「俺は所帯をもつ事にした」
一瞬、土方の言葉の意味がわからなかった。
きょとんとし、「え?」と瞬きしながら、彼を見上げる。
そのあどけない表情に、土方は苦痛を覚えるように形のよい眉を顰めた。僅かに視線をそらす。
総司は、今、云われた言葉を頭の中で何度も反芻した。
所帯をもつ事になった。
所帯って、誰が?
え……?
「土方、さんが?」
聞くまでもない事を訊ねた総司に、土方は頷いた。
「あぁ」
「土方さんが、所帯をもつ…の?」
「あぁ」
律儀に返事をする土方を、総司はぼうっとした表情で見上げた。それから、不意に、すべてが呑み込めると、叫んだ。
「何、それっ!」
「総司」
「何で? どうして……ううん、そうじゃない。奥様を娶るって事でしょう、つまり」
「いや、総司……」
「私をずっと避けていた理由、それだったんだ。私と別れるつもりだから、だから……避けていた」
自分でも云ったとたん、すべてが噛み合った気がした。
この人は、私を避けながら、別れの準備を進めていたんだ。少しずつ離れようとしていたんだ。
「……っ」
総司は震える両手を、膝上でぎゅっと握りしめた。
わかっていた。
いつかは、こんな日が来ることも、土方には自分など相応しくないことも皆。
だが、それでも、淡い夢を見ていたのだ。あまりにも幸せすぎて、このままずっと傍にいられると、そんな夢を見てしまっていた。
でも、夢は終ったのだ。
やっぱり、夢は夢だった。
こうなるとわかっていたからこそ、彼を諦めようとしていたのに。見つめていられるだけでいい、そう望んでいたはずなのに。
なのに、この人は私から記憶を奪い、私を甘やかし幸せな夢を見させた挙げ句、こうしてまた、その夢までも奪ってゆくのだ。
なんて残酷な人なの。
初めから捨て去るつもりなら、手折らなければ良かったのに。
なぜ、私を愛したの。
どうして……?
涙がこぼれそうになった。
だが、それをぐっと堪え、総司はきつく唇を噛みしめた。
「総司」
土方が身を乗り出した。
「話を聞いてくれないか」
手をのばし、肩を抱こうとしてくる。それに、総司は身を捩ることで避けた。
「……いや」
はっきりと拒絶し、大きな瞳で男を睨みつける。それに、土方は微かに息を呑んだ。
「総司……」
「話なんて、聞きたくない。これ以上、何を聞けと云うの? あなたは私と別れる。ただ、それだけの事でしょう?」
「俺は」
土方は眉を顰め、低い声で云った。
「おまえと別れるつもりなどない」
「!」
総司は目を見開いた。かぁっと頭の中が熱くなるのを覚える。
呆然となった。
別れるつもりがないなどと、ならば、どうするつもりなのか。このまま自分とも手を切らず、妻を娶る。つまり、それは自分を妾扱いするという事ではないか。
あまりにも身勝手な云い草に、声が震えた。
「ひどい……!」
総司はふるふると首をふった。
「妻を娶る。私も手放さない。そんな身勝手な話が通ると、本気で思っているの? あなたは、私を何だと思っているのです」
「総司」
土方は手をのばした。それを避ければ、背に壁が突きあたってしまう。自分が逃げ場を失った事に気づいた瞬間、土方が総司をとらえた。
はっと見上げれば、黒い瞳が総司を見下ろしている。
それを、総司はきつい表情で見返した。男の胸に手を突っぱねようとするが、その手首がつかまれ壁に押しつけられる。
「離して」
「離さない」
きっぱり云いきった男に、総司は思わず叫んだ。
「離してってば! 私はもう土方さんなんて知らないんだから。こんな身勝手な男、こっちから別れてやる……!」
「……っ」
とたん、土方の表情がかわった。
端正な顔がすうっと無表情になり、黒い瞳が酷く冷たい光をうかべた。そのくせ、全身から発する気配は、まるで凶暴な獣のようだ。
鋭いまなざしで、総司を見据えている。やがて、低い声がゆっくりと聞き返した。
「……別れる、だと?」
「そ、そうです」
総司は、がらりと変わった男の様子に怯えつつ、答えた。
「あなたが別れないなら、私の方から別れます。身勝手なあなたに振り回されるのは……」
「うんざりだという訳か」
片頬を歪め、土方は薄く嗤った。総司の手首を掴んだ手に、ぐっと力がこもる。
「俺を嫌になった、という事だな」
声音が自嘲の色をおびた。
「あぁ、そうだろうさ。初めから、そうだった。おまえは俺のことなど、好いちゃいなかったのさ」
「なん…で、そうなるの」
「なら、好いていたのか? 少しは愛した事があったのか」
