季節は疾風怒濤
01
1 長剣が闇夜に一閃し、男の胴を深く斬る。男は断末魔を上げることすら出来ずに、その場に倒れ落ちた。 青年は、その光景を無表情に眺めながら、長剣を鞘に仕舞った。 「さすがだな。一太刀でこれかよ」 青年のすぐ後ろにいた男が、軽く口笛を吹いて青年に並びかけてきた。 「俺も何人もの腕利きを見てきたが、あんたほどの腕前の奴はいなかったぜ。いや、あんたに頼んで正解だった」 男が懐から革袋を取り出し、それを青年に渡す。 「約束のものだ。依頼前に渡した前金と同額入っている」 青年は無言で受け取り、あまり興味なさそうに自分の懐に入れた。 「さて、これで依頼は終わったわけだが。あんた、これからどうするよ?」 男が青年に尋ねる。 通常、殺人は重罪であり、それはこの街でも変わらない。当然、この死体が見つかれば殺人事件として治安当局が動くはずだ。青年がこの街にいる限り、いずれ捜査の網は青年に行き着くだろう。男は、それをどうするかと聞いたのだ。 「どっか行くさ」 青年は短く答え、踵を返した。その背中を見送りながら男は、それがいい、と呟いた。 「どうせ流れてきた奴だしな。後腐れもないわけだ」 そして、男は青年とは別方向に歩き出した。 2 その男は、ゆっくりと少女の後背に近づいていった。それなりに体格のある方なのだが、足音は微かにもしていない。それどころか、気配すら感じられなかった。 つい先ほど、少女は近道のつもりなのか、慣れた足取りでこの通りに入っていった。そこは昼前にも関わらず、ちょうど人通りがなかった。その絶好の機会に、男は迷わず行動を開始したのだ。 少女まであと三歩の距離。それは男の間合いに少女が入ったことを示していた。それも、確実な間合いである。この間合いで仕留め損ねることはあり得ない。男が絶対の自信を持つ距離だった。 男の手に短剣が握られる。 刹那。 少女が急に立ち止まった。 「道、間違えたかな」 指を顎に置きながら、辺りをきょろきょろと見回す。その過程で、少女の視線は男を捉えていた。 ん、と少女は眉をひそめる。いつの間に現れたんだろう。そういう表情だった。そして、その視線が男の短剣を見つけたとき、男は振りかぶりもせずに、少女に向かってそれを突き出していた。 踏み込みもタイミングも完璧だった。だが、残念ながら手応えだけがなかった。 少女は男の攻撃に即応して、左に避けていたのだ。 「わっ!」 そう声を上げながら、少女は左側によろけた。運動神経の全てを動員して避けたのであろう。それ以降のバランスをとるだけの余裕はなさそうだった。 「い、いきなり、何すんのよ!」 倒れながらも、少女が非難の声を上げる。 男はそれに答えず、次の攻撃を繰り出した。 「きゃあ!」 少女は叫びながらも、男の攻撃をまた避けた。左に避けながら、今度はすぐ立てる体勢に身体をもってくる。 男は表情こそ変わらないが、内心で驚愕していた。二度も自分の攻撃を避けられたのだ。 一度目は、偶然かも知れない。だが二度目は、避けられるはずがなかった。 武術の心得でもあるのだろうか。男はそう疑ってみる。だがその答はノーであった。そのような報告は受けていないし、少女の身のこなし方からみても、そうはとても思えない。避けたのは、天性の運動神経の賜物だろう。 それならば、何も焦ることはない。男は、そう多少動揺し始めている心中を自分で鎮めた。もう一度、短剣を握り直す。 「あなた、何者よ?」 少女が、鋭い視線で問う。勝ち気に輝くコバルトブルーの瞳には、恐怖の色は一切混じっていない。 男は答えず、じりじりと間合いを詰め始めた。 「答える気がないわけね」 少女は男から目を離さず立ち上がった。 