碧空(語り部として)-8 

2011年8月29日 記

 
  今、2時30分。2011年8月29日です。
民主党の代表が野田佳彦さんに決まりました。
ちょうど2年前に、民主党が政権奪取を叫んで、選挙に大勝利しましたが、私は民主党に危惧いっぱいの思いでした。税金をばら撒いて票を取ったのですからこんなフェアーじゃない政党に政治を任すことは出来ないと思いました。

この2年間で日本の前途は、益々混迷を深めるものとなりました。それに大きな天災を蒙って、もう、国家の再建は絶望的なものではないかと心配いたしました。
「国民の生活が第一」と標榜を掲げている民主党は何をしているのだろうと、国民の誰しもが不信の念を持ったことと思います。

 

 新しい代表は、総理大臣として組閣をします。人間関係を重視して円満にことを運べるように腐心されるのでしょうけれども、「党の和が大事」で国家を救えるでしょうか。
自分が大事、家族が大事の時代です。学校教育によって人心は個人主義になりました。社会もその風潮です。昔々、私が子供の頃は「世のために、人のために」でありました。家庭でも、社会でもその倫理が基礎をなしていました。

 「国家を預かる」のはどんなに大きな仕事でしょうか。
野田佳彦さん。宰相として「国民の生活が第一」など小さいことは言わないでください。目標をもっと大きくして、「日本国のために」「世界のために」働いてください。家庭が大事といって、国家が潰れたらどうなるのですか。水源が治まって、はじめて清流が末端に流れていくのです。
男一匹、国家のため社会のために命を捨てる覚悟で、がんばってください。

 先日、66年目の終戦記念日を迎えました。
灼熱の8月15日。何度目であってもその空しい、悲しい気持ちは忘れることはできません。
私が14歳の時でありました。勤労動員で軍需製品を造るために工場で働いていたのです。大阪の大空襲は何度も体験しました。大阪が灰燼に帰したように日本中が焼け野原になって、すべて無になりました。

 極限状態の日本がどうして復興できたのでしょうか。住む家もない食べるものもない、その日本人がどうして生き延びて、再生することが出来たのでしょうか。
それは日本人の「働く力」であると思っています。一人ひとりがよく働きました。
勤勉な日本人の気質が大きな原動力になったと思っています。食糧難にもじっと我慢して、努力したのです。すごいエネルギーを発揮しました。が。
その「心」は「力」はもう今の日本人にはありません。どこかへ消えて行きました。どこへ?個人主義、物質主義の教育の影に消えて行きました。
そして「社会保障」という怪物が大きく顔を出しました。そして、どんどん大きくなりました。まるで正義の味方のような顔をして。
 
 戦争の理不尽さ、悲惨さ 「勝てば官軍、負ければ賊軍」の鉄則をイヤというほど味わった私ですが、日本が軍事力を持つこと、拡大することを望んでいます。
軍事力を持つことが戦争の抑止力になると思っているのです。軍事力がなければ近隣諸国になめられます。領土すら侵されます。そんな屈辱に何も感じない日本人って本当に哀れではありませんか。ヒトゴトのように思っているのです。
でも、自分が大事、家庭が大事といっても、国家が崩壊すれば、また弱体化すれば生命や財産も安全ではありません。国家の恩恵をしっかり知って、その安定と繁栄を願いましょう。

 

 軍事力を持っても、戦争はしてはなりません。どんなことがあっても。
これほど間尺に合わないものはないのですから。太平洋戦争で310万の日本人が亡くなられたという。シベリアや南方の島々には未だに遺骨が残っていて、収拾ができていないとのこと。胸の痛む話です。
戦争とは救いようのない人間の罪の深さを知らしめるものです。
戦争は絶対にしてはなりませぬ。