総司はちょっと唇を尖らせていた。
その桜色の唇は接吻を誘うようで、思わず「口づけて欲しいのか?」と訊ねてしまったのだが、尚更、怒りを買ったようだ。
「何を云っているんですか! そんなんじゃありませんっ」
「じゃあ、何でそんな風に唇を尖らせている」
「あなたのせいです」
「俺の?」
土方は不思議そうに首をかしげた。
まったくわからないらしく、ぐるりと店内を見回してから、黙ったまま肩をすくめてみせた。
恐らく、こうしてちゃんと甘味処にも連れてきただろうと云いたいに違いない。でもって、ちゃんと約束の蜜豆を奢ってやったと。
(それはそうなんだけどー)
総司はため息をついた。
何の因果か、こうして向きあって蜜豆を食べている(いや、彼の方は茶を飲んでいるだけだが)男は、ほんの二十日ばかり前に逢ったばかりだ。
今もこうして甘味処に坐っているだけで、とんでもなく注目を集めている男。
水も滴るようないい男というのは、彼のような男を云うのだろう。
艶やかな黒髪も、その濡れたような黒い瞳も、優しげな唇も。
今、総司の手にそっとふれたしなやかな指さきまで、本当に彼は端正で綺麗なのだ。
なのに……
そんな事を思いながら、ぼーっと見惚れていると、土方は取り上げた総司の手に柔らかく唇を寄せた。人目も憚らず、指さきに口づけてくる。
それに、総司もようやく我に返った。慌てて手をもぎ放し、叫んだ。
「な、何をしてるんですかっ!」
「あいさ……」
「挨拶じゃありません! もうその言い訳は聞きませんからね」
「じゃあ、口説き落としかな」
くすくす笑いながら答える男の笑顔が、また魅力的で。
総司はもう土方の方を極力見ないようにしながら、せっせと蜜豆をかきこんだ。
「御馳走さまでした!」
甘味どころを出ると、総司は元気よく挨拶した。
それから、はっきりきっぱり云ってやった。
「これでもう、私たちは関係ありませんからね。ちゃんとお礼もして貰いましたし」
「そんな冷たい事、云うなよ」
たちまち、土方は淋しそうな表情になった。不安げにゆれる彼の黒い瞳を見ていると、総司もちくちく良心が痛んでしまう。
きゅっと唇を噛んだ。
俯いてしまった総司に、なぜか土方は慌てた。その手を握りしめ、瞳を覗きこんできた。
「そんな顔をしないでくれ。おまえを困らせているなら、謝るから」
「……困っていませんけど……」
「じゃあ、これからも逢っていいな? 構わねぇな」
「う…ん……」
しぶしぶ頷いた総司に、土方は嬉しそうな表情になった。見上げると、ふわりと綺麗な笑顔をむけられる。
それに、総司も頬がぽっとなるのを感じた。
別に彼が嫌いな訳じゃないのだ。
だが、どうしていいのかわからなかった。
毎日のように訪ねてきて、綺麗な笑顔をむけ、優しい声で話しかけて。
その上、人目も憚らず、ふれたり口づけたりしてくる彼に、いったいどうすればいいのからわからない。
彼が何を考えているのかも、わからなかった。
ただ、ふざけているだけなのか。お遊びのつもりなのか。
それに──心のどこかで、誰かが警鐘を鳴らしていた。
これ以上、彼に近づいたらいけないよと。
彼には心を許したら絶対だめ。
酷いめにあわされてしまう。また傷つくことになってしまうから──
(……また……?)
総司は僅かに眉を顰めた。
またって何だろう。
この人は二十日前に逢った人なのに。
なぜ──?
