真夜中だった。
薄闇の中、歳三はゆっくりと目を開いた。
しばらくの間、天井を見上げていたが、やがて静かに身を起す。そうして、傍らで眠る総司に視線を落とした。
彼と一緒に眠る褥の中、総司はぐっすりと眠り込んでいた。その白い肌には花びらのような痕が散らされ、男に蹂躙された様が生々しい。
つい先程まで、総司は男の腕の中で、甘く泣いていたのだ。
他の者にも聞こえていただろうが、歳三はまるで構わなかった。逆に、総司が誰のものなのか、知らしめる為にもなるのだ。
(俺から、こいつを奪おうとする奴は許さねぇ)
歳三は手をのばし、そっと総司のなめらかな頬を撫でた。
可愛い可愛い、総司。
ずっと見守ってきたのだ、愛してきたのだ。手放す事など、できるはずもなかった。
あの十六の年に華奢な躯に男を教えた時、満足することで少しは静まるかと思った。
だが、違った。歳三が総司に抱く狂暴は愛は、より深く激しくなったのだ。
本当なら、毎日でも抱いてしまいたい程だった。むろん、そんな事をすれば、この儚く玲瓏な少年は壊れてしまう。怯えさせてしまう。それ故、歳三は外でその欲望を吐き出していた。総司を抱く心地とは大違いだったが。
歳三にとって、総司は大切な宝物だった。
本当なら、他の誰にも見せたくない。指一本ふれさせたくない。その執着と独占欲は、年々強まるばかりだった。
だからこそ、気になる。
今日の総司の態度が、気にかかって仕方がないのだ。
(誰かに、何か吹き込まれたか)
京へ己が行こうと思った時、総司を共にする事は当然だった。
手放すはずがないのだ。
もしも総司が江戸へ残ると云えば、いっそ浚ってやろうと思っていた。無理やりでも連れていってしまえば、後はどうにでもなるのだと。だが、歳三が秘かに安堵した事に、総司は素直に頷いてくれた。
一緒に行こうと手をさしのべた歳三に、断るどころか、嬉しそうな笑顔で「はい」と答えてくれたのだ。
だが、それならば理解できぬ、今日の態度だった。迷っているようにしか見えない。
歳三から離れようとしているのだろうか。
己が置かれた現実に漸く気づき、今まで彼がしてきた事すべてを知り、逃げだそうとしているのか。
ずっと守り愛してきた彼の手の中から飛び立ち、自由な世界へ羽ばたいていこうとしているのだろうか。
それがどれ程の大罪か、知る由もないままに。
「……」
ゆっくりと目を細めた。
唇が、微かな冷たい笑みを形どる。
(……許さねぇ)
薄闇の中、黒い瞳が昏く燃えた。
ぞっとする程、獰猛で残酷な獣じみた目だ。
狂気を宿したその瞳で、愛しい若者を見つめた。
(可愛い、可愛い……俺の総司)
これは、俺だけのものだ。俺だけのものなのだ。
逃げるなど許さない。今更、離れるなど許さない。
もしも俺を拒んで逃げるのなら、いっそ。
薄い笑みが、男の唇にうかんだ。
可愛いおまえを、殺してやるよ……?
