十六才ともなれば、もう半ば大人である。
しかも、この時代の少年は大人になるのが早い。
だが、宗次郎は同じ年頃の少年達に比べれば、あまり大人びていなかった。幼いという訳でもない。
ただ特別なのだ。
誰もがふり返ってしまうほど、美しく玲瓏とした少年。
可憐であり、かつ匂いたつような艶を纏う容姿は、より人目を惹くようになっていた。
絹糸のように柔らかな髪も、潤んだ瞳も、桜色の小さな唇も。
きつく抱きしめれば、壊れてしまいそうな華奢な躯も。
男の目を惹きつける仕草も、鈴のような笑い声も、花のような笑顔も。
そのすべてで、虜にし──狂わせる。
恋に、愛に、執着に。
宗次郎が十六になり、ますます美しく艶やかになるにつれ、歳三の執着も束縛もより深まり強まっていった。
この愛しい少年の周囲から、己以外のほとんどを排除してしまっている。
歳三の昔からの友であり、宗次郎の師である近藤は早くからその執着ぶりに気づき、危惧してはいたが、もはや傷つけるのでなければと半ば黙認してしまっていた。
むろん、宗次郎は、歳三の衝動にも束縛にも執着にも、全く気づいていなかった。歳三の方も注意をはらっている。宗次郎の前では、常に、優しい恋人、物わかりのいい兄代わりを演じつづけていたのだ。
甘く優しくて、いつも冷静で激する事なく、あたたかくそっと包みこむように愛してくれる大人の男。
それが、宗次郎にとっての歳三だった。
だが、むろん、それは全くの誤解だ。
本来の歳三は残酷で、傲慢で、身勝手きわまりない男だった。
宗次郎と自分さえ幸せであれば、それでいいと思っている。そんな事を平気で考え、実行するような男だった。
何よりも、己と宗次郎の間に立ちふさがるものに対しては、容赦がなかった。昔から何度も、徹底的に相手を叩きのめし、狂気や死にまでも追いやってきたのだ。
宗次郎のためならば、どんな残忍で恐ろしい事でも実行した相手がどれ程苦しみ、助けてくれと懇願しようが、形のよい眉一つ動かす事はなかった。きれいに整った顔に冷笑をうかべつつ、相手を地獄の底へと叩き込んだのだ。
宗次郎を泣かせるもの、怖がらせるもの、傷つけるもの。誰一人、許さない。宗次郎に手を出したもので、無事だった者など一人としていなかった。
だが、その事を宗次郎は知らない。
もしも、歳三の本当の姿を知れば、素直で優しい宗次郎はたちまち怯え、逃げてしまうだろう。
知らないからこそ。
己の言動が、男の胸内にどんな昏い感情をわきあがらせるか。
知らないからこそ、こんな事も無邪気に云えるのだ。
「あのね、歳三さん」
宗次郎は嬉しそうに頬を上気させ、云った。
試衛館の井戸端だった。
稽古の後、汗を拭っていた歳三に、宗次郎が手拭いをさし出しながら云ったのだ。
「明日の夜、少し出かけようと思っているのです」
「出かける?」
そう訊ねた歳三に、宗次郎はこくりと頷いた。
「先日、斉藤道場で知り合った人と、一緒に食事をする約束をしてて」
「……」
歳三は微かに眉を顰めた。
試衛館を訪れてくるような輩は、すべて排除している。昔から、宗次郎を囲いこむようにして育ててきたのだ。
だが、そのため、宗次郎にはほとんど友人というものがなかった。それが歳三のせいだとは、宗次郎は気づいていない。
しかし、いくら歳三でも、道場外のつきあいまで制限はできなかった。外で知りあってしまえば、お終いなのだ。
成長するごとに行動範囲も広がってきた宗次郎のすべてを、歳三も完全に捉える事ができなくなりつつあった。その事に、焦燥と憤りさえ覚える。
だが、その感情を押し殺し、宗次郎を見つめた。
「そうか」
頷き、静かな声で訊ねてやる。
「相手は? 一人か」
「はい。私と同じ年ぐらいの人なんです」
宗次郎の声は弾んでいた。
