東日本大震災-(2) 

2011年4月1日 記


 たいへんな災害でありました。今日で3週間の日が経ちました。
日ごとに被災者の数は増えて、2011年4月1日の夕刊(日経新聞)では死者11,578人、行方不明者16,451人、建物被害165,963となっています。死者と不明者で28,000人以上ということです。
近代の文明社会でこんなに多くの犠牲者が出るなんて誰が予想できたでしょうか!
瞑目合掌するのみです。
 
 不明者の多くは海に沈んでおられると思うのですが、ダイバーが潜ってみても津波で引き沈められた家や車やヘドロがいっぱいで、探すことが困難ということです。
あのきれいな海が、日本の美しい海が、津波の残骸で埋もれてしまったのです。まして、一万人もの尊い命が海底で眠っているのです。
芥川賞作家で僧侶の玄侑長久さんは福島の人ですが
「郷土の自然のなかに迎えられたと考えていただきたい」と言っておられます。  
 原子力発電所の被災も想像を絶するものでした。土壌や海水からも放射性物質が検出されて30キロ以上離なれていても住民は不安な生活をしているという。農作物や酪農にも大きな影響を与えていて、この放射能物質の汚染はかんたんには解決できないと思うので気の毒なことです。
これからは、原発を造らないことです。既存の原発も災害に耐えうるか?それも想定外を予想して見直して欲しいのです。
 
 電力の需要はますます増えるので原発は必要という意見は多いでしょう。が、どうしてそんなに電力が要るの?と思います。贅沢な人間の驕りと思います。不自由なく暮らしたいという欲望です。夏の冷房一つをとってみても、電車、銀行などは寒いほど、私は上に羽織るものを持ち歩いています。サービスといってもほどほどでいいではありませんか。子供の頃、走る電車の窓から涼風が入って「あー涼しい」と気持ちよかったことが思い出されます。こちらでも電車の本数を減らすという。どうぞ、どうぞ。
 
 あれも、これも、満ち溢れるようでなければ、満足できない人間への大きな警鐘ではありませんか!
牛を殺し鶏を殺し、野山を切り開いてずたずたにして。人間本位にやりすぎました。今回の大きな災害は人間への戒めです。たくさんの礎(いしずえ)になられた犠牲者の命を無駄にしてはなりません。
今、日本国中で「頑張ろう日本」「絆」とみんな一生懸命に支援をしています。国民が一つ心で行動できるのはとてもうれしいことです。
 
 「人の苦しみわが苦しみ」と祈り、行動する人達に感動しています。こんな日本があった。「やっぱり日本人や」。日本人がこの心で日本を再起させられたらと、熱い心で願っています。
 
 日本再起の目標として私には大きな願いがあります。それは自然重視です。
 「大自然の運行に感謝して、それに人間は合すのです」大自然などというと神がかりなと思われるかもしれませんが、人間は宇宙の中で棲息している一員なのです。大きな運営に添っていくのが賢明ではないかと思うのです。山にも、海にも生物がいます、植物も生存しています。みんな大事にして、共存共栄の自然界でありますように。
 
 目の前の利益に注目し、気ままな人のニーズに応えて、人間が他を省みることがなかったら悲しいことです。視野を広くして、大自然に順応することで、人間がつつましく暮らす安らかな社会が出来たら、たくさんの犠牲者の本当の鎮魂歌になるのではないでしょうか。