料 理 2012年6月29日 記
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歳を重ねて自分を見ると、ラクにできることと、苦手なことがあるのです。そのラクなことの一番が、料理ではないかと思います。それはとりもなおさず私は「食いしん坊」ということになります。大阪の言葉で言うと「いやしん坊」で、美味しいものが食べたいのです。「自分の口に合わないものはどうも」と敬遠しがちですが、これではいけません。何処へ行っても、何が出てきても、よろこんでおいしく食べられる人にならなければと思っていますが。
きのう、近くの商店街を通っていたら高知の物産店というお店があって、7センチぐらいの小さな茄子が袋に五つほど入っていました。「今朝、高知の母が宅急便で送ってくれました」とおじさんが言っていましたが、なるほど、もぎたてという感じ。
茄子を縦半分に切り、背中に三筋の切込みを入れて水に晒し、軽く茹でました。そして
鍋に油を注いで茄子を入れました。柔らかくなったら、だしのもと、砂糖、酒、醤油を加えるだけで、IHの1の火力でゆっくり煮ます。こってりと煮含められた小茄子は、型崩れもせず、艶やかに鍋の底に鎮座していました。別にカボチャも炊きましたので、小鉢に盛り合わせて完成。 日常生活の中のほんの些細な喜びですが、老いの楽しみとでも言いましょうか、かなり心が安らかになるものです。私の「おはこ」はバラ寿司なのですが、これは、何十年前のことでも、「あの時のおいしさは忘れられない」とか「もう一度食べたいわ」と言ってもらって、いい気になっています。 宇野千代さんの「私の長生き料理」という本があります。集英社の単行本ですが、夫が買っておいたのかもしれませんが、先日、我が家の本棚で見つけました。全く100パーセントお気に入りの本です。彼女が96歳の時に書かれたものですが、読みやすくて、35種ほどの献立の一つひとつを真似て作りたいと思っています。
6月の在家仏教会の講演会で、花園大学名誉教授の西村恵心先生に聴いたお話ですが、仏教では、人間は自然の中の一員であると基本的に考えている。人間は悲しく小さいものです。それは自然の偉大さをよく知っているから。とおっしゃっていました。 |