やはり、そういう事があったためか、その日の食事はあまり楽しくなかった。
 昔からの友人である斉藤も同席していたのだが、心配そうにちらちらと宗次郎の方ばかりを伺っていた。
 だが、宗次郎はずっと目を伏せ、己の中にうずまく感情を決して外へ出さぬよう気をつけていたのだ。
 ようやく帰りついた試衛館の門をくぐる時も、とにかく早く寝てしまおうと思っていた。もう誰とも顔をあわせたくなかったし、話をしたくなかったのだ。
 なのに。


「───宗次郎」


 門をくぐったとたん、声をかけられ、宗次郎はびくりと躯を震わせた。
 嫌な予感とともにふり返れば、そこにはやはり、今一番逢いたくない男が佇んでいた。
 昼間見たのと同じ黒い小袖を着流した姿が、まるで闇の中にとけ込むようだ。
「……っ」
 宗次郎は思わず両手を握りしめた。
「な、何ですか」
「えらく遅かったんだな」
「それは……」
 宗次郎は俯いてしまった。
 試衛館に戻って歳三と顔をあわすのが嫌さに、今までぐずぐずしていたなどと、とても云えたものではなかった。
 黙り込んでしまった宗次郎を前に、歳三はため息をついた。
「あんな事があったんだ。早めに戻ってくるべきじゃねぇのか」
「……」
「つきあいもいいが、もう少し自覚をもった方がいい。今日の事に懲りたなら、当分は外出を控えろ」
 落ち着いた声で、歳三は云った。小さな子どもを諭すような口調に、かっとなる。
 気が付けば、踵を返しかけた歳三に、叫んでいた。
「自覚って、何ですか!」
 声が上ずった。
「私が子供だって事? 一人じゃ危なっかしい子供だと思ってるのっ?」
「……」
 歳三はふり返り、形のよい眉を顰めた。
 しばらく無言のまま宗次郎を眺めてから、静かな声で答える。
「そんな事を云ってないだろう。俺はおまえを子供だなんて思っていねぇよ」
「なら、どうして? 自覚って何」
「……」
「子供だと思ってるから、歳三さんは私を恋人扱いしてくれないのでしょう? こんな子供相手にその気になれないから、だから……っ」
「宗次郎」
 歳三は小さくため息をついた。
 それがまた、子ども相手に困っているのだと思い知らされるようで、目の奥が熱くなる。
 ぎゅっと唇を噛みしめる宗次郎に、歳三は云った。
「俺はおまえを恋人だと思っているよ」
「でも」
「恋人だと思っているからこそ、こうして心配しているんじゃねぇか」
「心配って……そんなの」
 子どもだからじゃない。私が子どもっぽいから、心配している。

 ただ、それだけのくせに!
 宗次郎は思いっきり叫んだ。
「歳三さんの気持ち……わからない。私には全然わからないっ」
 そう叫ぶなり、身をひるがえした。
 ばたばたと足音をたてて框をあがり、廊下の奥へ走り去ってゆく。
「……」
 それを見送り、歳三は微かにため息をついた。
 片手で前髪を煩わしげにかきあげながら、形のよい唇を歪める。


(子供相手にその気になれない、か……)


 いったい、自分がどんな事を考えているのか。
 その事実を知ったら、あの少年はどうするのだろう?
 怯え、逃げ出すのだろうか。
 今、この瞬間にも。
 あぁして言葉を交わしながら、暗い衝動を疼かせていたのだと、知ったなら。細い躯を地面に組み伏せ、貪りつくしたい──そんな男の衝動を。
 彼の中に潜む凶暴で残酷な獣の存在を、あの少年は知らないのだ。
 いつも、歳三がどんな男の目で、宗次郎を見つめているのか、知らない。
 欲望と衝動と、愉悦と、快楽と。
 視線で犯せるものなら、とうの昔に、宗次郎は彼に蹂躙されてしまっていた。
 その柔らかな唇も、なめらかな頬も、のびやかで細い肢体も、男の欲望に穢されてしまっている。
 だが、その事を、宗次郎は知らない。
 知らないからこそ、あんな言葉を吐いてくるのだ。


