碧空(語り部として)-9 

2012年8月11日 記

 
 67年目の終戦の日がやってきました。
 今年はオリンピックの報道で埋めつくされています。とくに女子の活躍はすばらしく、体力、気力を出し尽くして頂点を極める姿には、感動で万雷の拍手を送っています。今年はメダルの数が多く成果があったということで喜ばしいことです。この時期は高校野球もあり、開会式に宣誓した高校生の言葉にも感心したりして、すがすがしい気持ちでスポーツを楽しんでいます。

 私には、消費税増税法が成立したことが気になります。税金を増やしてそれを社会保障に回すというのですから、とても理解できません。我が国が抱えている膨大な赤字を埋めて健全な国家財政に立て直すとか、天災大国日本の国土を防衛するための設備費用といわれれば納得しますし、よく分ります。しかし、人間社会に保障が必要でしょうか?一人ひとりの自主独立は要らないのですか。社会保障でバラマキをして人は幸せになれますか。
「もらわないとソンソン」「取るだけ取ろう」と、これからは混沌とした世の中になって、なまけもの、利己主義、他罪主義の社会になると思いす。


ペイント 「カボチャ」  2012.7.15  Toshi

 いつも「国民の皆様のために」という、野田首相にはあきれます。言葉だけはきれいですが、余裕のある所から取って、可哀想な所にあげる義賊のつもり、何を正義ぶっているのですか。民主党の考え方はおかしいです。ずっと以前、明治、大正、昭和の始め頃だったら、恵まれない人に手をさしのべて、助け合う社会主義が必要だったと思います。そしてその思想や運動に命を捧げた人は大勢いました。理不尽な世の中をよくするために、本当に命を賭けての社会主義だったと思います。でも、今は時代が違います。社会保障を過度にすれば、経済は逼迫して、国家は衰退していくに違いありません。

 今から67年前、私は女学校の3年生でした。
大阪のJR環状線の京橋から森之宮にかけて、大阪陸軍砲兵工廠というのがありました。
見渡すかぎりの広大な敷地に工場がいくつも並んでいて、私は電車の窓から毎日そこを見て勤労動員で働きに行っていました。天満の東洋紡績で紙と竹でドラム缶を作っていたのです。もう、金属性のものはないので紙と竹です。学校も勉強も念頭にはありません。
国民が一つになって、死力をつくして戦争に勝つために頑張っていたのです。

 笑うなかれ、命が寸刻に終わるのを恐れず、みんな一生懸命でありました。お国を守るために身を挺していたのです。毎日のアメリカの爆撃で、目の前の様相は刻々と変っていきました。空爆によって焼け野原と化していく大大阪。砲兵工廠も大きな爆弾の痕がいくつも出来て破壊されていきました。終戦の前日に、またまたひどい爆撃があってJR京橋駅が直撃されて、たくさんの犠牲者が出ました。級友も命を落としました。生きているのが不思議なくらい紙一重です。
 
 戦争に負けるほど悔しいものはありません。それはたいへん不条理なもので、ひどい結果になるのです。すべてが、侵略者、残虐行為者としての汚名を着せられます。それが他国からの非難だけでなく、日本人がそのように洗脳されてしまうのです。憲法も、教育も、経済も掌握されて、もう、67年も来てしまいました。結果がこんな状態になるなんて、終戦の時、誰が考えたでしょうか?終戦が決まった時、阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣は「日本人は勤勉な国民です。必ず国家は建て直りますから心配はしないで」と言って割腹自刃されたと聞きました。 

 


ガッシュ絵具 「ニンジンとオクラ」  2012.7.8  Toshi

 
 同窓会に行っても、「私達は学びやの友ではあるが、生死を共にした仲間なのよ」と、
その「濃厚な縁(えん)」を意識しての集いとなります。私は、自分で選んだ道でなくても、その時代に生きた者として、日本国を誇りに思い、日本人としての毅然とした姿勢を崩したくありません。みどり滴る国土を愛し、清冽な水に感謝します。四季を通じて変化する美しい自然の中で生活できることを、うれしく、ありがたく思っています。

 敗戦の日本が受けた当然の結果かもしれませんが、間違った教育だけは正したいと思っています。満ち満ちた物質に囲まれて、魂まで売ってしまってはいけません。また終戦前の日本を笑ってはなりませぬ。正直で、よく働く日本人。これは民族の誇りです。どかどかと土足で領土を侵犯する、無礼な近隣の諸国に怒りましょう。事なかれ主義で済ますものではありません。消費税増税に命をかけるといった首相は、この領土問題にこそ精魂をふり絞って欲しいものです。

 戦争のため、尊い命を犠牲にされた幾千幾万の人たちに、感謝と鎮魂の黙祷を捧げて、心よりご冥福をお祈りいたします。