「あたり前でしょう! 私はずっとあなたを愛してきました。好きでした。でも、私を愛していなかったのは、土方さん、あなたの方じゃないの?」
「俺はおまえを愛しているよ。これからも、ずっと可愛がっていくし、愛してゆく。たとえ、おまえの気持ちが俺になくてもな」
「私の意思は関係ないの?」
思わず叫んだ。
「私が土方さんを好きでも嫌いでも関係ないなんて。そんなの愛じゃ……っ」
不意に声が途切れた。
土方が総司の項を掴んで引き寄せると、噛みつくように口づけてきたのだ。甘さの欠片もない、暴力的な接吻だった。だが、そのくせ濃厚で熱っぽく、恋愛そのもののような激しさを総司に伝える。
「っ、ん…ぅ……っ」
いやいやと首をふった。だが、今度はその頬を両手で包みこまれ、何度も口づけられた。深く唇を重ね、大人の男の技巧のまま翻弄される。
総司は頭の中が陶然となるのを感じつつ、必死に抗った。こんな接吻で流されてしまえば、もうどうにもならない。
身勝手な彼の意のままにされてしまう。それだけは嫌だった。
今でも、彼を愛している。
誰よりも、愛している。
別れたくなどない。
だが、総司には、総司なりの矜持というものがあるのだ。
「ぃ…やッ」
唇を離したとたんの声に、土方は僅かに目を細めた。苛立ったように舌打ちすると、総司の着物を肌けてゆく。
そうしながら、低い声で命じた。
「……俺の愛を否定するな」
「っ…そん、なの……」
総司は目を見開いた。勝手だと云いかけた唇は、また口づけで塞がれる。
何度も角度をかえて口づけながら、土方は総司のきれいな躯を露にした。帯を解いて小袖を脱がせ、何もかも剥ぎ取ってゆく。畳の上に横たえられた白い裸身に、土方は悠然とのしかかった。
「や、いやあっ」
何をされるかわかった総司が、悲鳴をあげる。
だが、今更もう遅い。土方は抱き馴れた総司の躯を柔らかく愛撫していった。嫌がり暴れるのを軽々と押え込み、男を受け入れられるよう開かせてゆく。
「っ、ぃやっ、ふ…ぅ、んっ」
蕾の奥を指でほぐされ、掻き回され、総司は躯の芯が熱くなるのを覚えた。自然と腰が揺れはじめる。
それに、土方は口角をあげ、薄く嗤った。冷たい笑み。そのくせ、男の瞳は狂おしいほどの焦燥と、情愛に染まっている。
「総司……可愛いな」
低い声で囁きかける土方に、総司はいやいやと首をふった。だが、もはや白い肌は淡い桜色に染まり、蕾も甘くとろけてしまっている。
男の手慣れた愛撫に、ずくずくと躯中がとけていってしまいそうだ。
「ぁっ、ぁ…ぁあ……」
総司は喘ぎつつ、必死に畳へ爪をたてた。立ち昇る快感を何とか堪えようとするが、疼きはとまらない。
もう我慢ができなかった。男にさんざん仕込まれた躯は、こんなにも淫らだ。
「俺が欲しいか……?」
耳もとに唇を寄せ、土方が甘く囁きかけた。それに、びくんと躯が震える。躯はとても素直で正直だ。
くっくっと喉奥で笑う男が憎らしく、だが、たまらなく愛しかった。
「っ……ひ」
息を呑んだ。
男の指さきが蕾の奥にあるしこりを、ぐっと押しあげたのだ。とたん、閃光のような快感が走る。
たまらず両足を男の腰に絡みつかせた。欲しくて欲しくて、気が狂いそうになる。
「ぁ……土方、さん……」
彼が欲しいのだ。
いつものように、深く激しく彼を感じたい。めちゃくちゃに犯されたい。
この男だからこそ、欲しいのだ。
身勝手で傲慢で、意地悪で冷たくて。
それでも、この世の誰よりも、愛しくて愛しくてたまらない男。
たった一人の、最愛の───
「……お願い、抱…いて」
そうねだった総司に、土方は目を細めた。
黙ったまま、細い両脚を抱え上げる。濡れそぼった蕾に己の猛りをあてがい、そのまま一気に貫いた。
「ぁああッ!」
思わず悲鳴をあげ、仰け反った。
熱く固い男のものが総司の奥を貫き、満たす。そのまま、ぐぬりと奥を掻き回され、泣き叫んだ。
「ひっ、ぃぁッ…やあッ」
苦痛と混じり合った、びりびりと痺れるような快感がこみあげる。
総司は男の逞しい胸もとにしがみつき、泣きじゃくった。
襟元を掴んだことで、帯が緩み、男の褐色の肌が露になった。そこに頭を押しつければ、力強い両腕につつみこまれる。
「ぁっ、ぁあっ…土方…さ…ッ」
「総司……」
掠れた声が名を呼んだ。
半ば背を浮かした状態で抱きしめられ、律動が始まった。濡れそぼった蕾の奥を、ゆったりとした動きで掻き回され、尚のこと甘い刺激になる。
ここが屯所の一室である事も忘れ、無我夢中で男を求めた。
「んっ、ぁあ…っ、そ…こっ…」