歳三は静かに躯を横たえた。
それに、総司が微かに身を震わせ、よりそってくる。彼の広い胸もとにもぐりこむと、安堵したように、また寝息をたて始めた。
あどけない寝顔が愛おしい。
「……愛しているよ、総司」
そう囁いた歳三は、そっと白い頬に口づけを落とした。
日々は飛ぶように過ぎていった。
試衛館を閉める事もあり、京へ上る準備は山程あった。慌ただしく立ち働く中で、総司はまだ考えつづけていた。
本当にいいのだろうか。
自分の考えをはっきりさせず、こんな子どもの甘えのまま、彼についていってしまっていいのだろうか。
「──総司」
不意に、後ろから声をかけられた。
ふり返ると、近藤が歩み寄ってくる処だった。厳つい顔に、穏やかな笑みをうかべている。
「おまえにも忙しくさせて、すまんな」
「いえ」
「京への出発は明々後日だ。おまえも姉上の処へ挨拶に行ってくるといい」
「はい……」
総司は素直に頷いた。
挨拶に行かなければと思いつつ、忙しさに紛れてしまっていたのだ。せっかく近藤が云ってくれるのだから、言葉に甘えようと思った。
だが、本当に京へ行くのか。姉に挨拶するという事は、もはや決定事項という事なのだ。
「……っ」
近藤が去った後、総司は俯いた。憂いの表情で、きつく唇を噛みしめる。
(……どうすればいいの)
その姿を、遠くから斉藤が見つめていた。
日射しの柔らかい日だった。
川沿いを歩いてゆくと、風がさらさらと髪を吹き乱してゆく。
それを心地よげに受けながら、総司はそっと目を細めた。
姉に挨拶しての帰りだったが、その足取りは酷く重かった。
姉であるお光に云われた事が、ひっかかっていたのだ。
『本当にいいの?』
お光は静かに、諭すように問いかけた。
『京へ行くのは、大変なことですよ。それは、本当にあなたの意志なの? あなたが行きたいと思って、そう決めた事なのですか?』
『私の…意志……』
『もう、あなたも大人です。己の行動に責任をもたなければ。己の道は、あなた自身が決めるべきなのですよ』
見抜かれているような気がした。
歳三が行くから、歳三が一緒にと誘ってくれたから、京へ行く事を決めた自分。
その甘えた気持ちを、叱責されたような気がしたのだ。
だが、それは紛れもない事実だった。
お光の言葉を借りて云うならば、京行きは、総司の意志ではないし、己自身が決めた事でもなかった。自分の行動に責任をもつべき大人のする事ではないだろう。
あまりにも子どもだと思った。
優しい歳三に甘えて、これからもずっと甘えつづけるつもりだったのか。
「……」
はぁっとため息をついた、その時だった。
不意に目の前にさした影に、顔をあげた。思わず身構えてしまったが、その相手の顔を見たとたん、躯から力が抜ける。
「……斉藤さん」
迎えに来てくれたのかと、ほっとして笑いかけたが、斉藤は酷く固い表情だった。鳶色の瞳も鋭い。
「……?」
不思議そうに見上げる総司に、斉藤は低い声で云った。
「……逃げよう」
「え?」
「あと二日だ。二日たてば、あの人は京へ発ってゆく。それまで身を隠していればいい」
「斉藤さん、何の話をしているの?」
意味がわからなかった。いったい、何を云っているのか。
身を隠すだの、逃げようだの、総司にはさっぱりわからぬ言葉ばかりだった。
そんな総司を、斉藤はどこか辛そうな表情で見下ろした。しばらく黙っていたが、やがて、云った。
「おまえ自身も迷っているのだろう」
「え……」
「京へ行く事だ」
「!」
総司の目が見開かれた。さっと、その白い頬が強ばる。
それを見つめ、斉藤は言葉をつづけた。
「京へ行くのは大変な事だ。何が待っているかわからない。オレはおまえを、あんな危険な処へ行かせる気に到底なれないんだ」
「でも……」
「土方さんが行くから、行くのか? おまえはそれで本当にいいのか?」
「……っ」
桜色の唇がきつく噛みしめられた。しばらく黙ったまま俯いていたが、やがて、掠れた声で答えた。
「いいとは……思っていません」
「総司」
「自分の行動に責任をもちなさいと、姉にも云われました。自分の道を決めるのは、私自身なのだとも」
「……」
「私は、歳三さんが誘ってくれたから、京へ行こうと思ったのです。でも、それは……おかしいと思うのです」
