総司が料亭に着くと、土方はまだ来ていなかった。
 だが、話はついているらしく、仲居が奥まった場所にある離れに案内してくれる。
 先に食事を始めるかと聞かれたが、とてもそんな気になれず、断った。部屋から見える庭を見ると、秋の夕暮だった。色づきはじめた紅葉が、茜色の夕陽に映えてとても美しい。
「綺麗……」
 思わず立ち上がり、総司は縁側に降りた。うっとりと見惚れてしまう。
 そのため、土方が入ってきたことにもまったく気づいていなかった。突然、後ろから男の両腕に抱きすくめられ、息を呑んだ。
「……随分、待たせてしまったか」
 なめらかな低い声に、背中がぞくりとした。自分を抱きしめる男のぬくもりが、狂いそうなほど恋しい。
 子供の頃ほどではないが、やはり体格の差は歴然としていた。華奢な総司の躰は、長身で完成された大人の男である土方の腕の中に、すっぽりとおさまってしまう。
 だが、そこは、総司にとって長い間、安寧の居場所だった。どこよりも居心地のよい優しい花園だったのだ。
 総司は目を伏せ、ふるりと首をふった。
「いいえ。私も……今、来たばかりです」
「そうか」
 ふり返ると、土方は濡れたような黒い瞳で、総司を見つめていた。熱っぽい男の瞳。それに、どきどきした。
 思わず俯いてしまった総司に、土方はくすっと笑った。「可愛いな」と囁きながら、額に口づけてくれる。そのまま手をひかれ、座卓の前に座らされた。
 あらかじめ注文されていたのか、料理が運ばれてきた。どれも、総司が好みそうな味付けの、綺麗に飾り付けられた料理ばかりだ。
「おいしそうですね」
 そう云った総司に、土方は微笑んだ。
「気にいったならよかった。遠慮せずに食べろよ」
「はい」
 こくりと頷き、箸を手にとった。少しずつ口へはこんでゆく。
 土方は時折手をのばし、昔のように、あれこれと世話をやいてくれた。魚の身をほぐしたり、蓋をとったりしてくれる。
 それを総司は少し気恥ずかしく思いつつ、受け入れた。
 正直な話、伊東と食事をするようになってから、ようやく気付いたのだ。完全に子ども扱いされていた事に。だが、今、それを土方に云う訳にはいかなかった。せっかく誘ってくれた彼の気持ちを、害したくなかったのだ。
 それに、嬉しく思ったことも確かだった。昔と同じように、土方に愛されている気がしたのだ。あんなふうに裏切ってしまった自分なのに。
 食事が終わると、土方は総司を縁側に再び連れ出した。もう日は落ちてしまっているが、庭には灯篭が灯されている。
 二人は黙ったまま、並んで座っていた。総司は土方に何をされても抵抗しなかった。肩を抱きよせられれば、身をよりそわせた。口づけられれば、それに応えた。
 目を開くと、土方は切れの長い目で、まっすぐ総司を見つめていた。どこか探るような視線を感じ、思わず身をすくめた。
「……何、ですか?」
「いや」
 土方はふっと視線をそらした。だが、短い沈黙の後、呟くように訊ねた。
「おまえは、なぜ抵抗しない」
「抵抗……?」
「そうだ。なぜ、おまえは俺の誘いにのる。こうして従順に抱かれる。おまえはもう……俺のものではないだろう」
 自分のものでないと口にする瞬間、土方は形のよい眉を僅かに顰めた。まるで、胸奥に痛みを覚えたような表情だった。
 それに、総司はたまらなくなった。