「……」
総司は傍らを歩く土方をそっと見上げた。
それに気づいた彼がこちらを見下ろし、優しく微笑みかけてくれる。
「何だ?」
問いかけられ、慌てて首をふった。それから、ある事に気づいた。
「そうだ、あのね」
「え?」
「逢うのはいいんですけど、そうしょっちゅう来ないで下さいね」
「……」
とたん、不機嫌そうに眉を顰めてしまった土方に、思わずため息をついた。まるで大きな子供みたいだなぁと思ってしまう。
「私だってね、忙しいんです。土方さんはどこのご家中か知りませんけど、暇なんですか?」
「……いや、暇という訳では」
「じゃあ、丁度いいじゃないですか。お互い、暇な時に逢いましょう。そうだなぁ……十日に一度ぐらい?」
「十日に一度? そんなの冗談じゃねぇよ」
「え、じゃあ、二十日に一度?」
「だから、何でどんどん長くなっているんだ。せめて三日に一度にしてくれ」
「えー、私も忙しいのに。じゃあね、七日に一度」
「間をとって五日」
「五日?」
総司は可愛らしく小首をかしげた。ふわりと柔らかな髪が揺れる。
「んんー、じゃあ、お土産つきって事でどうですか」
「お土産つき?」
「と云っても、あんな贅沢なのは駄目ですよ。そうじゃなくてね、お団子とか、道端の花とか。あなたが私にあげたいなって思ったもの、もってきて下さい」
「あげたいもの……ね」
土方はくすくす笑った。
ひどく楽しそうだ。
それに、総司は慌てて釘を刺した。
「自分なんてのも絶対駄目ですよ」
「へぇ? どうしてわかったんだ」
「あなたの言動を見ていれば、おのずとわかります」
「随分、俺のことがよくわかっているんだな」
そう云った土方に、総司は小首をかしげた。
よくわかっているのではない。
それだけは確かだった。何故なら、自分は彼のことをよく知らないのだから。
知っているのは、綺麗な黒い瞳をしていることと。
その端正な顔だち、自分にふれるしなやかな指さきの優しさ。
時折くれる、甘い甘い口づけ──……
『それで充分と違うやろか』
この間、近所のお由に云われた事を思い出し、総司は頬を火照らせてしまった。
彼女には、土方との接吻の場面を目撃されてしまったのだ。
だが、これが恋かどうかなんてわからない。
第一、彼は男で、自分も男だ。衆道に偏見はないが、いざ自分がその道に入るとなるとまた別の話だった。
それに、やはり彼のことがよくわからないのだ。
どこか印象が二重になるというか。
こんなふうに明るく優しく笑う彼に、何故か違和感を抱いてしまった。つくっているとは思わないが、自分が知っている彼とは違うと思ってしまうのだ。
(でも、私が知っている彼って何? いったい誰のことを云っているの……?)
考えれば考えるほど迷宮に嵌ってゆきそうな想いに、総司はぶるぶるっと首をふった。
それに、土方が訝しげな視線をむけた。
「どうした?」
「いえ……何か混乱しちゃって」
「……俺のことでか」
不意に、土方の声音が変わった。
低い、押し殺された声だった。
それに、総司はびくんっと身を震わせ、顔をあげた。
「……あ……」
土方は射抜くような鋭い視線で、総司だけを見つめていた。
いつも優しく明るい男が見せた冷ややかな表情に、息を呑んでしまう。
僅かに顰められた眉。固く引き結ばれた口許。
その黒い瞳の奥に昏い焔が燃えるのを、確かに見たと思った。そのとたん、ぞくりと背筋を悪寒が走りぬける。
息が苦しくなった。
何かが自分の奥から強引に引きずり出されるようだった。が、あと少し──という瞬間、土方がふっと視線を外した。
「……土産」
やがて小さく呟かれた言葉に、総司は「え?」と聞き返した。
それに、土方は視線を戻すと、柔らかく微笑んでみせた。黒髪をしなやかな指さきでかき上げながら、総司を覗きこんでくる。
その瞳に翳りはなかった。綺麗に深く澄んでいる。
もう、いつもの彼だった。
「土産、何がいいかな。やっぱり、菓子か?」
「贅沢なものでないのなら」
答えながら、総司はほっとしていた。そのため、優しく肩を抱いてきた男の手も許してしまう。
「まだまだ子供だな」
そう笑った土方に、総司は唇を尖らせた。それにちらりと視線をやった土方は、かるく指さきで桜色の唇を突っついた。
「誘うような唇してんじゃねぇよ」
「さ、誘ってなんか……ん、んんっ」
不意に項を掴まれたかと思うと、引き寄せられ、口づけられた。
甘ったるく濃厚な口づけ。
舌をさし入れられ、蹂躙された。初めは抵抗していた総司の手も、やがて男の胸もとに縋りつく。
「ぁ…ぁあ…んん、んっ……」
路地裏だったので人気はなく、薄暗かった。が、すぐ近くの表通りでは人々が通り過ぎてゆく。
その喧騒を感じながらの口づけに、総司は夢中になった。
不義密会をしているような後ろめたさが、刺激となる。
互いを愛することさえ許されない恋人たち──
ある意味、それは真実に近かったのだが、総司は何も知らなかった。
甘く優しく口づけながら、薄く目を開いた土方が酷く冷ややかな視線をむけていたことも、知るはずがなかった……。
