罪と罰
序章 気がつくと、ルドルフはすぐに身体の自由がきかなくなっていることを知った。ロープで椅子に縛り付けられていたのだ。 ロープは、ルドルフが力を込めても全くびくともしない。ご丁寧にも魔力が付与されており、ちょっとやそっとで切れないようにされているようだ。 またか。ルドルフはそう思った。こういう状況になったのは、これが初めてではない。長い傭兵生活の間、何度も経験していた。 原因の予想もついている。ルドルフは視線を上げて、目の前に立っている人物を睨んだ。 「お気づきになられました?」 そうルドルフに声をかけてきたのは、一見すると十代半ばの少女だった。 長い金髪で、翠の大きな瞳。華奢な身体。丸い眼鏡が愛くるしい。着ている服は、赤地に銀の縫い取りの礼服である。フェルスアトラ王国の近衛騎士のものだ。それも最高位のやつ。偉そうな飾り紐が目に障る。 ルドルフはその女を見て、予想が正しかったことを知った。 それから、彼女が何を言ってくるのかも。 「デイジー、やっぱりお前か」 「お久しぶりですわ、ルドルフさま」 デイジーがにっこりと微笑んだ。次いで、ルドルフの予想通りの台詞を吐く。 「協力をお願いしに来ましたですわ」 「嫌だ。絶対やらん。断固拒否だ!」 「あら、内容も聞かないうちに断るとは、どういう了見ですの?」 「人が歩いている背後から、いきなり後頭部に雷弾をぶち当てておいて、何が協力しろだ。ふざけんのもたいがいにして、さっさとこのロープをほどきやがれ!」 まだ後頭部がひりひりしていた。その痛みが、ルドルフの決意を固くさせる。 「こうでもしないと、ルドルフさまは話を聞いてくれませんもの」 「こういうことするから、聞かないんだろうが! 死んだらどうするんだ!」 「緊急事態ですもの。非常手段は仕方ありませんですわ」 世の絶対真理を説くが如く、きっぱりとデイジーは言ってのけた。 「お前が非常識手段に訴えるのは、毎回だろうが」 ルドルフの脳裏に、過去の惨状が走馬燈のように流れる。 今回を合わせて通算二十一回。元素攻撃で気絶させられることなどは、まだ軽い方だ。 前回などは、歩いている地面がいきなり液状化し、陸の上なのに溺死しかけた。あれは本当にやばかった。 「毎回緊急事態だったのですわ。そうでなければ、あたくしでなんとか出来ますもの」 「毎回、お前だけで何とか出来たような気がするぞ」 「気のせいですわ」 にっこりとデイジーが笑った。 その笑みは、どんな罪も全て精算帳消しにしてしまいたくなるほどに可愛らしいものだった。 しかし。 その笑みに騙されてはいけない。そのことを、ルドルフは骨身に染みて知っていた。 そもそも、デイジーは着ている服装が示す通り、フェルスアトラ王国の近衛騎士だ。それも最高位に位置する、あの王女親衛隊の一員である。 フェルスアトラのプリンセスガード。王女ラティスを守護するために、二千年ほど前に結成された近衛騎士隊だ。文武に秀でた女性だけで組織され、その実力は名実ともに大陸最強。 驚くべきことに、デイジーはその結成時からのメンバーだという。転生せずに生きているそうだから、約二千才。不老不死の力を有しているわけだ。 つまりは、無茶苦茶強い。生まれて二十九年のルドルフなどとは格が違う。大陸規模の超大物なのだ。そんなのが手に負えないものを、ルドルフが何とか出来るはずもないし、そんなことはデイジーも分かっているはずだ。 では、何故デイジーがルドルフに拘るのか。ルドルフは、その理由を知っていた。 「お前が欲しいのは、これだろうが」 ルドルフは、自らの腰にある長剣を顎でさした。 その長剣は、柄と鞘にボロ布が巻き付けてあって、大した剣には見えない。だが見る人が見れば、その剣が凄まじいまでの力を秘めた魔剣だということが分かる。 この魔剣こそ、古の英雄サウフィ・ウェイルが、ラティスより授かった滅魔のアーティファクト、エルファルスである。 ルドルフ本人は、武技以外誇るべきものを持たない傭兵だが、エルファルスは最高級の力を有する武器だ。デイジーが欲しいのは、この魔剣の力である。 「あら、わかってらっしゃる」 デイジーは、そのことを隠す気など毛ほどもないようだ。 