じんちょうげの匂う頃 

2012年3月5日 記


 今年は早くも沈丁花が白い花を開きました。いつもはその香りで開いたことを知るのですが、今年は匂いよりも先に白い花が目につきました。

 私は去年の秋に病を得て、今も薬を飲んでいるのですが、別にそれまでと変わることなく、元気に日常生活をつづけています。
しかし、この歳になりますと病気をすると即「いのち」の問題となります。端的な言葉でいうと「真剣」になります。池の中のハスの葉の上に座っているような不安定なものです。それは、老いたからではなく人生がそういうものだと思います。毎朝、鏡にうつる自分の顔を見て目の奥の真剣さを知るのです。
医師は「あなたはまだ15年は大丈夫」といわれますが、そんな楽観視はできそうにありません。
虚弱な私がよくまあこれだけ生きさせてもらったと感無量です。いつの間にか81年を経ることになりました。

 2011年3月11日は東北大震災の日です。地震の上に津波が、それも想像を絶する巨大な力で押し寄せました。それに原発の放射能汚染もあり、人類にとってこの困難をどうして乗り越えるのかと心配いたします。
この災害で2万人以上の人が亡くなられ、その中には行方不明者が3,155人というのですから、そのご家族の慟哭の深さはとても推し量れるものではありません。

神、仏は本当にあるのかしらと、自分が生きている根元までぐらついてきます。はかなく、悲しいこの人生を何のために生まれてきたのかと、ゼロに戻って疑問と迷いの淵に立ってしまいます。

 そんな心の揺れ動く日、在家仏教の本にこういうことが書かれているのを見つけました。
「愚者になりて往生す」という言葉です。
親鸞聖人は今から750年前の人、法然上人は800年前の人。そういう先覚者が、信心とは何か、人間が生きるとはどういうことかを明らかにして残してくださいました。
それは南無阿弥陀仏という念仏で答えてくださっているのです。南無とは頼むということですから、おのれを愚者と自覚してということになります。阿弥陀仏とは大いなるものということですから、安楽の境地です。低くなって和楽の世界を得るということになると思います。

 人間は限りある命を頂いていると分かっていても、なかなか覚悟ができないものです。
私は自分では本当に「あかんたれ」だと思っているのです。でも、内にある傲慢、高慢、その偉そうな心は一朝一夕にはなくならないと思います。もっと、根本的に自分を知らなければなりません。そして、「愚者となりて往生する」ことが出来るように、低い心と柔らかい心で先人の教えに従いたいと思いました。そうして、安らかな境地に近づくことが、私の大きな目標であると思っています。

 少慈少悲もなき身にて 有情利益は思うまじ
 如来の願船いまさずば いかでか苦海を渡るべき

これは親鸞聖人の偈です。少しの慈悲心もない私でありながら、利害、愛憎にとらわれて、日暮らすのはもう止めます。仏様の救いがなければ、どうしてこの荒海を渡ることができましょうか。という意味だと解釈しています。
願船とは「煩悩にまみれた衆生を救わずにおかぬ」という仏が立てられた誓願です。


ペイント 「紅梅満開」   2012.3.18  Toshi

 心のよりどころは人それぞれで、宗教もたくさんあります。私は浄土真宗の家に生まれ、嫁しても同じく南無阿弥陀仏。お墓も京都の大谷本廟です。親鸞聖人の歎異抄これ一つあれば良いと思うくらいですから、ご縁が深いのです。一日が大事と思っても何ほどのことが出来たというわけでもなく、短く、速く時は過ぎていくのでございます。自分の暗愚なこと、無力なこと、目が見えないことを知る昨今でございます。

 「愚者になりて往生する」この言葉を得て、それは両手を放して仏にゆだねること、これによって救われる道があったと知って、私はかなり心が安らかになりました。