知っているだろう」
「だから、何が」
「総司が何をしているのか、誰と逢っているか。全部わかっていて、放置している。そうなのか」
「……」
 土方は目を伏せ、書類をぱらりと捲った。それに、近藤は膝を進めた。
「どうなのだ。おまえは全部知っているのか」
「……近藤さん」
 薄く笑った。
「あんたはいったい何が云いたいんだ。俺をけしかけようとしているのか」
「いや、そうじゃないが……」
 近藤は一瞬言葉を詰まらせたが、大きくため息をついた。
「おれは心配なのだ。おまえがまた、江戸の頃のような事をすまいかと心配で」
「江戸の頃?」
 不思議そうに訊ねてから、土方は「あぁ」と頷いた。
「あれか。別に、たいした事じゃねぇだろう」
「たいした事じゃないって……まさか、おまえ、京でも……」
「あんな事はしてねぇよ。だいたい、ここではもっと片付けやすいしな」
「片付けやすい……」
 空恐ろしい気持ちで呟いた近藤に、土方はくすくす笑った。とても優しげで、きれいな笑みだ。だが、その裏にある恐ろしさ、残忍さを、近藤はいやというほど知らされている。
「なんて顔をしているんだよ。冗談に決まっているだろ」
「歳……」
「それより、総司の事か。あぁ、知っているよ」
 さらりと云ってのけた土方に、近藤は驚いた。
「知っているのか。知っていて……放置しているのか」
「あぁ」
「何で、また。あれほど、総司を束縛してきたおまえが」
「さぁ、何でだろうな」
 まるで他人事のように、土方は呟いた。男にしては長い睫毛が伏せられ、微かな笑みが唇にうかべられる。
 それを、近藤は恐ろしいものでも見るように、眺めた。
「おまえ……何を考えている」
「別に何も」
「そんなことがあるか。昔から、おまえは総司の事になると、異常だった。異常な愛し方であいつを己の手の中に閉じ込めてきた。なのに、そのおまえが総司から手を引くなど」
「誰も手を引くなんて、云ってねぇだろ」
 土方は膝上に肘をおいて頬杖をつくと、上目づかいに近藤を見た。黒い瞳がきらりと光る。
「あいつは、俺の恋人さ。可愛い大切な宝物だ。そうである事は、永久に変わらねぇよ」
「なら、どうして」
「あんたは、どうしてだと思う?」
 揶揄するような問いかけに、近藤は、かっとなりかけた。だが、それを懸命におさえた。
「……おれに、おまえの考えがわかるものか。総司の事になると、おまえの言動はおれの理解の範疇を超えている」
「なら、聞くなよ」
 低い声で、土方は云い捨てた。はっとした近藤に、唇の片端をあげる。
 底光りする瞳が近藤を鋭く見据えた。
「あんたは……黙って見ていればいいのさ。下手な手出しは無用だ」
 そう云って、立ち上がろうとする土方に、近藤は懸命に言葉を放った。
「歳、おれはおまえたちが心配なのだ。おまえも、総司も……間違った方向へ進んでゆくような気がする」
「何が間違っているのか、正しいのか。そんなもの、容易に判断できる事じゃねぇだろう」
 鋭く切り返した土方に、近藤は押し黙った。確かにそうだと思う。
 だが、ならば、この重苦しい不安は何なのか。何かが明らかに間違った、歪んだ形へと進みつつあるような予感は。
「歳……」
 出ていこうとする土方に、近藤は絞り出すような声で呼びかけた。
「何だ」
 とふり返る男を見上げぬまま、これだけはという思いで告げた。
「総司を……傷つけるな」
「……」
 それに応えはなかった。
 土方は無言のまま微かに目を細めると、静かに部屋を出ていったのだった。












