料 理 

2012年6月29日 記

 
  近ごろ、台所に立っている時間が長くなりました。
自分が食べたいものを作っているのです。自分で作ったものが一番美味しいのです。
私は、お肉が好きな方ではないので、肉料理はどうも不得手で困ります。
肉を使ったものとしてはカレーが、まあまあというところでしょうか。私のカレーはセロリを使うのが特徴で、葉っぱも細かく刻んで全部使います。それとローリエと牛乳をたくさん入れることでしょうか。

 歳を重ねて自分を見ると、ラクにできることと、苦手なことがあるのです。そのラクなことの一番が、料理ではないかと思います。それはとりもなおさず私は「食いしん坊」ということになります。大阪の言葉で言うと「いやしん坊」で、美味しいものが食べたいのです。「自分の口に合わないものはどうも」と敬遠しがちですが、これではいけません。何処へ行っても、何が出てきても、よろこんでおいしく食べられる人にならなければと思っていますが。



ペイント「紫陽花」  2012.6.21 toshi

 きのう、近くの商店街を通っていたら高知の物産店というお店があって、7センチぐらいの小さな茄子が袋に五つほど入っていました。「今朝、高知の母が宅急便で送ってくれました」とおじさんが言っていましたが、なるほど、もぎたてという感じ。
私はお漬物にしたいと思い一袋買いました。あまりにも新鮮で可愛らしいナスは、煮物にもいいのではないかともう一袋買いました。一緒にいた友達は糠漬けにするといっていましたが、私は糠床を持っていないので、いつものように浅漬けにしました。

 この茄子の浅漬けは失敗に終わりました。茄子のへたを取り、縦に四つに割って、しばらく水に晒し、軽く塩を振って、浅漬け器に入れて「浅漬けの素」をかけました。その時土生姜や昆布や唐辛子など入れて、最後にお酢を少々振りかけておきます。これは、いつもキュウリや白菜を漬けるのと、同じことをしたのですがダメでした。皮がかたく、色も茶色くなって見苦しいものでした。
これは昨日のこと。今日は煮物に挑戦しました。

 茄子を縦半分に切り、背中に三筋の切込みを入れて水に晒し、軽く茹でました。そして 鍋に油を注いで茄子を入れました。柔らかくなったら、だしのもと、砂糖、酒、醤油を加えるだけで、IHの1の火力でゆっくり煮ます。こってりと煮含められた小茄子は、型崩れもせず、艶やかに鍋の底に鎮座していました。別にカボチャも炊きましたので、小鉢に盛り合わせて完成。
料理は創作です。出来た喜びは応えられません。

 日常生活の中のほんの些細な喜びですが、老いの楽しみとでも言いましょうか、かなり心が安らかになるものです。私の「おはこ」はバラ寿司なのですが、これは、何十年前のことでも、「あの時のおいしさは忘れられない」とか「もう一度食べたいわ」と言ってもらって、いい気になっています。
若い時からお料理は好きだったので、出来るだけ続けたいと思っています。

 宇野千代さんの「私の長生き料理」という本があります。集英社の単行本ですが、夫が買っておいたのかもしれませんが、先日、我が家の本棚で見つけました。全く100パーセントお気に入りの本です。彼女が96歳の時に書かれたものですが、読みやすくて、35種ほどの献立の一つひとつを真似て作りたいと思っています。
おいしい料理の秘訣は、「新鮮な食材と、惜しまず手を加えること」とのこと。
また「旨いものが食べられる毎日のこの幸せ」とも。 ちなみに宇野千代さんは98歳まで生きられました。


ガッシュ絵具「落花生」  2012.6.11 toshi

 6月の在家仏教会の講演会で、花園大学名誉教授の西村恵心先生に聴いたお話ですが、仏教では、人間は自然の中の一員であると基本的に考えている。人間は悲しく小さいものです。それは自然の偉大さをよく知っているから。とおっしゃっていました。
科学も自然と対処するとか、自然を克服するとかそんな傲慢な考えでなく、「真実をよく見る」ことを強調されました。「自然法爾」自然の道理をわきまえて、自然に合わせて生きることを教えていただきました。
  
 近ごろの国家社会のあり方、世界の動向など、心配のタネはたくさんありますが、私は台所に立って、おいしい料理をつくりながら、幸せな毎日を送りたいと思っています。
さあー、今日は宇野先生の「レンコンまんじゅうの磯辺あげ」を作りましょう。