歳三のため、ほとんど試衛館の人間以外と外出した事もない。ましてや、道場外の者とのつきあいなど、全く初めての事だった。
そのため、そういう事をする自分が少し大人になったようで、嬉しくてたまらないのだろう。
そんな宗次郎に、歳三は目を細めた。
ここで止めるのは簡単だった。
素直な宗次郎は、恐らく歳三がやめろと云えば、すぐ頷くだろう。
だが、それでは、宗次郎の心を掴むことはできない。
十六になった宗次郎だが、歳三はまだ全く手を出していなかった。口づけや抱擁程度で抑えているのだ。
何もかも手に入れるのは、宗次郎をしっかり捕まえてからだと思っていた。
決して逃げられぬよう捕らえてから、この可愛い獲物をゆっくりと味わえばいいのだ。焦ることはない。
だからこそ、今、こんな事で口出しするのは得策ではなかった。
鎖はあまり絡めすぎても、いけないのだ……。
「楽しんでおいで」
そう云った歳三に、宗次郎は目を見開いた。
それから、ぱっと輝くように笑う。
「いいの? 構いませんか?」
「あたり前だろう。友人とのつきあいにまで、口出ししたりしねぇよ」
歳三は優しく笑い、宗次郎の髪を撫でてやった。
それに、宗次郎はほっとしたようだった。駄目だと云われると思っていたのだろう。
「歳三さん、ありがとう」
なめらかな頬を上気させ、そう云った宗次郎に、歳三は黙ったまま静かに微笑んだ。
その事を切っ掛けに、宗次郎の外出は際だって増えた。
やはり、気だてもよく可愛らしい宗次郎なのだ。人に好かれぬはずもなく、友人の数はみるみる増えていった。
だが、それを歳三は全く止めようともしなかった。穏やかに笑って見送るだけの彼の姿に、近藤などは不審に思ったようだが、それに「宗次郎もそろそろ大人だからな」と笑ってながすばかりなのだ。
結局、それを不満に思い始めたのは、宗次郎の方だった。
(……歳三さんは、優しいけれど……)
宗次郎は長い睫毛を伏せた。
今日も外出の予定だった。今、その待ち合わせ場所へ向っている最中だ。
だが、あれこれ考えこんでいるうちに、宗次郎の足は全くとまってしまっていた。町角に佇み、切なく唇を噛みしめる。
いつも優しく包みこんでくる彼は、今もだい好きだった。
誰よりも一番好きで好きでたまらない、恋人だ。
だが、歳三自身はどうなのだろうか。
確かに、好きだと云ってくれるし、口づけや抱擁はしてくれる。だが、宗次郎もわかっているのだ。恋仲である以上、いずれ、もっと深い関係になるという事も。
怖いと思うが、それでも歳三となら構わなかった。なのに、歳三はそんな素振りまったく見せた事がない。
(もしかすると、私なんかに……その気にならない?)
そう考えるだけで、ずきっと胸奥が鋭く痛んだ。
もともと、歳三はかなり女にもてる。宗次郎を恋人としながらも、どうやら今でも時折、花街に通っているようだった。
あちこちに女がいるという話も聞いた事があった。それを、自分がまだ幼いからだ、我慢してくれているからだと、仕方なく思ってきたのだが。
もう、宗次郎も十六だ。
大人になりつつあるという自覚もあるし、もし娘であるのなら嫁いでいてもおかしくない年頃だった。
だが、それでも、歳三は宗次郎に全く手を出さない。その事への不安がふくれあがりつつある時に、今回の出来事だった。
どれだけ他の男と外出しても、全く動じない彼。
嫉妬するどころか、無関心としか思えない彼の態度に、宗次郎は半ば泣きそうな気持ちになっていた。初めは嬉しかった外出も、歳三のあまりの素っ気なさに、不安になり、やがて淋しく切なくなってきたのだ。
そんな自分を我侭だと思いはしたが、まだまだ子供だとまた泣きたくなったが。
「……」
宗次郎は深くため息をついた。
そんな少年を、道ゆく人がちらちらと眺めてゆく。
町角に佇み、憂いを含んだ瞳を僅かに潤ませているその姿は、人目をひいて当然の艶やかさだった。