「なら……」
斉藤は総司の細い肩に手をかけた。
「京へは行かないな」
「……はい」
躊躇いがちにだが、こくりと頷いた総司に、斉藤は安堵した表情になった。だが、すぐさま顔を引き締めると、口早に告げる。
「試衛館へは戻るべきじゃない。このまま宿にでも泊まろう」
そう云って、斉藤は総司の手をひいた。彼にしては強引な態度で、試衛館とは違う方向に歩き出してゆく。
総司は不思議そうに見上げた。細い眉が顰められている。
「斉藤さん……どうして?」
「何が」
「どうして、試衛館へ戻ってはいけないのですか? 私、ちゃんと歳三さんに話したいのですけれど」
「そんな事……」
苦々しげな笑みが、斉藤の口許にうかべられた。
「土方さんが聞くはずもないだろう」
「聞かないって、私の話をですか?」
「京へ行かないって事さ。あの人が許すはずがない」
「それは……今更そんな事を云えば、怒ると思いますけど、でも」
総司はゆるく首をふった。
「歳三さんは優しいから、きっと許してくれます。だいたい、私なんか連れていっても邪魔なだけですし、かえって……」
「総司、おまえはわかっていないんだ」
斉藤は固い表情で、云いきった。鳶色の瞳が鋭く光っている。
「あの人の恐ろしさを知らない。あの人がどれ程、おまえに執着しているか、何も知らないんだ」
「斉藤…さん?」
「こうして試衛館へ戻らず、逃げているのも何の為だと思う。殺されない為なんだぞ」
「殺されって……えっ」
総司の目が大きく見開かれた。信じられぬ事を聞いたという表情で、斉藤を見つめる。
「そんな、どうして。歳三さんが私…を?」
「あぁ。あの人はおまえを愛してる。狂ったようにな」
「……」
「だからこそ、おまえが逃げる事を許さない。おまえを失うぐらいなら、殺してしまうだろう。そういう人だ、土方さんは」
「……そんな……」
総司の足がとまった。信じられない、信じたくないとばかりに、首をふる。
細い指さきが震え、ぎゅっと縋るように斉藤の手を握りしめた。それを握り返してやりながら、斉藤は眉を顰める。
「総司? 驚かせてしまったか」
「……」
「すまない。だが、本当の事なんだ。土方さんはおまえの事になると、異常だ。狂気じみている。おまえはその狂気に巻き込まれ、引きずられているんだ。だからこそ、オレは危惧した。このまま京へ行ってしまえば、一生、おまえは土方さんの操り人形にされてしまう」
「土方さんは……」
一瞬、総司は何かを云いかけた。だが、結局は目を伏せ、黙り込んでしまう。
あまりにも突然、色んな事を聞かされたため、混乱しているのだ。それがわかっているだけに、斉藤ももう言葉を重ねようとは思わなかった。
今は、とりあえず総司をあの男の手から逃がしてやれれば、それでいいのだ。
総司の手を握りしめ、斉藤は決然とした表情で歩き出したのだった。
朧月の夜だった。
ぼんやりと霞むような月が、妖しくも美しい。
宿の外へ歩み出た斉藤は、それを見上げた。
なるべく試衛館から離れた宿へ身を落着け、総司が寝入ったのはつい先程のことだ。
試衛館へは総司自身に文を書かせておいた。考える事があるので、しばらく日野に留まるという文を。
偽りだったが、そうでもしなければ、総司を自由にしてやれないと思った。
ずっと歳三が守り、つくりあげつづけてきたその世界は、美しかったに違いない。
何一つ恐ろしい事も嫌な事もなく、総司にとっては美しくも優しい花園のような場所だったのだろう。
だが、そこは、狂気じみた男がつくりあげた檻の中なのだ。
檻の中にいる限り、総司は己の意志さえもつ事が許されない。何もかも歳三の思うがままにされてしまうだけだ。
斉藤は総司を心から大切に思っていた。この素直で優しい少年を愛していた。だからこそ、歳三の狂暴な愛に縛りつけられている総司を、自由にしてやりたかったのだ。
ため息をつき、斉藤は視線を落とした。踵を返し、ゆっくりと宿へ戻ろうとする。
だが、その時だった。
不意にわき起った気配に、背が凍った。ふり返ろうとした瞬間、首筋にひやりとした冷たさが走る。
「!」
大きく目を見開いた。
斉藤の耳もとで、男の低い嗤い声が響いた。
斉藤さんに刃を突きつけたのは、もちろん……