その時。 「うわ、人殺しだ!」 そういう叫び声が聞こえた。男は、少女の遙か後方に驚愕している風の人の姿を認めた。そいつが叫んだのだろう。 「ちっ」 舌打ち一つ、男がその場から去っていく。 「だ、大丈夫かい?」 叫び声を上げた男が、少女に走って近づいてくる。 「ありがと。助かったわ」 少女が男の方を向き、礼を言った。 男はその少女の顔を初めて見て、思わず見惚れてしまった。少女の容貌が、予想外に際だっていたからだ。 年の頃は、十四・五歳だろう。コバルトブルーの大きな瞳に、長い睫毛。鼻梁はつんと高い。カーチフからのぞく髪は見事な栗色で、自ら輝いているようにも見えた。少女特有の清廉さと清純な雰囲気が視線に心地よい。羞花蔽月とはこんな少女のことを言うのだろうと思われた。 噂に聞くご領主様の娘たちとどちらが綺麗だろうか。男は、そんなことをぼんやり考える。この都市の領主エンゼルテール伯爵家の四人姉妹は、『テーラー四花』と呼ばれ、その美貌で西方に名を知られていたのだ。この少女は、ほぼ確実に『テーラー四花』たちと同じくらいか、もしかしたらそれ以上に美しいだろう。男は痺れた脳でそう考えていた。 「どうかした?」 少女が呆然としている男に小首を傾げて見せた。 その言葉で男ははっと我に返り、照れ隠しに咳払いをする。 「な、何でもない」 「そう」 「と、ところで、何かあったのかい?」 「いきなり襲いかかられたんだけど。この辺では、そういうの、よく出るの?」 「いや、この辺は治安はいい方だけど」 大通りから外れているとはいえ、一本だけであるし、それ以上にこの都市の治安はいい方である。 「そうよねえ」 少女は顎に指を置きながら、少し考え込んだ。 「警邏兵に言っておくかい?」 男は提案してみる。その台詞の中には、その詰め所まで連れていってあげるよ、というニュアンスを含めていた。普段ならしないお節介だが、ここまでの美少女とできればお近づきになりたいという下心が多少はあったようだ。 しかし、少女は首を横に振る。 「いいわ。あんまり面倒事は困るから」 「そ、そうかい」 男が残念そうに答える。 「ところで、『リトル・エヴァ』っていう店、この先であってる?」 「あ、ああ。酒場だろ。そこへ行きたいのかい?」 「うん。連れとはぐれちゃってね。そこに行けば会えると思うんだけど」 少女が軽く肩をすくめた。 「『リトル・エヴァ』なら、その先を曲がってすぐだけど」 男は、咄嗟に道を教えてしまう。その後、男が指さした方に視線をやっている少女を見て、自分の迂闊さに思い至った。そこまで送ろうかと言えば良かった。そう後悔したのだ。もっとも、ここからだと既に送るほどの距離もないのだが。 「そう。やっぱりこっちで合ってたのよね」 少女がそう呟きながら、男の方に向き直って笑む。 「ありがと。さっきはほんとに助かったわ。それじゃあ、あたしはこれで」 その笑顔は男を茫然とさせるだけの威力を持っていて、男は軽く手を振って去っていく少女を茫然と見送ったのだった。 少女が男に言われた通りを曲がると、言葉通り次の大通りに出た。その角から三つ目の店が『リトル・エヴァ』だった。 少女は店の前で立ち止まり看板を確認した後、店の中に入っていった。 店内は非常に混雑していた。ちょうど昼時の盛況時だったらしい。いらっしゃいませ、と忙しく動き回るウエイトレスに出迎えられた。 少女は店内を見回してみるが、目的の人物は見当たらなかった。それでも腹ごしらえをしようと思い、ウエイトレスについていく。座る席がなかったら違う店に行こうと思っていたが、一人を潜り込ませるだけの余裕はあったらしい。