「何か用か?」
 そう声をかけたとたん、少年は驚いたようにふり返った。
 だが、そのくせ、彼を見てもあまり驚いた表情はしていない。
 宗次郎と同じ年格好のようだが、その割に大人びた雰囲気のある少年だった。
 少しつり上がった目が印象的だ。
 試衛館道場の玄関口に佇んでいた少年は、そこへ裏の方からまわってきた男を、じっと見上げた。
 それから、云った。
「私は斉藤一と云います。宗次郎に用があって来ました」
「……」
 一瞬、歳三は無言のまま眉を顰めた。
 それは、いきなり愛しい少年の名を出された事もあったが、この見も知らぬ少年が、彼の可愛い宗次郎の名を馴れ馴れしく呼んだ事への不快さもあった。
 だが、すぐに表情をあらためると、表向きの柔らかな声音で答えた。
「宗次郎にか。なら、悪いが……あいつは留守だ」
「留守?」
「今、外へ出かけている」
 そう答えた歳三に、斉藤という少年は困ったような表情になった。しばらく黙っていたが、やがて、顔をあげると云った。
「では、申し訳ありませんが、言づて願えますか」
「あぁ、いいよ」
 歳三は、整った顔に柔らかな笑みをうかべた。誰もが見惚れてしまう、きれいで優しい笑顔だ。
 それに安堵したのか、斉藤は云った。
「今度、うちの近くでお祭りがあるので、また誘いに来ますと」
「わかった」
「よろしくお願いします」
 そう云うと、斉藤はさっさと踵を返した。
 背筋をぴんと伸ばし去ってゆく様は、どこから見ても侍の姿だ。
 あと数年たてば、十分、歳三とも張り合えるようになるだろう。だが、今はまだ少年だった。まだまだ、大人の彼には太刀打ちできない。
「……」
 立ち去る斉藤を見送り、歳三はうっすらと嗤った。
 形のよい唇の端がつりあがる。
「……誰が伝えるかよ」
 冷ややかな嘲笑とともに呟いた歳三は、着物の裾をひるがえし、建物の中へ入っていったのだった。







 二人の仲が変化したのは、ごく最近の事だった。
 兄弟同然だった歳三と宗次郎は、ついこの間、互いの気持ちを確かめあい、恋仲となったのだ。
 だが、歳三はまだ宗次郎に全く手出しをしていなかった。
 宗次郎が年齢の割にはとても幼く初だという事もあったが、ようやく手にいれた愛しい少年なのだ。焦らず、ゆっくりと己に馴らしてゆきたかった。二度と、とり逃がしてしまうことがないように。


 それ程、歳三は宗次郎に執着していた。


 溺愛と云ってもよい。その執着は一種狂気じみていた。だが、それに気づいた人間はあまりいない。
 昔から、宗次郎が欲しいと望んだ時から、愛しい少年に近づこうとする者はすべて排除し、その瞳に己だけが映るよう仕向けていた。
 宗次郎にふれる者、宗次郎を見つめる者、そのすべてが排除すべきものなのだ。
 その異常なまでの愛に、執着に、宗次郎自身はむろん何も気づいていない。
 見つめられる事に怯えたのもほんの一時で、あの夜、歳三に告白したように、今や彼に見つめられる事を自ら望むようにされてしまっている。
 何もかも、歳三の望んだ通りだった。


 あの愛らしくも美しい少年は、彼だけのものなのだ……。


 道場の廊下を歩みながら、歳三は微かに笑った。












 白い雲が空をおおっていた。
 それを見上げ、宗次郎は小さく吐息をもらした。
 この少年が外出していたのは、事実だった。
 おつかいに出かけたのだ。
 むろん、歳三が傍にいれば同行しただろうが、日野から着いた時点で、宗次郎は既にもう出かけてしまっていたのだ。
 その事を、宗次郎自身も淋しく思っている。


(歳三さんに、早く逢いたい……)


 今日明日中には来てくれるという話だったが、確かな事ではないのだ。
 それでも、宗次郎は早く道場へ戻りたかった。もしも歳三が来てくれているのなら、少しでも長く傍にいたい。
 最近、あまり逢っていなかった。歳三自身が試衛館を訪れてくれていなかったのだ。それが何故かは知らない。
 宗次郎にとって、歳三の行動はわからない部分の方が多かったが、だからと云って、それを聞きただそうとも思わなかった。
 利発でありながら、十四才という年齢の割に幼く、また控えめな性格でもある宗次郎は、歳三との恋愛でも同様だった。歳三にすれば、もっと甘えてくれればいいのだが、それは宗次郎には伝わっていない。
 宗次郎にとって、歳三は九つも年上の大人の男だった。
 誰もがふり返るほどの水際だった端正な容姿をもち、頭も切れ、人から好かれる性格のため、友人も多い。そんな彼が自分を選んでくれた事自体が夢のようで、時々、本当に?と確かめてみたくなる程だった。


