春の光 

2013年2月14日 記

 
 立春を過ぎて、あたりが春めいてきました。
この時期になると、私の奥で何かうごめいてきます。「春だー」と歓喜の大声をあげて蠢いているのです。まだまだ寒さはつづきます。でも、明るい日射しが見えたとき、ほのかな燭光を感じてうれしくなってしまいます。

 いずことも春の光はわかなくに まだみ吉野の山に雪降る    凡河内躬恒

 この時期、萌えいづるのを待ちかねている若草たちは、じっと土の中で様子をうかがっています。飛鳥路を歩きたいと子供が小さい頃に行ったことがあります。天武、持統天皇陵あたりで、小雪がちらついて私が願ったとおりの光景になりました。

 君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ   光孝天皇


ペイント さざんか toshi 2013.1.18 


 去年の秋口から、左手の薬指がバネ指になって、少々の痛みもあったので、内科や整形で診てもらったのですが、
「家の建具の立てつけが悪いようなものですから、自然に治るかも」とのこと。
11月の終わりころ、また、右手の薬指が同じような症状を起こしてきた。 左右が同じような症状とは? ネットで調べたりたり、周りの人に聞いてみたりしながらリュウマチを疑った。で、リュウマチの検査をしてもらったのですが、結果は「マイナス」でその心配はありませんとの診断。

 私の来し方を考えてみると、老いというものは想定外のものが押し寄せてくるものです。老いといっても70歳代の後半からのようです。75歳からは後期高齢者と云われますがなるほどと合点しています。
80歳を超えた頃から、ほんとうに「えっー」ということばかり。しかし、これは不思議でもなんでもない、永い間使ってきたものが、「使い痛み」をして調子が悪くなったということに他なりません。

 バネ指が痛くて炎症しているのを「腱鞘炎」というらしいですが、それが今真っ最中で 気にすると、よけい痛みを感じてほかの指も炎症しているように思うのです。
歯を磨いたあとも人差し指や親指が元に戻らなかったりして、その時は片方の手で、ゆっくり関節をゆるめてやります。こんなことは今までもあったことですから、老化はじわじわ押し寄せてきているわけです。
去年はこけて、足に自信をなくしましたが、今回は手が不自由になって、四肢の老化を自覚した次第です。

 NHKの大河ドラマ「八重の桜」の主人公、新島八重さんの歌に
「いつしかに八十路の 春をむかえけり 射るがごとくに年月を経て」というのがあります。
「やそじの春」とは まったく私のことです。射るがごとくにという形容も同感ですね。歳月は矢を射るような速さで過ぎ去って茫然としているさまは、その年齢になってはじめて味わうものです。
「沈黙の人」の著者の小池真理子さんは、
「老いって何だろう、病気って何だろう、今も若い時と変わらぬ何かが厳然と存在しているのではないか。ふと感情がそこに触れたとき、内側から感動とも哀しみともつかないものが溢れてくるのではないか」と、父親をモデルにして書かれた文中でいっておられます。

 ほんとうに、年をとっても若い時と変わらぬものが「厳然」とあるのです。個人差はあっても、その何かはみんな持っています。そして、弱っていく体との「かねあい」を闘っているのではないでしょうか。忍耐を持って。わたくしも、日々が発見と感動と認識の連続です。先日、超高齢の人が小指と薬指が動かないと、その指を見せてくれました。
「ははーん」。 私は腱鞘炎を治したいと思っていましたが、これは仕方がないことだと知りました。


ペイント 花かんざし toshi 2013.2.15


 春色が濃くなって陽射しが明るくなって来ました。人間の杞憂を知らぬげに、大宇宙は悠然と動いています。木々は新芽を吹いていますし、土の中では虫たちが春の準備をしていることでしょう。私の部屋からは東の空にかかるお月様がよく見えるのです。季節の移り変わりは真っ先に月の姿で分かります。その大いなるものの運航に呼吸を合わせて、 今日の日は、明るく、さわやかに感謝いっぱいのうちに過ごしたいと思っています。