 こんなにも、自分は彼を傷つけたのだ。
 この矜持の高い人を裏切り、恥をかかせ、傷つけて。
 なのに、再び手をさしのべてくれた優しい彼。


「ごめんなさい」
 総司は土方の胸もとに縋りながら、云った。
「私は、確かに今、あなたのものではありません。でも、伊東先生のものでもないのです」
「……」
「お願い、信じて。私はあなた以外の人に抱かれた事などありません」
「今更……」
 土方はほろ苦い笑みをうかべた。片手で煩わしげに黒髪をかきあげる。
「おまえは俺の前で、さんざん伊東と睦みあっていたじゃねぇか。念者だと噂にもなっているんだぞ。信じられるはずがねぇだろう」
「でも、本当なのです。私は絶対に……」
「なら、誓えるのか」
 不意に告げられた言葉に、総司は「え?」と目を見開いた。ぐいっと手首を乱暴に掴まれ、どきりとする。
 息を呑む総司の瞳を覗き込み、土方は低い声で問いかけた。
「おまえは、誓えるのか。これからも、俺以外の男に決して抱かれないと、念者の契りを結ばぬと……そう誓うことが出来るのか」
「……土方…さん……」
「誓わなくても、別に構わねぇんだぜ?」
 土方は目を伏せた。微かに苦笑する。
「おまえが誰に抱かれようが、おまえの勝手だからな。ただ……俺はおまえの言葉を信じない。それだけの話だ」
「ち、誓います!」
 思わず、総司は叫んでいた。
「これからも、あなた以外の人には決して抱かれません」
「……」
「念者の契りも結びません。だから、お願い……信じて下さい」
「……」
 土方は黙ったまま、手をのばした。愛しい若者の細い躰を、両腕に優しく抱きしめる。
 柔らかな声が、耳もとに囁きかけた。
「……嬉しいよ」
「土方さん……」
「おまえが誓ってくれて、本当にうれしいよ。ありがとう、総司」
「土方さん、そんな……ありがとうなんて……」
 総司は安堵の吐息をもらし、土方の胸もとに凭れかかった。
 何度も口づけられ、やがて、男の両腕に柔らかく抱きあげられた。
 土方が自分をどこへ連れていくのか、総司にはわかっていた。隣室に用意されてある褥の上だ。そこでまた、情欲の限りをつくすように抱かれるのだろう。
 男から与えられる痺れるような快感に、総司は甘い疼きと同時に、恐れも抱いた。
 だが、自分でもその恐れの理由がわからなかった。ただわからないまま、怖いと思う。そして、その怖さの理由である男に縋り、目を閉じた。
 それに目を細めた土方が、冷ややかに見つめている事さえ、気づかぬまま。
 やがて、褥に下された総司の上に、土方がゆっくりとのしかかってきた。それに、総司は甘えるように手をのばす。
 深く口づけられ、熱く痺れるような情事が始まる。


(土方さん、愛してる……)


 自分を抱きしめる男の腕を感じながら、総司は目を閉じた。そして、男を受け入れるため、躰を開いたのだった。
 己の中で激しく打ち鳴らされる警鐘に、耳をふさいで。













 総司は外で幾度か、土方と逢瀬を重ねた。
 去年までとは、まるで逆だった。隊内で伊東の傍にありながら、外では土方に抱かれているのだ。
 それを土方は「間男のようだな」と自嘲した。
 激しく濃厚な情事の後だった。褥の上に寝着を羽織っただけの姿で横たわり、くっくっと喉を鳴らしている。逞しい肩や胸もと、褐色の肌が露わになり、匂いたつような男の色香に、総司はあらためて頬を熱くした。
 だが、間男などとは云って欲しくなかった。
「違います。そんなんじゃない」
 思わず身を起こし、総司は否定した。さらさらと艶やかな黒髪が細い肩に流れる。先ほど、情事の最中に、元結を解いてしまったのだ。そのため、艶めかしく美しい少女のように見えた。
「土方さんが間男だなんて、そんな」
「だったら、何なんだ?」
 おかしそうに、土方は訊ねた。
「少なくとも念者ではないだろう。恋人でもない。こういう関係を何と呼ぶんだろうな」
「色恋沙汰に疎い私が、わかるはずもないでしょう? でも、そんなふうに云うのはやめて下さい」
「わかったよ」
 土方は笑みを消し去ると、片手をさしのべた。それに総司は男の胸もとへ身を寄せてゆく。白い肌に散った花びらが艶やかだ。
 男の胸もとに頬を寄せながら、総司は目を伏せた。


(秘密の逢瀬を重ねているのは、本当のこと。こんな関係を、土方さんは本当に望んでいるのだろうか……?)