 総司は鳥居をくぐると、周囲を見回した。
 すると、木陰で書物を読んでいた男が立ち上がり、手をあげる。
 総司の顔がぱっと輝いた。
「伊東先生」
 軽やかな足取りで駆け寄ってくる総司に、伊東は目を細めた。
 もう数え切れぬほど、二人はこの神社で落ち合っていた。まるで、秘密の逢瀬を重ねる恋人たちのように。だが、その事の危うさに、伊東はともかく総司はまったく気づいていない。
「お待たせしてしまいましたか?」
 小首をかしげるようにして訊ねる総司に、伊東は微笑んだ。
「いや、さほど。それより、そんなに息をきらして……躰の方は大丈夫なのですか」
「はい。巡察が少し長引いてしまって。でも、すぐ近くで解散だったので、助かりました」
「この付近で……なら、外へ出るのはもう少し待った方がいいですね」
 伊東の言葉に、総司は、あっという顔になった。そうして、素直にこくりと頷く。
 神社の石段に腰かけながら、伊東は静かな声で云った。
「きみと逢うのも、控えた方がいいかもしれない」
「え?」
「今、隊内が揺れています。そんな時に、きみと私が逢っている事が知れれば、困ることになるでしょう」
「それは、あの……西本願寺への移転についてですか?」


 今まで幾度も逢ってきたが、二人の間で新選組内の事について言葉が交わされた事はなかった。だが、総司は思い切って口に出した。正直な話、ずっと気になっていたのだ。
 西本願寺への移転について、今、隊内は揺れていた。副長である土方と総長である山南の対立が深まっていたのだ。意外なことに、それに、伊東は沈黙をつづけていた。どちらに味方することもなく静観の構えだったのだ。
 総司自身は複雑な気持ちだった。土方の恋人ではあるが、山南も古くからの友人なのだ。


 伊東は鳶色の瞳で、総司を見つめた。微かに笑う。
「きみから隊の話が出るなど、珍しい。やはり、気になりますか」
「気になるというか……」
 総司は目を伏せた。
「伊東先生のお考えはどうなのだろうと、思ったのです。正直な話、誰の意見が正しいのか、私にはわかりません」
「土方君は、きみに何も話さないのですか?」
 そう訊ねた伊東に、総司はきゅっと唇を噛みしめた。じっと手元に視線をおとし、首をふる。
「土方さんは……私に何も話しません。仕事のことが話題になったこともないですし。土方さんにとって、私はまだまだ子どもですから」
「子どもといっても、きみは一番隊組長であり、剣術師範代筆頭でしょう。それなりの考え、意志をもつべきではないのですか」
「……」
 総司は俯いてしまった。
 江戸を発つ時も、お光や斉藤に云われた言葉だった。それから考えると、数年たった今でも、自分は成長していないのかと思ってしまう。
 だが、長年、培われた癖や慣れはなかなか変えられないものだった。昔から、総司が何か考えるより先に、土方がすべて良いように決め、行ってきた。総司はいつも、それに従っていれば良かった。自分で考える必要などなかったのだ。
「……きみは本当に、何も知らないのですね」
 低い声で呟かれた言葉に、総司は「え?」と顔をあげた。伊東は、総司の方を見ることもなく、静かな表情で言葉をつづけた。
「きみは、己が置かれた状況さえ知らない。何も知らされず、何も知ろうとせず、そうして生きてゆくことは、確かに楽でしょう。籠の中で飼われる小鳥は、安寧かもしれない。だが、そこに自由はないのです。苦しみや辛さ、恐ろしさと引き換えに得ることのできる自由は、決してあたえられない」
「……」
 伊東の言葉に、総司は目を閉じた。


 やはり、そうなのだと思った。
 初めて逢った時に思ったとおり、伊東は総司の本質や真実を、鋭く見据えてくる。何もかも容易に見透かしてしまうのだ。だが、それは不快な事ではなかった。怖いとも思わなかった。
 総司自身、どうすればいいのかわからぬまま、悩みつづけていたのだ。
 ただ、それは斉藤やお光が望んだ形とは違ったものだった。大人になって、成長して、土方の役にたちたい。土方の支えになり、彼の傍で生きてゆきたい。それが総司の願いだった。
 土方の狂気じみた情愛の戒めから、解き放ってやりたいと願う斉藤の思惑とは、全く外れてしまっていたのだ。


