姫路交響楽団のマーク姫路交響楽団

Himeji Symphony Orchestra

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目次

    

(第62回定期演奏会)名演奏に出会うよろこび

ロッシーニの「セビリアの理髪師」序曲で作品の洒落っ気をつかみきれず、表現に冴えのなかった第62回定期演奏会も、続くベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番は、この作品の魅力と革新性を改めて裏付けた名演奏だったと公言して憚りません。

まず、すべりだすように始められたオーケストラの表情がやわらかく、思わずうなりました。弱音に難のあるこのオーケストラの弦が見違えるように美しく、のびやかで、みずみずしかったからです。オーケストラは作品が要求する音量にぶれがなく、音色、響き、強弱のいずれもがよく練りあげられて、アンサンブルが最後まで崩れません。

表情の異なる3つの楽章を弾きわけるピアノは、第1楽章から強烈さと抑制のきいた響きのバランスがよく、第2楽章のラルゴはタッチが美しく、居心地よく仕上がって申し分がありません。終楽章に於ける感情の高ぶりにも、前をはだけるような行儀の悪さはなく、木目の細かい丁寧さが印象に残っています。

ピアノとオーケストラは互いに相手を凌駕することなく足並みを揃え、よどみのない音の流れで端正な音楽を創りあげたのです。では、このように抑制されながらも説得力ある表現が可能になった理由は何でしょうか。ひとつは、ベートーヴェンの協奏曲における技法が明らかにポリフォニー音楽に負っていて、その点を指揮者がよくわきまえていたこと、つぎにオーケストラの意欲とピアニストの資質がうまく絡みあい、互いの主張をバランスよく保てたからに他ありません。静かで、気負いのないポリフォニーの世界を、こんなにも品よく表現し得たことは大きな喜びです。こうした緻密な音楽づくりをいつまでも大事にされることを願ってやみません。

最後のチャイコフスキーの交響曲第5番は甘く、せつなく、やるせないメランコリーが通奏低音として流れ、タイミングよく派手に登場する金管が時に艶っぽく、聴く者の感情を強く刺激します。それでいて響きの底が浅く、1小節の中に管の音符が多すぎて辟易することのあるこのような作品を、どのように表現するのか一抹の危惧をもって聴きました。

思うに、演奏して楽しいのがチャイコフスキーの音楽なのでしょう。その事は如実に伝わってきて表現が自在でした。聴衆を圧倒した爆発的なエネルギーの放出にはいたく感心させられたものです。しかし、この熱演が作品の有するテーマの何を表現したかったのかは不明です。いや、明瞭でないのはチャイコフスキーのテーマそれ自体の意味であり、その足跡を見失って演奏が曖昧になったのは当然の結果でありましょう。どうやら、この作品に深追いは禁物のようであります。(2009年12月4日)

(第61回定期演奏会)自我ということ

第61回定期演奏会を聴いた。多くの制約にもめげず発足から35年。今回姫路交響楽団はベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」で、絶え間ない緊張と高揚を保ちつつ、作品の本質を鮮やかに切りとって、オーケストラのさらなる成長ぶりを示してくれました。

この作品の最初の和音が二度続けて鳴らされた瞬間から、自我を持った近代の音楽は始まったと理解していますが、最初の和音とすぐに繰りかえされる和音との間の取り方には工夫が必要です。指揮者は自我のかたまりのようなこれらの和音を、絶妙な響き、強さとテンポで処理し、つかの間でありながら、そこから全曲を睥睨するさまを体験させてくれました。瞬間の経験と申すべきか。このように始められた演奏は、全曲を通してテンポが揺れ動いたり崩れることもなく、わけても長大な第2楽章を乱れのない息づかいで悠然と歌いきったのは見事でした。そうであればこそ次のスケルツォとフィナーレの持つ、はつらつとしてエネルギーに充ちた意志の力を、オーケストラは揺るぎなく熱く表現し得たのでありましょう。迫力のある演奏で、胸をうたれました。

「英雄」にはいささか思いがあって、個人的には歴史家達がフランス革命の遺産を過大評価しすぎることに不満があります。第3階級の市民が旧秩序を破壊し、王制を倒したのは驚くべき成果であり、近代人の自我を目覚めさせるものではありましたが、彼らがナポレオンを生みだしたことを忘れてはなりません。この乱暴者の行った唯一の価値ある仕事は、ベートーヴェンに「英雄交響曲」を作曲させたことに尽きるでありましょう。

順序が逆になりましたが、最初に演奏されたメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」は弦による主旋律、波の上を吹きわたるような品のよいメロディーが、管にのみこまれて聴きづらかったのは残念でしたが、そもそも生活苦を知らぬ男の作る音楽が、見かけどうりに一筋縄ですむわけがありません。軽みの強さが必要でしょうが、至難のわざです。演奏の終わり方も唐突で、もう少し品よくおさめてほしかったと希望しておきます。

つぎに、ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」も全体に弦が遠慮気味であったのはいただけません。管を押しのけるほどのアクの強さがあってよい作品です。ただ、ひたすら楽しい演奏であったのは救いで、ノクターンでのヴァイオリンのソロが充分に花を添えておりました。

アンコールの「ラデツキー行進曲」はびっくりするような快演で、いつまでも聴いていたいような一期一会の気分でした。

それぞれ、主張の異なる作品を並べて表現することの意味を考えさせられた、しかしすばらしい演奏会でした。(2009年7月16日)

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