相席でよろしいでしょうか、というウエイトレスの問に頷くと、二人用のテーブル席に案内された。先客は陰気そうな青年で、黙々と白身魚のソテーをつついていた。 その青年が少女を一瞥する。 少女は、礼儀として微笑しながら軽く頭を下げた。その時、青年が一瞬眉根を寄せたが、すぐに興味が失せたようで、彼は何も言わずに再び料理の方に視線を落とした。 暗そうな奴。少女はそう思った。 基本的に、少女の方も青年にあまり興味がわかなかった。だが注文した料理が来るまでの間、何もすることがないので、仕方なく少女は青年を観察することにした。 二十代半ばぐらい。長身な方だろう。肩幅が広い。だががっしりとした感じはあまりなく、むしろ猫背で痩身な風である。ぼさっとした黒髪で、両の目も同じ色。黒いチュニックに黒いズボンを着ていて、それが陰気な雰囲気に拍車をかけていた。見れば見るほど暗そうな奴。それが、少女の観察結果だった。 男を観察するのに、それほど時間はかからない。注文した料理が来るまでには、混み具合からみてまだ少し時間がかかりそうだ。少女は軽く溜息をついて、頬杖をつく。 「ラッセルの奴、どこほっつき歩いているのよ」 そう呟きながら、もう一度、待ち人が来ていないか店内を見回してみた。 その時、一瞬だが、二席後方に座る男と目があう。 冷たい視線。それに見覚えがあった。 さっきの奴だ。少女は瞬間的にそう思った。つい先ほど、自分を狙った男だ。あの時、奴は顔をフードで隠していたが、そこからのぞく目だけは印象深くて憶えている。間違いない。少女はそう確信した。 男はすぐに視線を伏せたが、少女にはそれで十分だった。 「あいつ、まだ狙ってるのね」 どうも通り魔ではなく、自分を狙っているようだ。少女はそう考えざるを得ない。そして、少女には個人的に狙われる理由があった。 このままだとまた狙われるだろう。その時に、先ほどのような幸運が訪れるとは限らない。奴は、先ほどの身のこなしかたからして、手慣れている感じがする。少女は自分の運動神経に自信はあったけれども、それは一般レベルのことと自覚していたから、次も大丈夫とはそんなには思えなかった。 どうしたものか、と少女は思案する。官憲に連絡して貰うのが一番いいのかもしれないが、もし間違いだったら洒落ではすまされないだろうし、少女もあまり官憲には関わりたくなかった。だから、その案は始めから少女の頭には浮かばなかった。 ラッセルがいたら話は早いのに。そう考えながら少女は、何気なく視線を青年にやった。 少女の視線に、青年が腰から下げている長剣が目に入る。 武器携帯者というのは、ここエンゼルテールのような人口の多い都市であれば、それほど珍しくはない。特に一般街区であれば。勿論、大型武器を堂々と持ち歩くのは非常識ではあるが、剣を下げて歩くことは、それだけで罪になったりはしない。治安レベルが低いというよりは、自己防衛の気風が高いということだろう。 とはいえ、一般人が武器を携帯したりは、あまりしない。する必要がないからだ。 普段から武器を携帯しているのは、大きく分けて二種類いる。一つ目は、軍属の人間や官憲たちである。彼らは、それとわかるように制服や徽章をつけている。二つ目は、ならずものと呼ばれる人たちだ。ごろつきから犯罪者まで、含まれる範疇は広いだろう。その中に傭兵というのも含まれている。 雇い兵である傭兵たちは、様々な雇い主の依頼をこなす。それは護衛だったり、警備だったり、時には兵士として戦争参加することもある。またあまり表沙汰に出来ない汚れ仕事を請け負うこともある。要は、権力機構に所属しない戦士層の総称である。 徽章も何もつけていない彼は、軍属や官憲ではない。