「わからいでか。毎回のことだぞ」 「なら、話は早いですわ。いつものように二者択一です。エルファルスを渡していただくか、ルドルフさまご自身があたくしに協力なさっていただくか。どちらに致します?」 「どうして、いつもその二者択一なんだ? そもそも、何で俺の剣をお前に渡すなんて選択肢があるんだ?」 「毎回同じ質問をなさるんですわね」 「ほっとけ」 「あたくしの答えもいつもと同じですわ。エルファルスは、そもそもわが国の物。一度、姫様がサウフィさまにお与えになりましたけれども、サウフィさまは亡くなられる時に、ちゃんと姫様にお返しになられたのですわ」 「そんなことは知るか。俺が見つけた剣なんだから、俺の物だ。毎回言ってるだろうがよ」 五年ほど前、ある地下遺跡の祭壇で、偶然見つけたのだ。見つけた物は俺の物。これがルドルフの言い分である。 強引な言い分のようだが、傭兵の価値観とすれば、実はあながちおかしくもない。命を張った探索の代償とすれば、それほどおかしな理屈でもないのだ。 勿論、これは傭兵としての言い分であり、違う立場の人間であれば、違う言い分が存在した。 「これも何度も言うようですけど、エルファルスをあの祭壇に置いていたのは、ペグロモを封印しておくためでした。封印の柱として使っていたのですわ。ルドルフさまが封印を解いてしまった後、魔龍が復活してしまって、後始末がどれだけ大変だったか」 その時のことを思い出したのか、デイジーが額に指を当て、疲れたように首を左右に振った。 「俺も巻き込まれたわ」 魔龍ペグロモの封印を解いてしまったルドルフが、いの一番にとばっちりを受けたのは当然のことといえる。 「それは、自業自得というものですわ」 「うるさい」 「ま、そういうわけですけれども、どちらにしろこの状況では、ルドルフさまに選択肢を増やすことは出来ないと思いますですわ」 デイジーがそう言うと、いつの間にやら手に持っていたひも付き洗濯バサミ一ダースを、ルドルフの眼前に示した。 デイジーの眼鏡が妖しく光る。 「なっ……。お、お前、それで一体何をするつもりだ?」 「あたくしも、本来ならばこういうことをしたくありませんですわ。ですが、緊急事態なんです。ルドルフさまにすぐに返答いただくように手段を講じないと、事態が手遅れになってしまいます」 にこやかにデイジーが語る。とても嬉しそうだ。 ルドルフの目の前で、洗濯バサミがじゃらじゃらと揺れる。妙な魔力の波動を感じるのは気のせいではあるまい。 「まさかお前、それで……」 「ちょっと出っ張っている器官が千切れるほど痛いだけですわ。うふふ」 「うふふじゃない!」 「まず鼻からいきますわね」 「わっ、馬鹿っ! 待て! わかった。答える。今すぐ答える。きっぱり答えちゃう!」 「あたくしの期待と違うお答えでしたら、あたくし、絶望で十二個全部挟んじゃうかもしれません」 「きょ、協力する! あ、当たり前じゃないか。俺がお前の頼みを断るわけなかろう。な、デイジー?」 あっはっはー、とルドルフは乾いた声で笑った。 「さすがはルドルフさまですわ。あたくしも頼んだかいがあるというものです」 いけしゃあしゃあとデイジーは言ってのけると、洗濯バサミをポケットにしまった。 次いで、空中に指で魔法円を描く。 「では、いつも通り契約を」 魔力を帯びて淡く光る指の軌跡が、空中に魔法円を浮かび上がらせた。古代言語と幾つかの記号で形成されている魔法円だったが、真ん中に二行ほどの空きスペースがあった。 「デイジー・ティアラがルドルフ・テユジャに質問します。貴方はこの契約を承諾いたしますか?」 デイジーが魔法円ごしに問いかける。 「……承諾する」 渋々とルドルフは答えた。 すると、魔法円の光芒が増し、誰の手にもよらず空いていたスペースにルドルフとデイジーの名が書き込まれた。契約が成された証しだ。 ややあって、魔法円は消えていく。 「返しは、いつも通り『エルファルスの所有不可』ですわよ」 デイジーがルドルフの縄を解きつつ指摘する。 「わかってるよ」 舌打ちしつつ、ルドルフは答えた。 今行われたのは、魔的な契約だ。これを破ると、契約の魔力が呪詛となって破棄者に襲いかかる。 