椅子 

2011年7月30日 記

 
  我が家の縁側に椅子の3点セットが置いてあります。
それは、私が結婚する時、嫁入り道具として持ってきたものでもう50年以上も前のこと。
古びているが、すわり心地は良くて安定感は抜群で、ずっと愛用していたのですが近ごろ肘掛のところの塗りが剥げてムラムラになってきました。

 座るところや背もたれの部分は布製であったのを、ずっと以前にレザーに替えましたからきれいなものです。肘掛のところを補修してくれる人はないかと当たってみたのですが、私の思うようにはいきません。ホームセンターでニスを買って来て、おそるおそる塗ってみましたが、少しマシになったかというぐらいで、いじるとかえって汚くなりそうで止めました。物が豊富な今の時代にそんなに執着しなくてもと思うのですが、とても新しいものに換える気がしません。

   私は子供の時から体が弱くて、いつも両親や兄妹に心配をかけていたのです。その虚弱な体で結婚するものですから、それも、お姑様と一緒に暮らすのですから、兄は休養の場所として、この3点セットを持っていくようにと配慮してくれたのです。優しい兄の心がよくわかっているので、この椅子を手放すことはできせません。
 
 その兄は20数年前に60歳で亡くなりました。
私達は8人兄妹ですが、残りの7人は80代、70代になっても、みんな元気で動き回っています。どうして兄だけ早く亡くなったのかしらと思うのですが、父が辛苦精励して築き上げた会社の後継ぎとして、大きな責務があったでしょうし、兄妹やたくさんの従業員の中で重い荷物を背負っていたのではないかと思います。
その頃は、親の仕事を子供が継ぐのは当たり前のことでした。まして長男はそのように運命づけられていたようで、マイナスの面も多かったと思いますが、親の仕事を継承するのはいちばん効率の良いことですし、親も安心することでした。
 
 結婚でも大半はお見合い結婚でした。嫁入り道具はトラックに積んで、家紋の入った幕をはり、紅白の晒しで荷物を括りました。トラック1台の人もあるし、2台という人もあります。婚家に納めたお荷物は、親戚、ご近所に披露されます。和タンス、洋タンス、長持ちなどの家具、お道具、電気製品、着る物、履物、持ち物など数えることはできません。それを「目録」にぜんぶ書き込みます。それはたいへんなことでした。
 
 このお荷物があるから、帰れなかった(離婚して)という人もありますから、一種の歯止めになっていたのでしょうか。まして、子供が出来たら大概の人は辛抱をしたものです。
夫や、お姑様には忍耐の一字に尽きました。辛抱するのがいいのかどうかはわかりません。
その辛抱が爆発したようで、今では、逞しい女達が不条理なことに耐えないで行動に移していきます。が、どうでしょうか。それも場合によっては行き過ぎの感がしないでもありません。女の立場(特に嫁姑の立場)はこの50年で逆転しました。完全に。


パステル 「桃」 2011.7.30 toshi

 「女の力」というものを近頃よく考えます。
女子のサッカーが優勝したことも驚きですが、私などは、その前に女の人がよくあんな激しいスポーツをするものだとびっくりするのです。男のサッカーはプロとして高給をもらっているが、女は働きながら練習するんですって!
自信をなくしている日本にとってとてもうれしいことでした。

 スポーツに限らず、企業の分野でも、芸術、学問の世界でも女子の活躍は目覚しいものです。女の人は緻密に努力しますし、「たしかな力」を持っているのではないでしょうか
男は虚栄とか、メンツとか、意地とか余計なものに縛られるのです。そして結局は、妻の言うとおりに動いているらしいです。国を預かる政治家でもそのようだと聞きました。敵に囲まれた四面楚歌の中で信用できるのは妻だけということになるのですね。

 諸外国では女の首相がいるのですから、日本も、そうなってもいいのではないでしょうか。政治の面で女子をもっと重用して欲しいものです。重要なポストを受け持っても、かなりの仕事をするのではないでしょうか。
原発問題、災害復興、どん底の不景気に喘ぐ、お先真っ暗の日本国を牽引していくのに、「女の力」が大きく寄与できるのではないかと思っています。