であるならば、ならずものの方になる。犯罪者は恐らく表に出てこないので、彼は恐らく傭兵だろう。その推測が、少女に一つの行動を決断させた。 「ねえ、あなた」 少女は青年に声をかけた。 青年が無言で顔を上げる。陰気だが鋭い目が、少女に向けられる。 「あなた、傭兵でしょ?」 「ああ」 青年が短く頷く。 「流れ?」 「ああ」 そう、と答えながら、少女は自分の推測が正しかったことを知った。 「今、仕事が入ってるの?」 「いや」 「じゃあ、あたしに雇われない?」 「…………」 青年が眉根を寄せて、胡散臭そうな視線を少女に向けた。 「あたし、今狙われてるのよ。その護衛なんだけど。お金ならちゃんとあるわ」 少女は、懐から金貨数枚を出して見せた。 須臾、青年は無言のまま、テーブルの上に置かれた金貨に視線をやっていた。 「どう?」 「とりあえず話を聞こう」 青年が顔を上げた。表情は相変わらずである。 「あたし今、連れとはぐれちゃってて、そいつを探さなくちゃならないのよ。でも、さっき言った通り狙われてて、ちょっと危ないのよね。だから、あたしが連れと合流するまでの間、あたしを護衛してほしいの。長くても今日中に終わると思うから」 どう? と少女が目線で尋ねた。 なるほどな、と青年が軽く息をついた。 「わかった」 楽な仕事だと思ったのだろうか。それとも、半日だけならつきあってやってもいいと思ったのだろうか。とにもかくにも、青年は頷いた。後に青年は、このとき頷いたことを後悔することになるのだが、それはまだまだ先のことである。 「ありがと。じゃあ、あなたの名前をうかがえるかしら。あたしはマリア・ウェンディっていうの」 少女はそう自己紹介する。その直後、本名を名乗ってしまったことに、しまったと少し悔いたが、青年はその名前を聞いてもぴんとは来ていないようで、安堵した。彼が流れではなく地元の人間であったなら勿論、世情にそれなりに通じていたのならすぐに、彼女の正体に気がついただろう。マリア・ウェンディという名は、この都市の領主ハワード・テーラーの娘の名前だったからだ。そう、少女は『テーラー四花』であり、その中でもとびきりとされている次女、マリア・ウェンディ・テーラーその人だった。彼女は、お忍びで街に出ていたのだ。 その事実に気がつかず、青年が自分の名を名乗った。 「ウェズリー。ザヴィアー・ウェズリー」 「そう、ザヴィアーっていうの。よろしくね」 ああ、とザヴィアーが頷いて、早速問いかけてくる。 「それで、その連れとやらとは、どこではぐれたんだ?」 「この店の前かな。で、ここにいたら見つかるかなと思って来たんだけど、いないし。向こうも探していると思うんだけど」 「じゃあ、ここで待っていたら会えると思うが」 どうかな、とマリア・ウェンディは小首を傾げる。 「はぐれてからだいぶ時間がたってるから」 「だいぶとは?」 「五時間くらいかな」 「……えらく長い時間はぐれてるんだな」 多少、呆れた調子でザヴィアーが感想を述べた。 「それなら、行き違いだろう」 「でしょ。だから、これから探そうと思ってるのよ」 「また行き違いになるだけだと思うがな」 「だからといって、ここに何時間もいるわけにはいかないでしょ」 普通、店屋側は何時間も居座る客は好まない。それ以上に、マリア・ウェンディは、一つの所に何時間も留まるのに耐えられる性格はしていなかった。 ザヴィアーは、まだマリア・ウェンディの性格など知る由もないから、前半の理由と理解して、それもそうか、と頷く。 「じゃあ、探しに行くか」 「ちょっと待って。あたしの料理がまだ来てないから」 マリア・ウェンディは、立ち上がりかけたザヴィアーを止めた。