契約の返し、もしくは返しの呪詛というやつだ。つまり、ルドルフが『契約なんて、俺知らんもんねー』と、この期に及んでデイジーの協力を拒んだら、エルファルスが持てないという呪詛を喰らってしまうわけだ。 契約時の魔力がそれほどでもなければ、まだ抵抗のしようもあるのだが、二千年の時を生きているデイジークラスの魔的呪詛を、ルドルフは体験する気にはならなかった。 「で、俺は何をしたらいいんだ?」 「ルドルフさまは、ラウエル大神殿をご存じですか?」 「知らんわけないだろ」 「なら、話は早いですわ。今回、ルドルフさまには、そのラウエル大神殿まで、ある物を運んでいただきます」 はあっ、とルドルフは大仰に聞き返してしまう。 「あんな混沌ぐちゃぐちゃなところへ行けと言うのか?」 「はいですわ」 あっさりとデイジーが頷いた。 「無茶言うな、お前。あんな所、生身の人間が行ったら、どうなると思ってるんだよ!」 「穢れの魔力に溶かされて、混沌に回帰されちゃいます」 「それをわかってて、生身の俺に行かせようと言うのか?」 「行かないとおっしゃるのであれば、契約通り、エルファルスを返還していただくことになりますですわ」 「てめえ、それが狙いか?」 ルドルフは険悪な声で問う。 「いーえいえ、勿論、そんなことはありませんですわ。あたくしの願いは、ルドルフさまに、あたくしからの依頼を達成して頂くことですわ。あたくしとしましても、大切なルドルフさまを危険な目に遭わせたくはありませんが、緊急事態と申しましたでしょう。まったくもって仕方がないことなのですわ」 「それにしては、嬉しそうだけどな」 「気のせいですわ」 「嘘つけ」 「それで、やっていただけますか?」 改めて、デイジーが聞く。 「やるしかねえんだろ」 「選択肢は二つありますですわ」 「契約で縛っておいて、その言い種は喧嘩を売ってるとしか思えん」 「勝てない喧嘩は、しない方がよろしいですわ」 デイジーが、にっこりと余裕の笑みを浮かべた。 その面をはたければ、どれだけすっきりするか。ルドルフはそう思う。しかし、現実的には、デイジーの言うとおり、彼女との実力差は笑えるぐらいにある。そもそも、そうでなければ、彼女のふざけきった依頼方法や、自分を危機に陥れたいためだけと思われる依頼の数々を受けたりはしない。 「うるせえよ。それで? 俺は何を運べばいいんだ?」 「それは、ここでは言えませんですわ」 ルドルフは、いきなり胡散臭くなり始めた言葉に、胡乱な視線をデイジーに注いだ。 あら、とわざとらしくデイジーが、聞き返す。 「ご不満ですか? 運搬依頼に、運搬する物が何か分からないというのは、よくある話でしょう?」 「依頼者がお前じゃなければな」 「大丈夫ですわ。ちゃんと運べる物です」 デイジーはそう言うが、ルドルフは懐疑な視線を向け続けた。 「本当だろうな?」 「プリンセスガードのナンバー4、デイジー・ティアラの名にかけまして、本当ですわ」 大仰にデイジーが宣言した。 それで信じるほど、ルドルフはお人好しではない。だが何を運べと言われても、逆らえないのが現状である。そこが辛いところだった。 とりあえず、運ぶ物について考えるのは後にしよう。ルドルフは、そう考えた。 「まあいい。それで?」 「条件がありますですわ」 「条件?」 「簡単なことですわ。その物を運ぶに当たって、傷一つなく、無事に運んでいただくこと」 「簡単かどうかは俺が判断する。それで? 俺に運ばせようってことは、その物は狙われてるってことか?」 傭兵に運搬を依頼するということは、それが何かしらの理由で狙われているということが多い。むしろ、そうでなければ、傭兵に依頼することもない。 「そうご理解いただいて結構ですわ」 あっさりとデイジーが頷く。 ふん、とルドルフは鼻で息をついた。 「ルドルフさまにとっては、楽な仕事だと思いますですわ」 「狙われる相手によるな。ラウエル大神殿って言うぐらいだから、魔神教団か?」 「それも秘密ですわ」 デイジーが、わざとらしく口許に人差し指を立てた。 「ったく、全部秘密か」 「いつものことではありませんか」 「お前が隠さなきゃいいだけの話だ」 「隠すには、隠すなりの理由があるのですわ。