斉藤は思わず眉を顰めた。
「……京へ行く?」
「えぇ」
 彼の困惑に気づかぬまま、総司はこくりと頷いた。
 最近、この少年は元服もおえ、宗次郎から総司へと名をあらためた。
 その事もあってか大人びた表情をするようになっていたが、華奢な躯つきや、澄んだ瞳、玲瓏とした顔だちは何も変わらない。否、歳三という男に身も心も愛されている事で、より艶やかになっていた。





 あれから、二年と少し。
 歳三はやはり総司の恋人であり、その身に見えぬ鎖を纏いつかせていた。
 変わった事と云えば、歳三の訪れが減った事ぐらいだ。他に何かする事があるらしく、最近はあまり試衛館にも顔をださない。
 それを総司は淋しく思いつつ、仕方のない事なのだと諦めていた。自分を抱くようになってからも、花街で遊んでいる事も知っている。歳三は総司に知らさぬようにしているが、自然と聞こえてしまうのだ。
 だが、それらすべてを、総司は胸の奥に仕舞い込んでいた。責めようとは思わなかった。
 あの精悍で美しい彼には、艶やかな女が似合う事もわかりきっている。
 総司はけなげにも、自分を恋人として傍においてくれるなら、どんなに女と遊ぼうが、黙っているべきだと思っていた。悋気などやけば、侮蔑の視線をあびせられ、冷たく背を向けられてしまうに違いない。それが怖かったのだ。
 彼に嫌われるのだけは、いやだった。考えただけで、怖くて怖くてたまらなくなるのだ。
 だから、総司は黙っていた。黙っているべきだと思っているのだ。





「京へ行くって、例の浪士組の話か」
 斉藤は縁側に腰かけたまま、問いかけた。
 試衛館の一角だった。冬の柔らかな日射しの中、斉藤と総司は並んで坐っている。
 他に人の姿はなく、皆出払っているのか、しんと静まりかえっていた。
「そうです。斉藤さんも知っていたのですね」
「まぁな、噂で聞いた」
 斉藤は肩をすくめ、答えた。
 噂で聞きはしたが、行く気など全くない。江戸を離れる理由も見つからなかったし、浪士組に入って京に行ってみたいとも思わなかった。
 だが、総司は。
「……私も、初めは迷っていたのです」
 そっと長い睫毛を伏せた。
「歳三さんも行くと聞いて、一緒に行きたいなと思ったんですけど。でも」
「……」
「私みたいな子どもが一緒に行けば、足手まといになってしまうでしょう? 邪魔に決まっているし。だから、やめるべきかなと思っていたんですけど……」
 不意に、何を思いだしたのか、総司が頬を染めた。
 細い指さきをなめらかな頬にあて、幸せそうに笑う。
「でもね、歳三さんが云ってくれたのです。一緒に来て欲しいと」
「……」
「どうしても一緒に来て欲しいと、そう望んでくれたのです」
 幸せそうな笑顔で話す総司を、斉藤は鳶色の瞳で見つめた。その表情は気づかいと不安に満ちている。
 だが、それに気づく事なく、総司は言葉をつづけた。
「最近、歳三さん、あまり試衛館に来てくれなくて、逢う事も少なくて。だから、私に……その飽きちゃったのかな、と不安に思ったりしていたのです。京へ私も一緒に行きたいなんて云ったら、疎まれるんじゃないかと……」
 歳三が総司を疎むなど、天地がひっくり返ってもありえないだろう。
 斉藤はそう思ったが、口には出さなかった。ただ、低い声で呟いただけだった。
「つまり……土方さんが望むから、京へ行く事にしたという訳か」
「えぇ」
「おまえは……それでいいのか」
「斉藤さん?」
 総司は不思議そうに、斉藤を見上げた。その澄んだ瞳を見つめ、苦々しい思いで言葉を重ねた。
「そんなふうに、何もかも……土方さん中心でいいのか。土方さんの云うがままで、いいのか? 総司、おまえの意志はいったい何処にあるんだ」
「何処にって……」
 総司は小首をかしげた。
「ちゃんと私にも意志がありますよ。歳三さんが好きだから、歳三さんの願いや望んでくれる事をしたいし、それに添いたいと……」
「それでは、ただの操り人形だろう」
 思わず声を荒げてしまった斉藤に、総司は驚いたようだった。目を見開き、呆然と友人を見つめている。
 その細い肩を掴み、斉藤は激しく揺さぶった。
「しっかりしろよ!」
「え……」
「おまえは土方さんの本当を何も知らないんだ。土方さんは、おまえから何もかも奪ってきた。おまえを独占し、囲い込み、おまえの瞳に自分しか映らないよう、己の意のままになる操り人形になるよう仕向けてきたんだ」
「そんな……っ」
 総司は激しく首をふった。
「歳三さんは、私の事を想ってくれるのです。大切にしてくれるから、だから」
「友人もつくらせず、おまえから自分以外の全部を奪う事の、どこが大切にしているんだ。土方さんの許しがなければ、何一つ出来ない今のおまえのどこが、大切にされているんだ」
「……」
「オレと逢う事さえ、滅多に許されないこんな状況、絶対におかしいだろう!」
「……っ」
 総司はきつく唇を噛みしめてしまった。