それと同時に、マリア・ウェンディの頼んだ料理が運ばれてきた。結構な量である。それを見て、ザヴィアーは椅子に座り直した。 3 『リトル・エヴァ』を出て、マリア・ウェンディは大きく伸びをした。お腹もいっぱいで、とても気持ち良い。 「さて、どっから探そうか」 周囲を見渡す。 ラッセルは恐らくまだ帰っておらず、自分を捜しているだろう。彼をよく知るマリア・ウェンディはそう確信できた。自分がもう帰ってしまったと思って、屋敷に一度くらい戻ったかも知れないが、すぐにいないことがわかるから、また街に戻るはずだ。 「好きにしろ」 後方に立つザヴィアーが、味も素っ気もない口調で応じた。 その言い方に、一瞬腹の立ったマリア・ウェンディだったが、言われなくてもそのつもりだったので、あえて反論はしなかった。 「じゃあ大通りから探してみるか」 エンゼルテールのメインストリートはクローヴァー通りである。大きな道が南北に走り街を東西に分けている。『リトル・エヴァ』からは、小さい通りを含めて三つ西に離れていて、まずマリア・ウェンディはクローヴァー通りに出るために西に向かった。 刺客が自分たちよりも先に店を出ていたのは、食事中に確認していた。今はどこかに潜んで、こちらを監視しているかもしれない。 護衛に雇ったザヴィアーは、別に周囲を睥睨するわけではなく、辺りに注意をやるわけでもなく、ただ単純にマリア・ウェンディについてきていた。 どうやら、あまり役にはたたなさそうね。なんとなくマリア・ウェンディはそう思う。彼女は、身分上何人もの腕の立つ人間に護衛された経験があった。西方最高級とされる傭兵に護衛をされた事もある。だからこういう時、一流の人たちがどういう風な感じでいるかというのを彼女は知っていた。彼らは、余裕がある風に見えても、常に周囲に気を配っているのだ。一流になればなるほどそれを気づかせない上に、気を配っている範囲がとても広い。 その基準からいくと、全てに興味がなさそうで、俯き加減についてきているだけのザヴィアーは、護衛としてはあまりランクが高くないということになる。 もっとも、実のところマリア・ウェンディは、ザヴィアーに護衛としての腕をそれほど期待していなかった。彼女が彼に求めているものは、実は常に近くに誰かいる、それを刺客に知らしめるためだけのものだった。護衛とおぼしき人間がついていれば、刺客も襲うのを少しばかり躊躇するだろう。マリア・ウェンディにとっては、その程度の効果で十分だったのだ。 しかし。 「ねえ、あなた」 マリア・ウェンディは立ち止まり、ザヴィアーのほうを振り向く。彼のことは護衛としては期待していないけれど、だからといってこのまま無言で過ごす気もなかったのだ。 ザヴィアーは面倒そうに、顔を向ける。 マリア・ウェンディは、ザヴィアーと並んだ時点で再び歩き始めた。並ぶと、思った以上に彼の背が高いことを実感した。 「流れって言ってたわね。どこから来たの?」 「ルエル」 ザヴィアーが隣の都市の名を口にする。 「ふうん。ルエルに長くいたの?」 「三日、かな」 「三日! ルエルでは仕事をしてなかったの?」 「いや。したが」 「えらく早くに片づいたのねえ」 「楽な仕事だったからな」 「どんな仕事だったの?」 マリア・ウェンディは興味津々で聞く。こんな陰気な傭兵が、一体どんな仕事をしてきたかにちょっと興味があった。 正面を向いていたザヴィアーが、マリア・ウェンディに視線を降ろす。 「聞いてどうする?」 声色は変わらないが、台詞から少し警戒しているのがわかった。 「別に。単に興味よ」 マリア・ウェンディは素直に答えた。ただ、素直すぎて相手に信じてもらえるかは疑問が残るのだが。 