会いたくない彼女   

   



 仕事がほぼ終わったのは、午前0時を過ぎようかという時間であった。
 店舗そのものは午後十時に閉まったのだが、その後の後かたづけが大変だった。イベント用なので、その日一回限り、明日からは違う商品が違う展開で違う陳列をされるのだ。だから、今日の荷物は今日中に片付けなくてはならない。
 荷物運びに、ポップ貼り付け、その上接客までやらされた舘川は、本当にくたくたになって手近な柱にもたれかかった。
 溜息をついて、煙草に火をつけた。
 一口吸う。脳細胞が一つずつ死んでいくような感覚がたまらない。
 後は目の前に積まれた荷物を、会社の倉庫に運ぶだけだ。その後は直帰でいい。
「さてと」
 そう自分に呟いて、舘川は携帯灰皿に吸い殻をしまい、荷物をカートに載せていった。
 カートを押してガレージに向かう。
 ガレージには既に車はまばらで、店舗に来ていた人間もほとんどが帰ったものと思われた。舘川は最終組なのである。
 自分の車の前にカートを止め、トランクを開ける。荷物を一つずつ抱え上げ、詰め込んでいく。
 全て詰め込み終えて、トランクを閉めると、舘川は長い息をついた。
 やっと終わったと思ったのだ。
 どうして、手伝いでしかない他課の自分が、朝一から最終まで働かなければならないのだろうと、疑問に思う。販促の人間はシフト通り早番と遅番に別れていたのにだ。
 舘川は、そこでもう一度煙草を吸った。吸わなければやってられないといったところだった。
 「…………」
 考えに間が空くと、どうしても浅木のことを考えてしまう。
 今日会ってしまったのが、最悪だった。そして、最悪な事実を告げられたわけだ。浅木は販促の中の人間に思いを寄せる人がいて、今日はそいつと待ち合わせらしい。今頃は楽しくやっているのだろうか。舘川はそう思いながら振り向いた。ガレージの先には、浅木が言っていた待ち合わせの公園があるのだ。
 舘川は何気なく振り返っただけだが、視線に入った小さな人影に驚愕した。その人影は、ぽつねんと公園のベンチに腰かけていた。
「……浅木」
 ガレージから公園までそれなりに離れていたが、ガレージの電灯が消されていることと、公園の電灯がついていることで、その人影が誰だかわかったのだ。その上、浅木は昼過ぎの休憩時間に会ったときのままの服装である。見間違えるはずがない。
「おい、もう十二時すぎだぞ」
 待ち人が来ないにしても、待ちすぎである。彼女が待つと言ってから十時間以上もたっている。
 舘川はガレージ内を見回して、車を確かめた。
 島村や石倉といった浅木と同期の連中の車はもうない。
 約束をすっぽかしたか、それとも約束したのが彼らではなかったか。どちらにしろ、浅木は待ち続けている。
 元上司としての、責任感が舘川に湧いてくる。それはふられた気まずさに対抗し得るほどのものではなかったが、優先させねばならないことだろう。
 年若い女性が、人気のない公園に一人でいるのだ。この物騒なご時世では、危険だと思われる。とりあえず家に帰さないと。舘川はそう思い、公園に向かった。

「あ、主任」
 舘川が浅木の前に立つと、彼女は俯いていた頭を上げて、舘川を見上げた。今まで固かった表情にが、急に柔らかくなる。
 舘川は長く溜息をついた。
「いつまで待ってる気だ」
「来るまで待ってるつもりでしたよ」
「今何時だと思ってるんだ。さすがにもう来ないよ。諦めて帰れ」
 ぶっきらぼうに舘川は言った。
 そんな舘川に、浅木は微笑を、いたずらっ子のような笑みに変える。
「来ましたよ、待ってた人」
「え!」
 舘川は驚いて、振り返る。
 しかし、そこには、誰の姿も認められなかった。左右を見回すが、人の気配すら感じられない。
 訝しんで、舘川が視線を戻すと、浅木が立ち上がっていた。真剣な表情をしていて、目が少し潤んでいる。
「主任、急にいなくなっちゃって、人事異動って後で聞いてびっくりして、あの時のことをちゃんと話さなくちゃと思ってたけど、主任とはあれから会えなくて、今日ここにいるというのは聞いて知ってたから、ここでちゃんと話そうと思って、でも会ってみたら、主任、あたしを避けてるみたいだったから、どうしようと思って。でも主任は鈍いから気づかないよって課内の子は言ったんですけど、ちゃんと来てくれたから、今度はあたしの方から言わなくちゃと思って、本当はあの時にちゃんと返事すれば良かったんですけど、あの時は本当にびっくりして、でもとても嬉しかったから、あたし思わず泣いちゃって、それを謝っただけなのに、そしたら、主任、誤解しちゃって……」
 そこまで言って、浅木は照れたように、あはは、と笑った。
「とりとめがなさすぎですね、あたし」
 確かに、とりとめはなかった。だがそれで、彼女の言いたいことが理解できないほど、舘川は鈍くはなかった。
「俺の誤解、だったわけか」
「あたしも悪かったんです。泣いちゃったりしたから……。だから、次は絶対あたしから言わないとと思って……」
 そう言って、浅木は舘川を見つめた。表情に笑みは浮かんでいるものの、頬には赤みがさしていた。
「もういいよ」
 舘川が微笑する。
「え?」
「わかったから。それ以上は言うな。俺が男としての資質を問われる」
「でも――」
「俺の誤解だったんだろ。それでいいじゃないか」
「……そうですね」
 浅木も納得したのか、微笑んで返す。
 見つめ合ったまま、数秒の時間が過ぎた。
 それから、浅木がまたいたずらっ子のような表情になる。
「こういう時、抱きしめてくれると、女性は嬉しいものですけど」
「馬鹿野郎。そんな勇気があるか」
「そうですね。主任はちょっと泣かれたくらいで、逃げちゃう臆病者ですからね」
 もしかしたら、案外根に持っているのかもしれない。舘川はそう思いかけたが、次の彼女の台詞が、そんな思考をぶっ飛ばした。
「だから、今はあたしの方が積極的になりますよ。泣いちゃったお詫びです」
 そう言うと、浅木が舘川を見上げたままの格好で、すうっと目を閉じた。
 驚愕の一瞬間が過ぎた後、舘川は行動を迫られた。この状況で何もしないことの方が男としての資質を問われるだろう。
 舘川は、慌てて左右を見回して人がいないことを確認する。それから、浅木の額に軽く口づけた。

「普通、唇じゃないですか、こういう時。主任らしいと言えば、主任らしいですけど」
 車中、浅木が公園での出来事を振り返って笑う。
「ほっとけ」
 舘川は苦虫を噛み潰したような表情をした。あれでもやりすぎたかと思っているくらいなのだ。
 でもまあ、と浅木が続ける。
「楽しみは後に取っておくということで」
 これからも、よろしく。浅木がそう言ってにっこりと笑った。

〈了〉



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