なぜタイへ行ったのか
告白します。私は社会人になるまで海外へ行ったことがありませんでした。まわりの知人からも 「若いうちに行っとけや〜」 などと言われ, 「おぉ,このままではこれからの国際化社会の中で孤児となってしまう」 なんてことは考えず 「いわれてみりゃそうやねぇ」 といった程度に思っていました。で,そんじゃ行ってみますか!と考えたのが1992年の夏前でした。さて何処へ行きましょう?ちょうど悪友1号が「南の島バカンス計画」を立てていました。行き先は“神秘の島バリ島”です。その当時,会社の先輩に世界数十カ国を学生時代から旅してきたSさんという人がいました。まだ格安航空券が入手しにくかった頃でしたので,航空券の手配はSさんにお願いすることにしました。会社には10日間の休暇届を提出し,バリ島のガイドブックも買い込んでコツコツと勉強をはじめました。 ところが出発の2週間前になってもチケットが取れていません。Sさん曰く 「格安やから仕方ないで,たぶん大丈夫やさかい,もうちょっと待ってみ」 とのことで,もうちょっと待ってみました。更に1週間が過ぎました。Sさんが 「すまん,バリ島のチケットは無理みたいや,バンコクなら空いてるらしい,どうする?」 …どうすると言われても,すでに会社には休暇届を出してあったので,他に選択の余地はありません。と,言うわけで我々は出発の1週間前にタイへ行くことが決まったのでありました。 さて,なぜバリ島のチケットが取れなかったのか?を考えてみると,1992年にバンコクで「5月騒乱」と呼ばれるクーデターが発生しました。このため多くの観光客がタイを避けたものだと考えられます。そしてその一部がバリ島などの他の観光地へ流れたため,もっとも条件が不利な格安航空券を直撃したのでしょう。海外が初めての私にとってクーデターが発生した国へ行くのにはやはり不安がありました。しかし,Sさん曰く「タイ人はね,2ヶ月前のことなんてすっかり忘れてる,心配すな!」そう言われても…しかし私はこの言葉を後々にわたり何度も身をもって体験することになります。 出発1週間前になって行き先が決まったものですから,これからが大変。タイの何処へ行くか?タイのガイドブックを買い直し,1から計画の立て直しです。いまの時代のように 「インターネットでお好きな情報を一発検索!」 などといった便利なツールは当然ありません。 かねてから 「南の島バカンス計画」 だったので,南の島へ行くことにしましょう。と,我ながら単純な思考回路を働かせ,地図とニラメッコをしていました。悪友1号が 「タルタオ島ってどや?良さそうやと思わへんか?」 と言ってきました。なるほど,アンダマン海に浮かぶ孤島です。お互い単純な思考回路なのでその島へ行くことに決めました。 1992年当時,まだ関西国際空港が無かったので,伊丹空港からの出発です。悪友1号と阪急電鉄の東向日駅前で待ち合わせ,阪急電車に乗り十三で乗り換えて蛍池を目指します。車中,向かい側の席に座っていた悪友1号がザックの中からガイドブックを取り出し,一瞬ガイドブックに目を落としたかと思うと,そのままサッと閉じてザックの中にしまい込んでしまいました。あまりに一瞬の出来事だったので私は不思議に思い,十三での乗り換えのときに尋ねました 「何でガイドブックをすぐしもたん?(標準語訳:すぐに片づけたのですか)」 悪友1号は言いました 「バリ島のガイドブックを持ってきてしもた…」 彼はこのあと10日間,役にたたないガイドブックをもって歩く羽目になりました。 蛍池で電車を降り,駅から伊丹空港まで歩いて行きました。なぜバスに乗らなかったのか後から考えてみれば不思議ですが,まぁ良しとしましょう。チケットのチェックインも終わり,さて出発です。おっと,その前にSさんにお礼の電話をしておかねばなりません。悪友1号が勤務中のSさんに電話しました。
と,言うわけで,出発1時間前になって我々の行き先はサムイ島に変更になりました。 2人顔を見合わせ「ところでサムイ島って何処にあるねん?」サムイ島は遠かった へ続く |