「あなたがどんな仕事をしてきてても、あたしには基本的に関係ないもの。例え人殺しとか、汚れ仕事でも――」 そこまで言ったとき、ザヴィアーが不意に動いていた。動いていた、というのは、マリア・ウェンディが気づいたときには、既に彼は行動済みだったから。 風を切る音と、何かが反射してきらめいたのが一瞬だけわかった。一瞬、思考が停止し、何が起こったのかわからない。目の前を下から上へ白刃が走ったというのがわかったのは、ザヴィアーが長剣を鞘に仕舞った後だった。 須臾、茫然とした後。 「ちょ、ちょっと、いきなり何すんのよ!」 急激に怒りが混みあがってきて、マリア・ウェンディはザヴィアーに怒鳴った。 だがザヴィアーはまったく聞いてない風で、腰をかがめ地面に手を伸ばしていた。 「お前、本当に狙われてたんだな。ガキの戯言だと思ってた」 ザヴィアーが無感動に言いながら、マリア・ウェンディに長い針を見せる。 その失礼な言い種に少しムッとしたマリア・ウェンディだったが、それは問責せずにおいた。今の問題はそんなところではない。 「何、これ?」 「針」 「見りゃわかるわよ、そんなの」 「これが飛んできてた。吹き矢か何かだろうが」 「え、……そうなの? 全然気づかなかった」 マリア・ウェンディは驚いて、針を見つめる。銀色の針だが、針先の色が少し黒い。 「針先には毒でも塗ってあると思うが」 「嘘っ、ホントに?」 マリア・ウェンディは、おっかなびっくり針先に指を伸ばして触らぬまま引っ込めた。触れると多分やばそうだ。 「狙い所がいいならともかく、針だけじゃ人は殺せない」 ザヴィアーが無造作に針を捨て、視線を斜め前に向けた。その視線の先は曲がり角で、細い路地に続いている。そこに刺客がいたのだろうか。 「で、どうする?」 ザヴィアーが聞いてくる。 「何を?」 まだ捨てられた針の方を見ていたマリア・ウェンディは、ザヴィアーが何を聞いているのかわからなかった。 「斬ってくるか?」 その辺に落とし物をとりに行くかと聞いているような口調だった。 「いらないわよ、そんなこと」 マリア・ウェンディはザヴィアーに視線を戻す。 「どうせ、もう遠くへ逃げてるだろうし。追っても追いつけないわよ」 「そうか」 感情を読ませない応諾だった。 ふう、とマリア・ウェンディは息をつき、ザヴィアーを見上げる。彼はつまらなさそうな目で斜め前を見ていた。 「あなた、結構やるのね」 少なくとも実力に対する印象は、最初からは大幅に上へ軌道修正されている。 「まあ、それなりだろ」 「案外、いい拾いものをしたかもね、あたし」 再び歩き始めながら、マリア・ウェンディはそう微笑した。 「拾いものって。どういう目で俺を見てたんだ?」 少し呆れた目で、ザヴィアーがマリア・ウェンディを見る。 「ただの陰気な傭兵」 「……陰気な、と言われてもだな」 「だって暗いんだもん。そういうオーラが出てるのよ、あなた」 「俺がこんななのは、生まれつきだ」 「改善した方が、仕事もいいのが回ってくるわよ」 根拠なく言い切った後、ところでよ、とマリア・ウェンディは話題を変えながら、歩き始めた。 「あなたが横に立ってるのに、狙われたってことはさ。相手も結構自信があるって事かな?」 抑止力で彼を雇ったのに、その意味はあまりなかったらしい。 「そうなんじゃないか」 興味なさそうに、ザヴィアーが答えた。 その答え方とかが暗いのよ。そう言った後、マリア・ウェンディは、話を続ける。 「じゃあ、さっき一回あなたが防いだじゃない。それでまた狙われると思う?」 「さあね。相手次第だと思うが」 「というと?」 