朝日に輝くカラコルム

2001.5.15 記

 娘夫婦がパキスタンの首都イスラマバードに、駐在員として滞在している時、私は夫と二人でその地に行って三週間楽しませてもらった。英語が話せないのに、個人旅行ができるかどうかが心配だったが決行した。娘の家族の生活を見たいと思ったのは当然だが、私には、もうひとつ大きな愉しみがあった。

  JALに乗れば安全なのだが、途中、カラチで一泊しなければ目的地に着けない。とてもとても、そんな知らない土地でウロウロすることは無理なので、パキスタン航空に乗って一気にイスラマバードに着くコースにきめた。成田空港から週1便発着しているのだ。山好きの知人に「山仲間の垂涎もののコースよ」と、羨ましがられた。

 成田から北京経由でパキスタンのイスラマバード空港に到着するこのコースは、北京から真西に向かって、テンシャン山脈(天山)の上をとんで、その、西の端あたりから一気に南下して、パミール高原からカラコルム山脈の上空を、通過していくのだ。8000m級の山々が偉容を誇る壮大な景色を眼下に眺めることができるのだ。
 私は、脚には全然自信がないので、山登りというものはできない。でも、山が大好きなのだ、それも、雪を頂いている高い山の神秘な姿に心を奪われてしまうのだ。帰途もそのコースを予約しておいた。
 パキスタン航空は、空軍で鍛えられたパイロットが操縦するので、心配ご無用と聞いていたが成田から乗ったその機内はパキスタン人らしき人達が多くて、途中、北京で給油した後は、私達夫婦のまわりは彫りの深い背の高い男達ばかりに囲まれて、日本人とおぼし人はどこにもいなかった。
快晴の眼下は地図を写したようにくっきりとよく見えた。天山山脈に入ると地球のヒダのような大きな山塊は、飛べども飛べども茶色の山並みが続き、いつ果てるとも知れない姿で横たわっていた。上空から見ると山頂が尖っているものもあれば、フラットな台地になっていて、ここで野球ができそうだなどと思った所もあった。はるか前方に、太陽が沈みはじめると、山々は、空と一体となって赤やオレンジや金色に染まっていった。夕日の天山山脈は、これでもか、これでもか、と大きな広がりの中で輝いていた。

   「宗教の違う国だから」と、息子が注意してくれていたのでその点は、配慮していたのだが、翌朝、まだ夜も明けない5時ごろ、突如としてコーランの祈りが響きわたってきた。 静寂を破ってのその祈りの声は、心の奥底まで沁みとおる力強さであった。 イスラム教のことは何も知らない私でも魂を揺さぶられるような感じがした。
 ムスリム(イスラム教徒)の生活には、とても興味があったので、モスクに何回かお参りしたし、ラマダン(断食月)のことも知ったし、お祈りの時間には、地べたに敷物をしいて祈る人の姿もたくさん見た。イスラマバードの近くにタキシラという仏教の有名な遺跡がある。そこに連れていってもらったが、ガンダーラと共に仏教の隆盛時に、とてもたくさんの寺院が立ち並んでいたという。その遺跡に立って、仏教はどうして衰退していったのか、又、イスラム教がどのように浸透して、人心をとらえてきたのかと思いは遠い昔に遡っていくのだった。

  カラコルムハイウエイで、桃源郷といわれるギルギットやフンザに、行けるらしいが、山岳地帯は、いろいろ危険が伴うようなので、マリーというイギリス領だった時の避暑地に行く事にした。北部の山に入ってかなり走って着いた所は、涼しくてエキゾチックな所だった。先ず、私達はじろじろ見られて、「チャイニーズ?」と聞かれた。日本人など見たことがないようだった。毛布のような大きいストールを肩からかけて、それがよく似合う男たちが颯爽と歩いていた。この国では、女は1人で、外に出ることはないらしい。男がファミリーを連れてひとかたまりになって歩くが、女はベールを頭からかぶっているので顔は見えない。

帰途は、イスラマバード空港を早朝にたった。穏やかな朝の光の中で、太陽が昇っていった。ナンガパルバット(8125m)を見たい、ラカポシ(7788m)を見たい。心は、はやるが写真で見ただけの山をどうして、機上からとらえることが出来ようか。眼下はカラコルム山脈の雄大な景色になったが、それは、それは、想像を絶するものだった。

 

 山々は鋭くそそり立って稜線はカミソリのようだった。雪と氷に包まれた未踏の連山の峻厳な姿は、神々しいとしか言いようがない、頂上から大きな氷河が、帯のように谷底に落ちていくのが、目のあたりに見えるのだった。白い山肌は、朝日を受けて、うっすらと赤みを帯び始めた。同乗の日本人が、遠くを指差して「あれが、K2ですよ。」と教えてくれた。世界第2の高峰ゴッドウインオースチンが、三角形の頂きを雲間から突き出していた。「そこに、山があるから登るのだ。」という登山家の言葉があるが、「やはり、歩いて登らねば申し訳けない。機上からなんて、誇り高き山への冒涜だ」と、うしろめたさを感じながらも、その美しさに震えつづけた。

 イスラマバードに来て日本のマスコミに、いささか物申したいと思った。オーストラリアとか、カナダとか人口に膾炙された美しい国はよく紹介されるが、途上国といわれる所は、どうも正しい評価をうけてないように思もわれる。インダス文明の発祥地で、多くの遺跡に恵まれ、北にはカラコルムの峻烈な山岳地帯がひろがって、緑が多くて果物が豊富な、このパキスタンは、どのように紹介されているだろうか?
 エベレストも近年は登山者によって、随分汚されているという。それなら、この魅力ある国は、「そっと」、しておいて、マスコミの口端にのぼらぬ方が良いのかもしれない。