 反論しようと思うのだが、うまく云うことができない。
 それは、とりもなおさず、斉藤の言葉が正しいという事なのか。反論の余地がないという事なのか。
 もともと素直で優しい性質である総司は、歳三にあまり逆らったことがなかった。
 何よりも、彼は自分より九つも年上だ。世慣れた大人の男だ。
 道場という小さな世界しか知らない総司が、頼りない子どもに見えるのは当然だった。
 だからこそ、いつも手をひき、あまり外とのつきあいもさせぬよう、大切に守ってきてくれたのだろう。
 それを否定する斉藤の言葉は、総司には辛いものだった。
 歳三を心から愛し、いつも歳三の言動はすべて自分のためのものと、無邪気に信じてきたのだ。
 なのに。


「……私は……」
 総司は口ごもりつつも、何とか想いを言葉にしようとした。
 だが、それを、斉藤が遮った。肩を掴む手に力がこもる。
「よく考えてみるんだ、総司。今のままでいいのか、それを考えてみるべきだとオレは思うよ」
「……斉藤さん」
「おまえは、おまえなんだ。土方さんの意のままになる人形じゃない」
 そう云った斉藤に、総司は唇を震わせた。友人を見上げる大きな瞳は、僅かに潤んでいる。
 いたいけな様子に、抱きしめてやりたいという衝動が突き上げたが、それを斉藤は堪えた。そんな処をもしも見られれば、逢う事さえ許されなくなるだろう。あの男の事への非難を、口にしただけでも危ういのに。
 見つめる斉藤の前で、総司は長い睫毛を伏せた。なめらかな頬に翳りが落ち、ぞくりと身震いするほどの色香が漂う。
 それは、そう。
 まるで──美しい胡蝶のように。


 うっとりと微笑む男の手の中、儚く羽ばたきつづける胡蝶。


 一瞬、そんな幻想を見た気がして、斉藤はきつく唇を噛みしめた。












「……ご馳走さま」
 かたんと箸を置いた総司に、歳三が顔をあげた。
 訝しげに形のよい眉を顰めている。
「どうした、体調でも悪いのか」
「いえ」
 小さく首をふった総司は、俯いた。
 最近、二人で食事をとるようになっていた。
 食が細い総司のために、歳三があれこれ買って来たり、魚をほぐし口に運んでくれたりするのだ。その甘やかしぶりは、普段の歳三を知る者たちからすれば唖然とする様だったが、総司は昔からされている事のため、あまり自覚がない。


 深く狂おしく愛されている、胡蝶。
 だが、その胡蝶自身は、己が囚われている事も、それ程までに愛されている事も、知らないのだ。


「熱でもあるんじゃねぇだろうな」
 そう云った歳三に、総司は小さく笑ってみせた。
「大丈夫です。ちょっと疲れただけだから」
「疲れたって、おまえ、今日は道場にいただろう」
「うん。歳三さんは……どこへ行っていたの?」
 訊ねてしまってから、あっと思った。
 知りたくないのに。今日はどんな女をその腕に抱いたのかなど、知りたいはずがないのに。
 それとも、本当は知りたいのだろうか。彼が女といた事を。
「俺か?」
 歳三は僅かに首をかしげた。総司を眺めながら、ふっと笑ってみせる。
「刀をな、探しに行っていたのさ」
「……刀?」
 思ってもみなかった事を云われ、総司は驚いた。
 そんな少年の前で、男は端正な顔を引き締めた。切れの長い目が鋭く光る。
「京へ上るんだ。なまくら刀じゃ、いざという時に戦えねぇだろう」
「戦うって……人を斬るという事ですか」
 怯えたように訊ねた総司に、歳三は何も答えなかった。ただ黙ったまま目を伏せ、食事をつづけている。
 それを見つめ、ぎゅっと両手を握りしめた。