「お前を狙ってる奴が、あれ以上の手段をもっていれば、また狙ってくるだろうよ。そうでなければ、違う方法を考えるんじゃないか」 「そうよねえ」 マリア・ウェンディは少し考え込む。 「狙ってる奴ってプロだと思う?」 「そうなんじゃないか」 「だとしたら、あたしを狙うのを諦めるってことは、あんまり考えられないわよね」 仕事というのは、やり遂げて初めて意味をなす。途中でやめれば、それはやっていないのと同じことだ。 「そうだろうな」 「そうよねえ」 マリア・ウェンディは、ザヴィアーに頷いて見せた後、また話題を変える。 「しっかし、あなた、全然あたしが狙われてる理由聞かないのね?」 ザヴィアーが、胡乱そうにマリア・ウェンディを見返す。 「聞かれたいのか?」 「聞かれたら困るけど」 お忍び中の現在、領主の娘というのは、あまりおおっぴらに出来る話ではない。 「じゃあ、いいじゃないか。どうせあと半日だけのつきあいだ」 「その間にラッセルが見つかればね」 マリア・ウェンディが肩をすくめた。 やがて、クローヴァー通りに出る。 メインストリートであるこの通りは、他の大通りより道幅が広い。人通りも活気も、他の大通り以上のものだった。これだけで、エンゼルテールが活気に満ちた都市だということがわかる。 さすがに、この人通りの中、刺客が襲ってくるとは考えにくい。その意味では、ここは安全といえた。ただし、ラッセル捜索という点では、やっぱり不備がでる。彼がこの通りにいるとは限らないからだ。 「ま、とりあえず、この通りから探しましょ!」 マリア・ウェンディは、歩を北へと進めた。 少し歩くと広場が見える。そこには露店商がたちならび、大道芸なども行われており、人の賑わいがさらに多くなっていた。 「ちょっと見ていこう!」 マリア・ウェンディは言うや否や、広場に入っていった。 「あ、これ可愛い!」 「あれ見て、すっごーい!」 おのぼりさんよろしく、あっちへうろうろこっちへうろうろする。 「なあ」 後からついてくるザヴィアーが声をかけてきた。 「何?」 シートの上に並べられたいかがわしいアクセサリーを吟味しながら、マリア・ウェンディは聞き返す。 「お前、人を捜してるのと違うのか?」 「そうよ」 「俺にはそうは見えないのだが」 「そうかな。これでも探してるわよ」 「そうか。そいつはよかった」 ザヴィアーが、短く息をついたのが見えた。 「あ、あっちの方がいいかも」 そんなことは気にせず、マリア・ウェンディは二つ横の露店の方をのぞきに行った。 そんな風に、しばらく広場をうろついた後、やっと飽きたマリア・ウェンディが広場を出ようとする。 その出口辺りで、急に五人の男が両横と後ろについた。ごろつきな感じの男達で、各々武器を携帯していた。 「何よ?」 マリア・ウェンディは、立ち止まった。 「立ち止まるな。こっちへ来て貰おうか」 すぐ横についた大男が、威圧的に言った。 マリア・ウェンディは、ちらりとザヴィアーの方を向く。彼がどういう態度でいるかに興味がわいたのだ。 ザヴィアーは、その陰気な視線を彼の横に立つ男に向けていた。怯えている風は全くなく、むしろ先ほどと変わらない様子なので、マリア・ウェンディはこいつらについていく気になった。 彼らが誘導してきたのは裏路地の袋小路だった。 「こんな所に連れてきてどうしようって言うのよ?」 道路を塞ぐ形で展開する男達に、マリア・ウェンディは問う。 「お前らを痛めつけてくれと、頼まれてな」 大男がそうにやりと笑う。それを合図にして、五人がそれぞれ武器を手に持った。 「誰によ?」 「さあね!」 大男が答えるや否や、手に持った戦斧を振りかぶった。続いて、残りの四人も動く。