 かつての恋人。
 それを目の前で敵対する男に奪われながら平然と振る舞い、そのくせ、今はこうして秘密に抱いている。
 そんな行為は、どこか、彼に似つかわしくなかった。
 いくら昔から可愛がっていた総司に対してであっても、手酷く裏切られながら誘うなど、彼自身の性格を考えればありえぬはずなのだ。逆に、どれほど美しい女だろうと冷たく切り捨ててきた男だった。
 なのに。


(これも、土方さんの気まぐれの一つなの……?)


 違和感にとらわれながら、総司は顔をあげた。とたん、どきりとした。
 ほのかな明かりの中、土方が鋭い瞳でこちらを見つめていたのだ。まるで射抜くような視線だった。
 総司と視線があうと、ふっと唇を歪めた。低い声で問いかける。
「何を考えていた……?」
「え」
「今、何か考え事をしていただろう。俺以外の男のことでも考えていたか」
「そんな、違います。私は……」
 何と云ってよいかわからず口ごもってしまった総司を、土方はしばらくの間、じっと見つめていた。だが、やがて視線をそらすと、ごろりと仰向けになった。両手を頭の後ろで組みながら、呟く。
「まぁ、何でも構やしねぇよ」
「土方さん」
「おまえが何を考えても何をしても、どうだっていい。ただ、俺は、おまえがあの誓いさえ守れば、それでいいのさ」
「誓い……」
 すぐに意味がわかった。他の男に抱かれないと誓ったことだ。
 だが、総司はふと疑問がわいた。思わず訊ねる。
「じゃあ、土方さん」
「何だ」
「私が、もしも……誓いを破ったら? その、他の人に抱かれたら、どうするのですか……?」
「……」
 しばらくの間、土方は何も云わなかった。じっと天井を眺めている。
 長い沈黙の後、無表情のまま口を開いた。
「そうだな、どうするかな」
「……」
「いっそ……殺しちまうか」
「――」
 思わず息を呑んだ。反射的に飛び起き、彼から距離をとってしまう。
 まさか、そんな事を云われるとは思ってもみなかったのだ。それも、ごく当然の事のような口調で云われたことが、より総司に衝撃をあたえた。
 だが、考えてみれば、ありえる話だった。以前、総司は彼に首を絞められ、殺されかけた事もあるのだ。
 二度目の裏切りは、許さないという事なのか。
 怯えきった表情で身を固くする総司の前で、土方はゆっくりと身を起こした。黒い瞳がきらりと光る。
 薄い笑みをうかべつつ、土方は手をのばした。冷たい指さきに首筋を撫でられ、びくりと肩が震えた。
「……そんなに怯えるなよ」
「……っ」
「戯言に決まっているだろ。本気にするな」
「……」
 何も云えず、俯いた。まだ躰が強張っている。
 戯言のはずがなかった。明らかに、土方は本気で云ったのだ。


 裏切れば、殺す――と。


 殺されること自体は恐ろしくなかった。
 日々、死線で戦いつづけている身の上なのだ。今更な話だった。それよりも、総司を怯えさせたのは、逃げられないという恐れだった。
 逃げたつもりでいたのに、再び彼の手の中に戻ってしまったのだ。いくら彼を愛しているからといって、恋しいからといって、あの時、彼を受け入れるべきではなかった。なのに、総司の中にある彼への想いの激しさが、土方からの求めを拒絶する事ができなかったのだ。


(私は……また戻ってしまったの?)