 ずっと傍にいて。
 ずっと好きでいて。


 そんな事を思いながら、なかなか口にはだせなかった。
 だが、だからこそ、宗次郎は一生懸命だったのだ。
 子供じみた我侭で、彼に飽きられたり嫌われたりされたくなかった。
 そんなの考えただけで、泣き出したくなるほど恐ろしい事だった。
 むろん、歳三が宗次郎を嫌ったり飽きたりするなど、全くありえぬ事だったのだが。







「……宗次郎?」
 不意に、後ろから声をかけられ、宗次郎はびくんとした。
 大きな目を瞠ってふり返れば、そこには最近知り合ったばかりの友人である斉藤が立っていた。
「あ」と小さく声をあげた宗次郎に、斉藤は大人びた笑みをうかべ、歩み寄ってきた。
「ちょうど良かった」
「斉藤さん」
 宗次郎は、丁寧にその名を呼んだ。同じ年頃だが、姉であるお光に厳しく育てられてきた宗次郎は、いつも他人に対して言葉使いが丁寧なのだ。
 斉藤はそんな宗次郎を見下ろし、云った。
「ちょうど良かった。さっき、試衛館へ行ってきた処だったんだ」
「試衛館へ?」
 不思議そうに、宗次郎は小首をかしげた。
 斉藤は穏やかで優しい性質だが、あまり出歩く事も少なく、宗次郎とも剣の上でのつきあいの方が多かった。
「どうしでですか?」
「いや、うちの近くで祭りがあってさ。それに行かないかと誘いに来たんだけど」
「お祭り?」
 思わず声を弾ませた。お祭りとか賑やかなものが、宗次郎はだい好きなのだ。
「わぁ、行きたいです。いつですか?」
「明後日」
「……あ」
 とたん、宗次郎は申し訳なさそうな表情になってしまった。大きな瞳で上目遣いに斉藤を見つめる。
「ごめんなさい」
「都合が悪いのか?」
「えぇ。その日は、歳三さんとお芝居を見に行く約束で……」
「……歳三さんって」
 一瞬躊躇ったが、斉藤は低い声で問いかけた。
「もしかして、やたら綺麗な顔をした若い男の人か? けっこう背の高い」
「えっ、斉藤さん、知ってるのですか」
「っていうか、さっき会ったんだ。おまえへの言づてを頼んだんだけど……」
「あ、じゃあもう来てくれているんだ!」
 宗次郎は輝くような笑顔になった。
 本当に嬉しそうに、なめらかな頬を上気させ、今にも道場へ駆け出してしまいそうだ。
 その様子から、宗次郎がその男の事を好きで好きで仕方ないのだと見てとれ、斉藤は思わず眉を顰めた。
「……あのさ、宗次郎」
「え?」
「あの歳三って人、おまえの何なんだ? 兄さんがわりか」
「え、えーと……」
 宗次郎は思わず口ごもってしまった。
 本当は、恋人と云ってしまいたいが、やはりそれは出来ない。
「うん、その……兄さんがわり、かな?」
「そうか。おまえ、あの人にえらく懐いているんだな」
「子供の頃からのつきあいだし……」
「ふうん」
 斉藤の意味ありげな云い方に、宗次郎は不思議そうに小首をかしげた。大きな瞳で、もの問いたげに見つめる。
「どうかしたのですか? 何か歳三さんに云われた?」
「違うけど。愛想よく応対してくれたけど……でも」
 斉藤は微かに目を細めた。
「何か、怖い人だよな」
「怖い?」
「あぁ。底知れないっていうか、笑顔なんだけど、その裏に冷たくて恐ろしい何かがあるっていうか」
「……」
 宗次郎は思わず、そんなの違う!と叫びかけた。だが、斉藤の真剣な表情に何も云えなくなってしまう。


 宗次郎にとって、歳三は誰よりもだい好きな人だった。
 いつも優しくて、怒った事などなくて、宗次郎をあたたかく包みこむように見守ってくれる。
 そんな彼が冷たくて恐ろしいなんて、とても信じられなかった。
 きっと、斉藤はまだ一度しか逢った事がないから、そう感じたのだろう。
 歳三はとても綺麗な顔だちをしているが、ともすれば、冷たい印象をあたえてしまうのだ。
 それが今回も誤解をあたえてしまったに違いない。