どうやら、痛めつける気ではなく、殺そうとしているらしい。 その刹那。 背後から何かを感じた。ぞくり、とするような冷たくて鋭い強烈な感覚。今まで感じたことのない感覚だった。 男達の動きが止まったように見えた。驚愕に目を見開いて、怯えた視線でマリア・ウェンディの後方を見ている。 刹那。 「マリアお嬢様! ご無事ですか!」 その声とともに、若い青年が駆けてきた。 「あ、ラッセル!」 マリア・ウェンディはその青年の名を呼ぶ。 「て、てめえ、な、何者だ!」 我に返った男達が慌ててラッセルの方を向くが、もう遅い。この手の輩が何人集まろうと、ラッセルの敵ではないことをマリア・ウェンディは知っていた。 その思い通りに、ラッセルはあっという間に五人をうち倒していた。彼らは、その場に気絶して転がっていた。 「大丈夫ですか、マリアお嬢様」 「うん」 マリア・ウェンディは頷いた。 「よかった」 ラッセルが大仰に息をつく。 それから、ゆっくりとマリア・ウェンディの方を向いた。 「いったい、どこに行かれていたんですか? あれほど勝手にうろつくなと申しましたでしょう。何のために私がついていると思っているんですか。いくら治安が良いとはいえ、今回みたいに一人では危険があるんです」 「いきなり説教ぉ〜」 マリア・ウェンディは顔をしかめた。 「だいたい、ラッセルがあそこへは行くな、ここには入るな、とかうるさいからでしょ。せっかく抜け出してきたんだから、自由に動きたいのよ」 「だから、私の目を欺いて逃げ出したというのですか? その結果、こうなんですよ。少しは反省して下さい」 「いいじゃない。無事だったんだし」 マリア・ウェンディは掌をぱたぱたと振った。 「よくないです! もしものことがあったらどうするおつもりですか?」 「大丈夫よ、そのためにこの人雇ったんだもん」 「……え?」 ラッセルが初めてザヴィアーに気がついたように、彼に視線をやった。 「この方は?」 「あたしが雇ったの。あなたがはぐれちゃったから」 「はぐれたのは、マリアお嬢様の方です」 「そんなの、どっちでもいいじゃん」 マリア・ウェンディは肩をすくめた。 「……よくはないですが、まあいいでしょう。で、雇ったとは?」 「護衛に。思ったより、なかなかやるのよ」 「ほう」 ラッセルがザヴィアーを注視する。ザヴィアーは、それを相変わらずの陰気な目で見返していた。 「ザヴィアー・ウェズリーっていうの」 マリア・ウェンディが紹介する。 「ウェズリー殿か。とりあえず、礼を言わせて貰おう」 ラッセルが頭を下げた。 「何をしたというわけじゃないが」 ザヴィアーが答え、倒れている五人に視線をやる。 「とりあえず、無事合流できたのなら、俺はここで消えたいのだが」 「ああ、そうね」 マリア・ウェンディは、懐から金貨を出し、約束の報酬額をザヴィアーに渡した。それを受け取ったザヴィアーが、踵を返して歩き始める。 「ねえ、あなた」 マリア・ウェンディは、その背に声をかける。 「まだ、この街にいるの?」 「もう少しは」 「そう。じゃあ、またね。バイバイ」 ザヴィアーが眉根を寄せた。だがすぐに歩き始め、通りに消えていった。 「またね、って、どういうことですか?」 「まだ、あいつとは縁がある気がするのよ」 確信を込めた口調でマリア・ウェンディは言った。 「……それは、またお屋敷を抜け出して、あの傭兵を雇うと言うことでしょうか?」 口元をひくひくさせながら、ラッセルが問う。 「さあ、どうだか」 マリア・ウェンディは、うふふと笑った。 「さあ、そろそろ帰らないと、父様にバレちゃうわよ」 そう言うと、足取りも軽く歩き始めたのである。 |