 そして、二度目の逃亡はありえぬのだ。
 もう一度裏切れば、今度こそ殺されてしまう。そう、断言されたも同じだった。
 終わりのない逃げ道だった。どんなに抗っても、逃げても、結局は、彼の手の中に戻ってきてしまう。
 永遠に在りつづける、美しくも恐ろしい花園。
 そこは、楽園なのか、それとも煉獄か。


(もう、何もわからない)


 優しく抱きしめてくる土方の腕の中、すべてを拒むように、総司はきつく目を閉じた。












「土方さんと逢っている……?」
 数日後、話を聞いた斉藤は、驚いた表情で聞き返した。
 それも当然のことだった。あれ程、束縛していた彼から逃げようとし、それをとげたのは、総司自身の意思だったのだ。なのに、今更、土方と逢瀬を重ねているなど、信じられないことだった。
 紅葉が美しい神社の一角だった。総司と散策に来ていた斉藤は、ひどく思い悩んでいる様子に、訊ねてしまったのだ。
 何かあったのかと。その答えが「土方さんと逢っています」だった。
「逢うって、それは……仕事でのことか」
 まさかと思いつつ、斉藤は訊ねた。それに、総司は首をふった。
「違います。土方さんは、まるで間男のようだと笑っていました」
「つまりは、そういう関係なのか」
 斉藤は深々とため息をついてしまった。
 本当は、薄々おかしいと思ってはいたのだ。最近、土方と総司の外泊が重なることが多くなっていた。土方はともかく、総司が外泊するなど、めったにないことだ。なのに、それが幾度も重なるとなると、考えない訳にはいかなかった。
「やはり……な」
「え?」
「おまえ、最近、外泊が増えただろう。それも、決まって土方さんと重なった日だ。おかしいと誰でも思うよ」
「伊東先生も気づいている……と思いますか?」
 不安そうに訊ねる総司に、斉藤は苦い表情で頷いた。
「オレがわかるぐらいだからな。伊東先生は当然、気づいているだろうさ。おまえには何も言わないのか?」
「えぇ。何も……伊東先生は、滅多に感情を表に出されないから」
 その分、恐ろしいという事だった。表向き、伊東のものとなりながら、土方に抱かれている総司を、いったいどう思っているか。侮蔑されているに違いないだろう。
 総司は一瞬唇を噛んでから、小さな声で云った。
「斉藤さん」
「何だ」
「私は……土方さんを愛しています」
「知っているよ」
 鈍い痛みを覚えつつ、斉藤は答えた。それに、総司は言葉をつづけた。
「けれど、あの人の傍にいると、束縛されつづける。それがわかったから、大人になるために離れました。伊東先生のもとで知った世界は新しくて、楽しいものでした。でも」
「……」
「私は今も、土方さんを愛している。その気持ちだけはどうしようもないのです。土方さんに手をさしのべられたら、その手をとらずにいられなかった。今度、裏切ったら殺すと云われても、それでも……」
「そんな事を云われたのか」
 斉藤は驚いた。
 だが、一方で、土方なら云うだろうとも確信していた。
 総司が知らないだけで、土方は狂ったようにこの若者に執着し、溺愛しているのだ。奪われるぐらいなら殺すとまで云っていた男が、一度目の裏切りで手を下さなかったことが、不思議なほどだった。
 それが、愛の深さゆえなのか、浅さゆえなのか、わからなかったが。
「土方さんの傍にいるべきじゃない。それはわかっているのです。あの人を愛しているがゆえに、私は、あの人のことばかり考えてしまう。あの人の言葉にすべて従い、自分の意思など全くなくなってしまう。それがわかっていたからこそ、逃げ出したのに、なのに……こんな……」
「総司」
 斉藤は総司を石段に座らせると、自分もその傍に腰かけた。そして、低い声で云った。
「おまえは、土方さんを愛していると云ったな。だが、それはどれぐらいなんだ」
「え……?」
「あの人のすべてを知っても、どんな事をしてきたか知っても尚、おまえは土方さんを愛していると断言できるのだろうか」
「斉藤さん? 何のことを云っているの……?」
 不思議そうに総司が目を見開いた。そのあどけない顔を見つめる斉藤の表情は硬い。
 やがて、斉藤はゆっくりと話し始めた。近藤から聞いた話、斉藤自身が見聞きした事、すべてを。
 総司の知らない、土方の本当の姿を。
 静かに、話していったのだった。



















真実を知った総司は、土方さんと逢って問いただすのですが……