「私は……もっと強くなりたいのです」
 静かな声で、総司は云った。ぎゅっと両手を握りしめる。
「もっと大人になって、自分の意思もきちんともって、土方さんの支えになりたいと願っているのです。一番隊組長として剣をふるうだけではない。もっと、別の形で……」
「土方君は、それを望んでいないと思いますがね」
 くすっと笑った伊東に、総司は目を見開いた。
「そうでしょうか」
「彼は、自分の手の中に、きみを留めておきたいと思っている。まぁ、その気持ちはわかります。男としての性かもしれませんね」
「……」
「まぁ、いい。今の話は忘れて下さい」
 伊東は微かに吐息をもらしてから、しばらくの間、境内の光景を眺めていた。やがて、石段に背を凭せかけると、低い声で云った。
「私は……西本願寺への移転に、賛成ですよ」
「え」
 顔をあげた総司の前で、伊東は淡々と言葉をつづけた。
「移転はすべきだ。今のままでは手狭すぎるし、警備も甘い。新選組が池田屋で名をあげ、不逞浪士たちの襲撃の的となっている以上、今の屯所にいつまでも留まっている訳にはいかないでしょう」
「それはわかります。でも、その場所が西本願寺だなんて……」
「まずいと思いますか」
 伊東は穏やかに笑った。
「だが、それは向こうも同じくです。受け入れる西本願寺も嫌でしょう。実際、入ってくれば追い出したくなるでしょう。それがこちらの思惑と一致する」
「思惑と一致……?」
「出ていく条件に、新しい屯所を建てる金を用立てさせるのです」
「え」
 驚いて目を見開く総司に、伊東は肩をすくめた。
「土方君も当然、それを目的として西本願寺に移転を云い出したはずですよ。金を引き出すための手段として」
「そこまで……そんな先のことまで、考えるのですか」
「当然でしょう。今の世の中、先々の事まで考えて手を打たなければ、生き残ってゆけない」
 そう云って立ち上がった伊東を、総司は目で追った。やがて、自分も立ち上がると、伊東の傍により、大きな瞳で彼を見上げる。
「伊東先生も……」
「何ですか」
「先々の事まで考えて、私に近づいたのですか? 私を引き入れれば、利用できると思って……」
「……」
 微かに、眉を顰めた。
 伊東は総司を見下ろすと、冷たく答えた。
「きみは、私がそんな姑息な男だと思っている訳ですか」
「……伊東先生」
「私は、初めてここできみと言葉をかわした時、云ったはずです。きみと言葉をかわすのが楽しいから、これからも逢ってほしいと。だが、きみがそんなふうに思っているのなら、つきあいもこれきりにしましょう。私は、そこまで矜持が低い男ではありませんからね」
 そう云い捨て、伊東は背をむけた。呆然としている総司を残し、足早に境内を出てゆこうとする。
「伊東先生……!」
 総司は思わず叫び、伊東の後を追った。境内を必死に駆け、彼の背に縋りつく。
「ごめんなさい、伊東先生」
「……」
「お願いですから、行かないで」
 総司の必死の様子に、伊東は立ちどまった。だが、ふり向かぬまま、じっと視線を落としている。
 それに、懸命に言葉をつづけた。
「不愉快な事を云ってしまって、申し訳ありません。伊東先生が純粋な気持ちで私に接してくれている事はわかっていたはずなのに、それを疑うような事を云って……本当に、申し訳ありません」
「総司……」
 伊東の声が和らいだ。
 それにほっとして顔をあげると、伊東がふり返る処だった。そっと優しく、彼の胸もとに抱きよせられる。
 初めての抱擁だったが、総司は何の躊躇いもなく身をまかせた。奇妙なことに、おかしいとも、悪いことだとも、思わなかったのだ。
 伊東は柔らかく総司の髪を撫でた。
「私こそ、あんな事で怒ってしまって、申し訳ない」
「いいえ……私があんな」
「いや、私も云えた義理ではないのです。さっき、きみが云った言葉、純粋な気持ち……というのは、明らかに異なっているのですから」
「異なる?」
「私は、きみと接するのに、確かに隊内で利用する事は考えていなかった。だが、友人としての純粋な気持ちとは、明らかに違う。私は……」
 伊東は少し黙ってから、やがて、低い声で云った。
「私は、きみが欲しいと思っています」
「……伊東、先生……?」
 総司は怯えに似た表情で、伊東を見上げた。


















次、大きく展開します。土方さんが総司に……?