「ここがいいのか……?」
「あァッ、ぁっ…い…いぃッ、気持ち…いい……っ」
次第に男の動きが激しくなった。開かされた蕾の奥に男の楔が打ちこまれ、引き抜かれた。淫らな音が鳴り、二人の躯が深く繋がる。
「ふっ、ぁあっ…ぁッ、ぁあ……っ」
「総司……たまらねぇな」
「ぅ、んぅっ、ぁアッ、あぅ──」
総司は仰け反り、細い腰をくねらせた。男をもっと深く受け入れようとする。
絡みつく熱い感覚に、土方は目を細めた。蕾の奥が男の猛りをきゅうきゅう締めつけてくる。
「……すっげ…締まる……っ」
土方は獣のように舌なめずりした。総司の腰を鷲掴みにし、激しく揺さぶりをかける。
「ひいッ、ぃっ…ぁあっ」
「総司……っ」
「ぅ、ふ…ぅんッ、ぁッ、ぁああっ」
汗ばんだ髪をかきあげ、土方は噛みつくように口づけた。深く唇を重ねたまま、力強い抽挿をくり返す。
その口づけに応えながら、総司は男の背に両手をまわした。
二度と離さないでと、心の想いのまま、彼だけを求める。
「……す、き……」
言葉がこぼれた。
心が、想いが、こぼれ落ちてゆく。
「すき……だいすき……土方さ…っ」
「……あぁ、俺もだ」
「ん、んんっ……ぁ、ぁあっ、好きなの、好き……っ」
子どものようにくり返す総司に、土方は目を細めた。たまらず両腕の中にある細い躯を、きつく息もとまるほど抱きしめる。
その小柄な躯に己の欲を限界まで埋めこみ、悲鳴をあげさせた。
身も心もとけあうほどに。
いっそ、一つになってしまえと、願いながら。
(総司、総司……愛してる……!)
胸奥からこみあげる叫びに、土方は固く瞼を閉ざした。
夕暮れ時の茜色の光が部屋を満たしていた。
その光景の中、土方はゆっくりと身を起した。乱れた髪を煩わしげに片手でかきあげながら、ため息をつく。
視線を落とせば、畳の上、脱ぎ散らかした着物の中に、気を失った総司が横たわっていた。長い睫毛が落とした頬に、涙の痕が痛々しい。
それを見下ろし、土方は唇を噛んだ。
傷つけたい訳ではなかった。
だが、結局、傷つけてしまった事は確かだった。
記憶を取り戻せば、総司が土方を憎むことは、以前から覚悟していた。あれ程までに対立し、彼を嫌悪のまなざしで見ていた若者なのだ。彼の行為を許してくれるはずもなく、ましてや、知らぬうちに念兄弟にされていたなど、矜持の高い総司にすれば、信じがたいほどの屈辱に違いない。
だが、一方で苦しむことも確かだった。
総司は心優しい若者のだ。
だからこそ、記憶が戻りすべてを知った瞬間、土方を憎みながら、だが、一方で、恋人となっている彼への拒絶を躊躇うに違いなかった。記憶が戻ったとたん、手のひらを返したような態度をとるなど、優しい総司に出来るはずもない。憎しみと罪悪感の中で葛藤し、その相反する気持ちに苦しむだろう。
そんな思いはさせたくなかった。
地獄のような葛藤など、味あわせたくない。
ならば、いっそ、今のうちに別れてしまえばいいと思った。
土方が妻を娶り、総司を妾扱いすれば、侮蔑されるに決っている。こんな男、こちらから願い下げだと云われるだろうと、そう考えた。
そして、その通りだった。
勝ち気な総司は、土方の言葉に怒り、「別れてやる」と叫んだのだ。
だが、その言葉を聞いた瞬間、土方は、目の前がすうっと暗くなるのを覚えた。絶望と激しい怒りがこみあげたのだ。己が仕向けた結果であるのに、なんて身勝手な感情なのか。だが、どうしても、感情が許さなかった。
総司が宗次郎と呼ばれていた頃から、慈しむように愛し、見守ってきた。挙げ句の果てには、嫉妬と独占欲で気が狂い、記憶を奪い去った。その愚かな、だが、激しい愛情を、拒絶されたくなかったのだ。
総司にだけは……拒絶されたくなかった。
気がつけば、その細い躯を抱きしめていた。
俺の愛を拒まないでくれと、縋りついていた。
みっともない、情けない、身勝手だと。理性は告げているのに、総司への情愛が暴走し、その躯を獣のように貪りつくした。
離さない、いかないでくれ、愛している。
心が叫んだ。
それを止める術は、もう何処にもなくて……
「……愛してる」
土方は手をのばし、総司の頬にふれた。なめらかな頬を、手のひらでそっとつつみ込む。
「総司、おまえだけを愛しているんだ……」
身をかがめ、唇を重ねた。
乾いた冷たい口づけだ。それが切なく、土方は眉を顰めた。たまらず身をのりだし、その細い躯を抱きすくめる。
柔らかな髪に、頬に、首筋に、唇を押しあてた。
「愛してる……」
掠れた低い声が、茜色の光にとけた。