そのくらいのことは、傭兵たるルドルフさまの方がわかっていらっしゃると思いますけど?」 「じゃあ、その隠す理由ってのは何だ?」 「あたくしが隠したいからですわ」 デイジーが微笑んだ。雛菊が咲いたかのような、無邪気で、それでいて爽やかな微笑だった。内容がふざけきっていなければ、完璧といえた。 「お前なあ」 ルドルフは、怒りを通り越して呆れた口調になっていた。 「それのどこに隠す理由があるんだよ?」 「どこの誰とも分からない強大な敵の、十重二十重に及ぶ攻撃をかいくぐり、秘密の物品を運ぶルドルフさま。とても素敵ではありませんか。あたくしは、素敵なルドルフさまを見たいのですわ」 「お前の期待感を満足させるために、俺はどこの誰とも分からない強大な敵の、十重二十重に及ぶ攻撃を受けねばならんのか?」 「そういうことになりますですわね」 あのなあ、とルドルフは嘆息する。 「それを隠して何の得があるんだよ? やっぱりお前、俺に失敗させて、エルファルスを回収したいのか?」 「いえいえ。そんなことはありませんですわ。成功して貰わないと困ります。そのために、傭兵として信頼できるルドルフさまに、頼んでいるのですわ」 「俺はお前の信頼より、敵の情報が欲しいがな」 むしろ、ほっといて欲しい。ルドルフはそう続けたかったが、それはかろうじて飲み込んだ。 しかし。 「嫌ですわ」 その拒否は、飲み込んだ言葉にすら向けられたものに感じられるぐらい明瞭だった。ルドルフはぞっとしたが、それでもあえて表面だけと受け取って、反論する。 「お前がその情報を言わなかったら、俺は敵を見誤って、大事なブツに傷を負わせてしまうかもしれんし、依頼自体、失敗してしまうかもしれんぞ」 「そうなったら、全部ルドルフさまの責任ですわ」 「ああ、そうだろうよ」 もはや、何を言っても無駄な気がしたルドルフは、せいぜい皮肉っぽく答えてやった。 「どうも、煮え切りませんですわね」 デイジーが、腰に手をやりつつ溜息をついた。 「この依頼で煮えきれる方が、どうかしてると俺は思うけどな」 「まだそんなことをお言いなさる。男の癖に、往生際が悪いですわ」 「そこは、男がどうだとか関係ねえだろ」 「かつてサウフィ様は、ほとんど状況がわからずとも、ラティス様のために、自ら進んで危地に赴き、ついには〈屍皇子〉をお討ちになり、ラティス様をお救いになりました」 デイジーが、遠い目をしてうっとりと語り出す。 「その精悍なお姿は、今でも忘れられないですわ。ああ、サウフィ様。まさしく殿方の鑑。さすがに、今も尚ラティス様がお愛しになられているお方です。ルドルフさまも、それを見習って欲しいものですわ」 「数千年前の大英雄と、しがない傭兵を一緒にすんな」 「一緒ですわ。仮にもルドルフさまは、当代のエルファルスの所持者ですもの。ですから、些細な情報の有無など、気にせず依頼を果たしてほしいものですわ」 「んな、無茶苦茶な」 「無茶苦茶であろうとも、ルドルフさまは最早やらざるをえないでしょう? それとも、エルファルスを返還なさいますか?」 「嫌だ」 ルドルフは即答した。 「なら、つべこべ言わずにやってくださいまし、ですわ」 デイジーが、ルドルフの鼻先に指をつけて、微笑んだ。その顔にとてつもないむかつきを覚えながらルドルフは、声を絞り出した。 「ちくしょうめ。今回限りだからな。次はないと思えよ、この野郎」 「はいはい、わかっていますですわ」 ひらひらとデイジーが手を振る。 その態度に、本当に分かってやがるのかとルドルフは思ったが、デイジーがすぐに言葉を続けたので、その思いを口に出来なかった。 「それで件の物ですが、明後日にファーンのグリーンウッド亭に置いておきます。ルドルフさまは、依頼通りにそれを持って、可及的速やかにラウエル遺跡に行って下さいまし。期日は今月十五日ですわ」 「わかったよ」 ルドルフは投げ遣りに頷いた。 「何かご質問は?」 「ねえよ」 「では、お任せいたしましたですわ」 デイジーが笑みを浮かべて見せる。 刹那、デイジーの姿が視界から消えた。 ご機嫌よう、という声を残して。 |