「……そろそろ行かなくちゃ」
 宗次郎が小さな声で云うと、斉藤は少し気まずそうに頷いた。
 手をのばし、そっと宗次郎の細い肩にふれてから、「じゃあ、またな」と踵を返した。
 歩み去ってゆく友人の姿を見送り、宗次郎はため息をついた。
 気にしないでおこうとは思うが、思ってもみなかった言葉を云われ、頭の中が少し混乱してしまったのだ。
 そのため、おつかいを終えてからも、宗次郎は考え事ばかりしていた。荷物を抱え、ぼうっと考え事をしながら歩いてゆく。
 とたん、前からやってきた男に、思いっきりぶつかってしまった。
「あっ」
 転んだとたん、怒声が飛んだ。
 だが、慌てて顔をあげた宗次郎を見たとたん、その侍らしい男は態度を変えた。
 まだ若い男だったが、酷く荒んだ印象だった。恐らく酒と女に明け暮れ、体も精神も持ち崩してしまっているのだろう。
 昼から酒の匂いがぷんとする男に、宗次郎は身を竦めた。
「可愛い子じゃないか」
 男はにやにや嗤いながら、宗次郎の手首を掴んだ。引き起こしてくれたのはいいが、そのまま引きずられ悲鳴をあげそうになる。
「な、何ですか」
「おれにぶつかった詫びだよ。詫びるのが当然だろう? 何しろ、侍にぶつかったんだからな」
「そ、それはすみません。申し訳ありませんでした」
「言葉だけじゃ足りないな。ほら、いい処に連れていってやるよ。楽しい思いをしようぜ」
「い…いや! 離して!」
 宗次郎は必死になって身を捩った。だが、酔漢の力は凄まじい。
 周囲に人気がなかった事も災いし、宗次郎は近くの雑木林の中へ引きずりこまれようとしていた。悲鳴をあげかけたとたん、その口を汚い手で覆われる。
 宗次郎は目を見開いた。


(誰か……歳三さん、助けてッ!)


 心に叫んだ、その瞬間だった。


「……その辺で、勘弁して貰えませんか」
 丁寧だが、凄味のある低い声がかけられた。












「大丈夫だったのか、宗次郎」
 顔をあわせてすぐそう訊ねた近藤に、宗次郎はこくりと頷いた。
 試衛館の中にある近藤の部屋だった。
 結局、あの後、宗次郎は助けてくれた歳三と共に、無事ここへ帰ってくる事ができたのだ。
「歳三さんが助けてくれましたから」
「……」
 思わず視線をやった近藤に、歳三は僅かな苦笑をうかべた。
「助けると云っても、声をかけただけさ。勘弁してやってくれと、俺がかわりに謝るからと云ったら、結局それで収まったよ」
「それだけか?」
 訝しげな声音で訊ねられ、かるく眉を顰めた。
「何が」
「だから、おまえがそんなに下手に出たのか」
「あたり前だろ。あんた、何を考えているんだ」
 歳三は可笑しそうに声をあげ、笑いだした。
「まさか、その侍相手に斬り合いでもしたと思ったのかよ。いくら俺でも、そんな莫迦な事しやしねぇよ」
「宗次郎がそんな酷い目にあわされてもか?」
「何だ、あんたも宗次郎と同じ事で責めるだな。二人とも、俺が侍を叩きのめした方が良かったと思ってる訳だ」
 うんざりしたように、歳三は肩をすくめた。
 傍できちんと正座していた宗次郎が、僅かに頬を赤らめる。だが、少し不満というか、不安に思っているらしく、桜色の小さな唇が何か云いたげだ。
 それに気づいた近藤が促した。
「宗次郎、思っている事があるのなら云ってごらん」
「でも……」
「歳は怒らないよ。おまえの事なのだから」
 近藤がどうしてそうも断言するのかわからなかったが、宗次郎は結局、おずおずと小さな声で云った。
「……喧嘩になるのは嫌だけれど」
「うむ」
「少しは……その、相手の人を怒ってくれてもいいかな、と思ったのです……」
 宗次郎の言葉に、歳三は端正な顔に苦笑をうかべた。だが、すぐ宗次郎の柔らかな髪を撫でてやりながら、静かな声で云った。
「俺も怒りたかったさ。すげぇ腹がたっていたよ」
「……」
「けど、あそこで俺があの侍相手に斬り合いしてみろ、おまえまで巻き添えくっちまうだろ? 下手すりゃ怪我させちまうかも、しれねぇだろ?」
「あ」
 宗次郎は驚いたように顔をあげた。それを、歳三は優しい瞳で見つめた。
「あれ以上、おまえをあの場にいさせたくなかったんだ。怖い思いをさせたくなかったんだよ。だから、さっさとおまえを連れて帰ってきちまった。けど、そのせいでおまえが俺の事を不安に思ったのなら、謝る。ごめんな」
 真摯に言葉を重ねてくれる歳三に、宗次郎は大きな瞳を潤ませた。思わず近藤の前である事も忘れ、その胸もとにしがみつく。
「……歳三さん、ごめんなさい」
「宗次郎」
「私の事を本当に大切に思ってくれているのに、なのに……あんな拗ねたりして」
「拗ねてたのか?」
 くすっと笑い、歳三はその細い躯を抱き寄せてやった。幼い子供にするように、ぽんぽんと背をかるく叩いてやる。
「だから、帰り道、ずっとふくれっ面だった訳だ」
「ふくれっ面なんかじゃ……」
「それでも、すげぇ可愛いけどな」
 楽しそうに笑いながら、歳三は云った。
 宗次郎は、だい好きな人から可愛いと云われ、なめらかな頬を真っ赤にそめた。恥ずかしそうに長い睫毛を伏せ、男の胸もとに縋りついている。
 そんな初々しいばかりの恋人たちを眺めながら、近藤は口許を固く引き締めた。