晩秋回顧・高雄 

2010年11月27日 記


  秋になると我が家の玄関に、父が描いた高雄のモミジの絵を飾ります。ずーっと以前のこと、そうですね指折り数えると60年も前のことになりますか。

「お父さーん、おとーさーん」と私は大声で呼びました。
川の向こう岸の土手に座わって父が画帖を膝にのせて、朱塗りの橋に向かって絵筆を動かしているのを見て、夢かとばかり驚きました。こんな京都の山奥で、人っ子ひとりいない山奥で、父と会うなど「えっ、ええー」なんで、どうして?

 秋のある日、私は友達と京都の西北、モミジの名所の高雄に遊びに行きました。はじめからそこに行くと決めていたわけでなく、何となくという感じ。
阪急電車に乗り、周山街道のうねうねの山道をバスに揺られて高雄に着きました。かなり遠かったように思います。その頃は戦後数年でしたから、社会は復興の時期でみんな一生懸命に働いていました。
今のように観光旅行などは、まだまだ程遠い世の中でした。

 モミジの美しい所ということで高雄に行ったのですが、ここは高雄の神護寺、槙尾の西明寺、栂尾の高山寺を三尾の名刹といい仏教の聖地なのです。
平安時代には高雄は弘法大師、栂尾は明恵上人と立派なお坊さんがここを根拠地として活躍されていたのです。大きな伽藍も人影は少なく、静謐な山あいに赤や黄色に染まった木々が孤高の姿を見せていました。
神護寺にお参りして、カワラケを谷底に放り投げて遊んだ後、清滝川の水音を聞きながら、静まりかえった山道を槇雄、栂尾の方へ歩いて行きました。そして前方左手の向こう岸に人がいるのを見たのです。それが父だったとは。

 私の声に父は気がついて寄ってきてくれました。「おー、どうした?」不思議な出会いを お互いに喜びました。父が高雄に来ているなんて知りませんでしたし、これは「邂逅」(かいこう)以外のなにものでもないと、とっさに思いました。
「邂逅」は廣漢和辞典でも、広辞苑でも、「思いがけず出遇うこと」とあります。が、たしか仏教の本では前世からの縁によって、めぐり遇うことであったように思うのです。神仏のお力を感ぜずにはおれないのです。この世で出遭ったことをこんな形で解からして下さったのだと思います。

 父は事業の傍らよく絵を描いていました。日本画の先生の社中でスケッチに来ていたのです。仕事が忙しくてもよく旅行をして絵を描いていました。ふだんは母と一緒に温泉旅行を楽しんでいましたが、いつもスケッチブックは持ち歩いていたようです。小さいものは色紙から、大きいのは展覧会に出品する超大作を描き上げていましたから、なかなかエネルギッシュであったのです。その日は清滝に泊まるらしくそこで別れました。

 父は85歳で亡くなり、母はその8年後にやはり85歳で亡くなりました。


パステル  模写ゴッホ Wheat Field With Cypresses 2010.11.25 toshi

 先日、在家仏教会の講演会を聴きに行きました。
講師は比叡山延暦寺の中揩ナいらっしゃる小林隆彰師で「三世の思想」を教えていただきました。人間は、前世、今生、来世の三世をもって人生というとのこと。次の日のために食事をし、夜眠る、昨日があったから今日生きている。今日は明日のためにという具合に。三世を考えて物事をするのが人間である。それが出来ないと動物と同じ。近頃は先祖を祀らなくなって自分のことばかり考えているが、人間は三世を生きるのです。としっかり教えていただきました。

 比叡山の開祖である最澄は、「一番すばらしいものは人間、一番怖いものは人間」といわれ「この世が明らけくなるように、みんなの魂にともし火をつけよう」と考えられたそうです。小林隆彰師は「この世に生まれてきたのは、誰かの為になることや、それが三代続くと習い性となり、その人の人格となる。」ともいわれました。

 今のことだけでない前世からのご恩、これからの来世を考えて物事をしなければと、あらためて「人間は常に三世を考える」ことの大切さ知りました。