「あまり男を煽るなよ……」
 宗次郎が消えた方を切れの長い目で見やり、歳三は低く嗤った。













 数日後の事だった。
 宗次郎は、歳三とも知り合いである伊庭に誘われた。
 前々からの誘いだった事もあり、宗次郎はそれを承諾したが、頭の片隅にはむろん歳三の「控えろ」という言葉があった。
 だが、それをふり払うように首をふり、誘いに応じたのだ。前回と違い、昼間だった事もあった。
 伊庭との語らいは楽しかった。同じ年頃であり、また剣術にも優れた相手のため色々と話も弾む。
 ここ数日塞いでいた気持ちも浮立ち、宗次郎は久々にちゃんと呼吸ができたような、そんな感覚になった。
「今日は楽しかったです」
 宗次郎はきちんとお礼を云い、頭を下げた。
 店を出た処だった。
「こっちこそ、楽しかったよ」
 伊庭は笑い、宗次郎の頬に指さきでふれた。
 なかなか整った顔だちである伊庭と、可愛らしい少年の宗次郎との組み合わせに、道ゆく者が興味深そうにふり返ってゆく。
「また誘ったら、応じてくれるかい?」
「はい。喜んで」
 きれいな笑顔で答えた宗次郎に、伊庭も微笑んだ。
 掌で宗次郎の頬を撫でたが、もともと歳三に馴らされてしまっている宗次郎は驚かない。
 逆に、喉を撫でられた仔猫のように、気持ちよさげに目を細めただけだった。
「……」
 それに、伊庭は小さく苦笑してから、手をひいた。
 この少年に対する歳三の執着を知っているのだ。生半可な気持ちで手を出せばどんな事になるのか、わかりきっていた。
 むろん、伊庭自身も、宗次郎に生半可な気持ちで手を出すつもりはないのだが。
 恋をするのなら、本気だ。
「また、な」
 ある意味を含んだ言葉で、伊庭は宗次郎に別れを告げた。それに気づいているのかいないのか、宗次郎が「はい」と頷く。
 伊庭と別れた宗次郎は、試衛館へ向って歩き出した。その頬は上気し、足取りも軽い。
 歳三の事が気にはなっていたが、やはり、同年代の友人とのつきあいは楽しいのだ。心がうきたつ。
 だが、角を曲がったとたん、目を見開いた。
 思わず息を呑んだ。
「……歳三、さん」
 角をまがってすぐだった。
 ずっと武家屋敷の塀がつづく一角。
 その壁に背を凭せかけ、若い男が立っていたのだ。腕を組み、僅かに目を伏せている。
 端正な横顔に、珍しい程の苛立ちを感じとり、宗次郎はその場に立ちすくんだ。
「ぁ……」
 何か云わなきゃと思うが、声が出てこない。
 そんな宗次郎に、歳三が顔をあげた。しばらく少年を見つめてから、ゆっくりと歩み寄ってくる。
 手がのばされ、ぐっと肩を掴まれた。
「……宗次郎」
 低い声で名を呼ばれ、びくりと竦みあがった。
 見上げると、歳三は形のよい眉を顰め、じっとこちらを見下ろしている。
「おまえは……俺の云う事が聞けねぇのか」
「歳三、さん」
「つきあいも許しただろう。怒ったりしなかっただろう。なのに、あんな事があって……やめろと云ったのに、おまえはどうしてまた出かけてゆくんだ」
「……」
「俺との事より、他の連中の方が大事なのか? もう、どうだっていいのか。おまえにとって、俺はいったい何なんだ」
「それを……っ」
 不意に、宗次郎が歳三の手をふり払った。なめらかな頬がぱっと紅潮する。
「それを歳三さんが私に聞くの? 何って、聞くの?」
「宗次郎」
「私の方が聞きたいのに!」
 そう叫んでから、宗次郎はぎゅっと両手を握りしめた。掠れた声で、問いかける。
「私は、いったい……歳三さんの何なのですか」