総司との仲が険悪になったのは、山南の死が切欠だった。
一応は兄弟同然の仲であり、彼の一番の腹心という立場を保ってきた総司が、初めて土方に反抗したのだ。
土方にすれば、それは一種の裏切りだった。
愛しいと思う気持ちを懸命におさえつつ、素っ気なく接してくる総司を大切に守り慈しんできたつもりだった。むろん、表面には全く出さなかったが。
何も知らないようだが、幼い頃、熱を出した総司を看病したのはいつも彼だったし、京にのぼってからも池田屋で血を吐いて倒れた総司を背負い、近くの医者に担ぎ込んだのも彼だった。
いつも遠くからでも見守り、総司が少しでも幸せに過ごせるよう、心を砕いてきた。
しかし、その挙句がこの結果だったのだ。
山南のことで反抗し、仲違いするぐらいなら構わない。
だが、総司は事もあろうに伊東の元へ走ったのだ。
主義主張の違いから、隊の在り方から、副長土方と参謀伊東の対立は激しくなる一方だった。新撰組の内部も真っ二つに割れてしまい、息づまるような緊張感があったのだ。そこへ起こったのが、総司の裏切りだった。
総司は伊東の考えに同調し、その一派へ加わった。それを伊東は快く迎え入れ、まるで大きな翼を広げるように総司を抱きこんでしまったのだ。
当然、許せるはずがなかった。
局長であり土方の親友である近藤は、この愛弟子の反乱に驚き、総司を自室に呼ぶと懸命に宥めようとした。
だが、総司の意思は固かった。頑なに首をふり、それどころか、近藤の前で副長たる土方のやり方に対し、痛烈な批判を口にしたのだ。
それを、土方は隣室で聞いていた。
半ば呆然とする想いだった。
正直な話、総司がこれほど隊の運営──強いては自分のやり方について、反感を抱いていたとは全く気づいてなかった。どんな命令を出しても、僅かに目を伏せるだけで素直に従う総司に、安心しきってしまっていたのだ。
だが、それは今、裏切られた。
あの伏せられた瞳の奥で、どんな焔を燃え上がらせていたのか。
憎しみか、怒りか、侮蔑か。
それはもう兄代わりである彼に対しての反抗心などという、生ぬるいものではなかった。男としての彼自身を、否定してきているのだ。
となれば、土方も、ともすれば引きずられそうになる情を切り捨て、敢然と総司に対する他なかった……。
約束の五日後、総司のもとを訪れた土方の手には、野花が握られていた。
少しくたっとしてしまっていたそれも、冷たい水に浸してやると、すぐに元気をとり戻した。それに、総司は嬉しそうに笑った。
「ほら、可愛い。野花のこういうけなげな処が好きです」
「けなげな野花か。まるで……おまえみたいだな」
縁側に腰掛けて柱に凭れながら云った土方に、総司はぱっと顔を赤らめた。
すぐさま彼のもとへ駆け戻ると、きゃんきゃん騒ぎたてた。
「そういうこと口にするのやめて下さいって、何度も云ってるでしょう! すっごく恥ずかしいんですから」
「俺は恥ずかしくねぇよ」
「あなたはそうでも……っ」
まだ怒って云いかけた総司の頬に、そっとしなやかな指さきでふれた。とたん、黙ってしまう総司が可愛らしい。
「おまえは可愛いし、野花みたいにけなげだ。本当のことを云って、恥ずかしいはずがないだろう……?」
土方は小首をかしげ、ふわりと微笑んでみせた。
総司は耳柔まで真っ赤にしたまま、俯いた。きゅっと総司の手が土方の黒い小袖の袂を掴む。
それに目をとめた土方が、おやおやと揶揄するような表情になっている事にも気づかず、総司は云った。
「どうして、土方さんはそういう事を云うの……?」
「可愛いと思っているから」
「私のこと、好きなの?」
「うーん、どうだろう」
土方はわざと小首をかしげてみせた。拗ねたように唇を噛む総司を見やりながら、言葉をつづけた。
「さんざん遊んできた俺だが、衆道はさすがに経験ねぇしな」
「じゃあ……こういう事云ったり、何かしたりするのやめて下さい」
「どうして?」
土方は傍で膝をついていた総司の細い腰に腕をまわした。ひょいっと抱きあげると、膝上に坐らせてしまう。慌てて下りようとする総司の頬に、甘く口づけた。
「俺はおまえとこういう事するの好きだがな」
「だから……もう、土方さんって何を考えているか、わからないや」
ぷうっと頬をふくらましてしまった総司の言葉に、一瞬、土方の黒い瞳が翳った。が、すぐに笑みをうかべると、また優しく瞼や頬に口づけてやった。
「じゃあ、もっとわかるように、俺と逢えばいい」
「五日。五日ごとの約束ですよ」
「はいはい」
くすくす笑いながら答える土方に、総司は「ほんっとわかっているのかなぁ」と呟きながら、それでも彼の胸もとに頬を寄せた。
口ではそんな事云いながら、その実、土方の膝上から降りもせず、心地よげに頭を凭せかけている。
さらさらした絹糸のような髪を撫でてやりながら、己の中にある真実を押し隠し、土方は静かに目を伏せた……。
次、大きく展開します。総司が街中である人と再会します。後半、お褥シーンもあるので、苦手な方は避けてやって下さいね。