 何だか、怖いと思ったのだ。
 自分は今度の浪士組の事を何も知らなかった。どういう事情なのか、成り行きなのか、全く知ろうともしていなかったのだ。
 歳三が行くから。
 一緒に行く事を望んでくれたから、ただ、それだけだった。
 だが、それは、斉藤が云った言葉にも繋がる行為ではないだろうか。
 何も考えず流されるまま、己の意志もなく、歳三の意のままにされている。これでは、本当に人形だ。
 別の何かを見据えている歳三にくらべ、あまりにも己が幼すぎる気がした。子どもっぽすぎる。
 こんな事で、本当に京へ行ってもいいのだろうか。
 彼の足手まといに、ならないのだろうか。
 歳三は、置いていかれる自分を不憫に思い、一緒にと云ってくれたのではないだろうか。優しい彼のことだ、ありえる事だった……。


「……歳三…さん」
 小さな声で呼びかけた総司に、歳三は何だと瞳をむけた。
 先程から様子のおかしい少年を、気遣わしげな表情で眺めている。
「どうした」
「あの、あのね……」
「総司?」
「京へ行くお話なんだけど、私、本当に……」


 本当に、一緒に行っても構わないの?


 そう訊ねようと思った。
 だが、どうしても言葉が出てこなかった。


 もしも、本当は来なくていいと云われたら?
 足手まといな子どもは鬱陶しいと云われたら?


 総司は、歳三に嫌われたら死んでしまうほど、彼のことを心から愛していた。ずっと憧れ、愛してきたのだ。その瞳に、彼しか映してこなかったのだ。
 総司にとって、歳三は全世界であり、己の命そのものだった。
 むろん、歳三が総司を愛してゆく中で、そう思うよう仕向けていった事など、まるで知らない。
「……何でもありません」
 結局、小さなため息とともに俯いてしまった総司を、歳三はしばらくの間、見つめていた。だが、やがて、手をのばすと、その華奢な躯をそっと引きよせた。
 広くて逞しい胸もとに抱きこみ、小さな子どもにするように優しく揺さぶる。
「どうした……今日の総司はおかしいな」
「何でもないのです……」
「なら、いいが」
 歳三は柔らかな笑みをうかべた。そっと、彼の唇が額や頬に押しあてられる。
「何か悩んでいる事があるなら、俺に云えよ。ちゃんとしてやるから」
「うん……」
「俺はいつでも、おまえの事を想っている。おまえのためなら、どんな事でもしてやる」


 男の言葉は紛れもない真実であり、そして、偽りでもあった。
 どんな事でもしてやると云いながら、歳三は、総司を手放す事だけは決してしないだろう。
 死ぬまで、この愛らしくも美しい少年を逃がすつもりはなかった。
 永遠に、己の手の中でだけ、その美しい羽を羽ばたかせていればいいのだ。


 だが、そんな彼の狂気じみた執着に気づいていない総司は、ゆるく首をふった。長い睫毛がそっと伏せられる。
「どんな事でもなんて……そんな、歳三さんに迷惑はかけたくないから」
「迷惑などあるはずねぇだろう」
「だって、嫌われたくないし」
「俺がおまえを嫌う? ありえねぇよ」
 思わず低く笑った歳三を、総司は大きな瞳で見上げた。桜色の唇が小さく震える。
「本当……に?」
「あぁ」
「私が邪魔になっても? こんな子どもで足手まといでも?」
「……総司」
 歳三は形のよい眉を顰めた。
「誰かに、そんな事を云われたのか」
「ううん……違うけど」
「なら、どうして急にそんな事を云い出す」
「だって」
 総司はまた俯いてしまった。歳三の胸もとに小さな頭を凭せかける。
 男の逞しい両腕が、華奢な少年の躯を守るようにまわされた。それを心地よく感じつつ、一方で、何か申し訳ない気がしてしまう。
 彼だって、こんな子どもに関わっているより、美しい女を相手にする方が楽しいだろうに。
「私は……子どもだから」
 小さな声で答えた総司に、歳三は安堵したようだった。何だ、そんな事かとばかりに、優しい笑みをうかべる。
 さくらんぼのような唇に甘い接吻をおとし、囁いた。
「子どもじゃねぇよ……俺の恋人だろう?」
「歳三、さん」
「おまえは、俺の大切な可愛い恋人だよ」
 優しい声でそう囁いてくれる歳三の腕の中、総司はこくりと頷いた。男の逞しい躯に寄りそえば、ぬくもりと鼓動を感じる。
 歳三は総司の躯を抱きしめ、大きな掌で柔らかく撫でまわした。着物の襟がするりと下ろされ、白い肌が浮かびあがる。そこに、熱い口づけが落とされた。
 花びらを散らすように。
「っ…ぁ、歳三さ…ん……」
「……総司、愛してる」
「私、も……」
 あたえられる甘い愛撫と接吻に、酔わされるように流されていきつつも、総司は底知れぬ不安を感じていた。

















今回は京都へ行く直前のお話です。