可憐でありながら、どこか幼い色香を漂わせた宗次郎は、美しい花のように、誰をも惹きつけてしまう。
それは、優しい者だけではなく、醜い悪意をもつ者も───
「──可愛い顔してるぜ」
気がつけば、すぐ傍から顔を覗き込まれていた。
はっと見回した宗次郎は、息を呑む。
いつのまにか、細い少年の躯を隠すように、派手な身なりの若者二人が立ちふさがっていたのだ。慌てて身を捩り逃げだそうとしたが、すぐさま遮られる。
「逃げるなって、なぁ、オレたちと遊ぼうぜ?」
「い、いや。離して下さい」
「可愛い顔して素っ気ないなぁ。楽しませてやるからさ」
「結構です! 離してっ」
必死になって宗次郎が身を捩った、その時だった。
男たちの肩に手が置かれ、低い声が響いた。
「……やめろ。嫌がっているだろうが」
男達が驚いたようにふり返ると、そこには、若い男が佇んでいた。すらりとした長身に、女ならば誰もがふり返るような甘い端正な顔だちをしている。
腕力では勝てると思ったのか、若者達は嘲りの言葉を返した。
「何だい、あんた、こいつを横どりする気か」
「……」
彼らの言葉に、歳三は形のよい唇を微かに歪めた。だが、静かな表情のまま云った。
「やめろと云っているんだ」
「あんたに何の関係が……っ」
そう云いかけた時だった。不意に、宗次郎が男達の隙をついて、逃げ出したのだ。
「歳三さん……!」
そう叫びながら、歳三の腕の中へ飛び込んでゆく。それを素早く受け止め、己の背に押しやってやりながら、歳三は切れの長い目で彼らを見据えた。
だが、既にもう若者達は後ずさり出していた。
歳三という名と、その容姿に、思い当たる節があったのだ。宗次郎は全く知らない事だが、歳三の酷たらしいまでの残忍さは、ある界隈で有名な事実だった。
「……」
彼らは声もなく背を向け、逃げ出していった。それを、歳三も追わず、黙ったまま眺めている。
やがて、後ろをふり返ると、宗次郎に話しかけた。
「大丈夫か」
「はい」
こくりと頷いた宗次郎に、ほっとした表情になり、歳三は優しく髪を撫でた。
「怪我はないな? なら良かった」
「歳三さん、あの……」
もしかして心配して、ついて来てくれた?
そんな期待を抱いて見上げた宗次郎に、歳三はくすっと笑った。
「本当に、おまえは目が離せねぇな。たまたま、俺が通りかかったから良かったものの」
「通りかかった……の?」
「あぁ」
そう云って歳三が顎をしゃくった先に、嫣然とした笑みをうかべる女がいた。いかにも、花街の女らしく仇っぽく美しい。
事が済んだと思ったのか、女は歳三の傍へ近寄ってきた。ふっくらとした白い指さきで男の腕にふれ、耳もとに何か囁きかける。
甘い香りが女から漂い、仕草が見惚れるほど艶めかしかった。
歳三も微かに笑い、女に言葉を返した。
その表情は今まで見た事のない種類のものだった。濡れたような黒い瞳が、大人の色香を感じさせる。
「……っ」
宗次郎は目を見開いた。小さく、こくりと息を呑んでしまう。
ずっと今まで不安に思ってきたものが、目の前に突きつけられた思いだった。
思わず後ずさり、ゆるく首をふった。それに気づいた歳三が訝しげにふり返り、問いかけてくる。
「宗次郎?」
「……わ、私……」
口ごもった。だが、必死になってつづけた。
「あの、先を急ぐから……だから、ごめんなさい」
「宗次郎、おまえ」
「すみません、歳三さん」
ぺこりと頭を下げてから、宗次郎は駆け出した。後ろで歳三が自分の名を呼んでいるのはわかっていたが、それでも走りつづけた。
必死になって逃げるように走りながら、だが、宗次郎は一抹の淋しさを覚えずにはいられなかった。
胸の奥がずきずき痛かった。
(追いかけてもくれないんだ……歳三さん)
これから、あの女と一緒に過ごすだろう彼の事を思うと、また泣き出したくなった……。