「恋人だろう」
「本当に? 本当にそう思ってる?」
 大きな瞳が潤み、歳三を見つめた。
「恋人なら、どうしてもっと気にしてくれないの。怒ってくれないの。それに、いつまでも子供扱いして……私、歳三さんの気持ちがわからない」
「宗次郎……」
 戸惑ったようにその名を呼ぶ歳三の腕の中へ、宗次郎は飛び込んだ。男の広い胸もとにむしゃぶりつくように頭を押しつけ、きつく抱きつく。
「好きなの……好きでたまらないのです。歳三さんだけが好き……!」
「……」
「だから、お願い。私を見て、もっと私を見て……好きになって下さい。私は、歳三さんがいてくれないと、見ててくれないと、不安でたまらなくなるの。怖くて息ができなくて、泣きたくなってしまうの」
「宗次郎……」
 歳三の腕が宗次郎の細い躯にまわされた。小さな背を撫でてから、優しく抱きすくめる。
 柔らかな髪に頬を擦りよせ、歳三は目を閉じた。
「わかったよ。すまねぇ……おまえを不安にさせちまって、悪かった」
「歳三さん……」
「俺は、おまえが好きだ。おまえだけが可愛い……一番好きだ。だからこそ、ずっと大切にしてきたし、見守ってきてつもりだったが……もう、宗次郎も大人になっていたんだな。子供じゃねぇんだよな」
 歳三は身をかがめ、宗次郎の耳もとや首筋に、唇を押しあてた。それだけで耳朶まで真っ赤になってしまう少年が、たまらなく可愛い。
 それを、とけそうなほど優しい瞳で見つめ、歳三は微笑んだ。
「愛してるよ、宗次郎」
「歳三さん」
「すげぇ可愛い。おまえだけが俺を狂わせる……」
「狂う?」
 不思議そうに問いかけた宗次郎に、歳三はくすっと笑った。僅かに、目を細める。
「恋に狂うって、事さ」
「恋に……」
 そう呟いてから、宗次郎は不意につまさき立ちになった。両手を歳三の肩に置き、小さな蕾のような唇を男の耳もとに近づける。
「……もっと狂って」
 幼い艶をふくんだ声が、甘く囁いた。
「私だけを見て……狂って」
「……」
 一瞬、歳三の目が見開かれた。
 だが、すぐ、口角をあげると、宗次郎の細い背に手をまわし、抱きよせた。
 耳朶を噛むようにして、低く囁き返した。
 恋人たちだけに許された、甘い睦言。
「……ぁ」
 とたん、宗次郎は羞恥がこみあげたようだった。恥ずかしそうに男の胸もとへ顔をうずめてしまう。
 華奢な躯に両腕をまわし、柔らかく抱きしめた。
「……」
 歳三は少年の細い躯の感触を味わいながら、目を伏せた。
 そして、薄く嗤った。


 とうの昔に狂ってしまっている俺だが、それでも。
 おまえが望むだけ、狂ってやる。
 可愛い宗次郎。
 おまえの躯ごと、心ごと、溺れこみ──狂ってやる。
 わからないと告げる、俺の気持ち。
 全部、教えてやるよ……


 歳三は宗次郎の額に接吻を落としてから、身を起した。
 細い肩を抱きよせて促し、ゆっくりと歩き出してゆく。
 その方向が試衛館でない事に気づき、宗次郎は、不思議そうな顔で彼を見上げた。
「歳三さん……?」
「何だ」
「どこへ、行くのですか?」
 そう問いかけた少年を、歳三は静かな瞳で見下ろした。
 黙ったまま、なめらかな頬を、白い首筋を、桜んぼのような唇を、そっと指さきで撫でてやる。


 さぁ、どうやって味あおう。
 俺だけの可愛い獲物───


「……いい処さ」
 優しい声で答えた歳三に、宗次郎は小首をかしげた。だが、それ以上の問いは許さず、歩き出す。
 夕闇にみたされる空の下。
 少年の細い肩を抱きよせながら、歳三は静かに低く嗤った……。