7月の朝

2010年7月18日 記

 
 今朝、蝉の声を聞きました。
数日前から、庭の木に蝉のヌケガラがあるのを見ていたのですが、それが今朝は2つ増えていたのです。と足元から蝉が飛び立ちすかさず「ミーンミーン」と。まるで人間の産声ように思われました。

 大雨の被害が各地であり、たくさんの爪跡を残して、今日は真夏の蒼い空が天空高く澄んでいます。まるで悪夢のような災害です。近頃の雨は、局地的に大雨となって観測史上まれにみる豪雨となって人も家も畑も襲います。自分がこうなったらと考えると、慄然とせずにはおれません。

 私の家はとても風通しがいいのです。このさわやかな涼風は何物にも代え難い恩恵なのです。
いま、パソコンを打っている所は家の一番奥の北側ですが、南側の庭から家の中を通り抜けて涼風が心行くまで吹いてくるのです。そのそよ風の中で、緑の木々に目をやり、碧い空を仰ぎながら(ガラス屋根を通して)極楽を味わっています。


ペイント 模写  小野 竹喬 「海」 2010.7.19 Toshi

 

 今日のブログに書き込みをしたのですが、過ぎ越し方を思い返すと、艱難辛苦は微弱な私に力をつけるための恩恵であったわけです。その時は、その苦しみから逃れたいと思いました。
しかし、どんな時にも私にはハラの底に大きな安らぎがあるのです。それは20歳のとき病気をして、それは結核でしたがもうダメという時がありました。衰弱から回復するための闘病生活は5年でした。

 「生きたい」これだけを切望しました。犬でも、猫でも、草木でもいい。「この世にいたい」そう考えました。「いのち」のありがたさは骨の髄まで沁み込みました。だから、「いのち」があるのなら、もうそれだけでうれしいのです。ありがたいのです。地球の上に棲息できる悦びはとても大きいのです。
 
 先日、女姉妹で1泊旅行に行きました。女姉妹は6人です。みんな元気で動き回っています。そのとき姉は「あんたは若い時、病気をして弱かったのに、元気やねえ」と言ってくれました。私達には兄と弟がいて、全部で8人兄妹です。神仏の加護と、両親の深い愛情によって、みんな幸せに暮らしてきました。でも、「いつまでも」と言うわけには行きません。限りあるいのちをいとおしんでいる日々です。

 「老い」は仕方がないと決めてしまっていたのですが。迂闊なことがありました。
 近頃、耳が聞こえにくくなったというか、とくに電話の子機での通話が聞き取れないのです。
妹が「お姉ちゃん、補聴器を考えたら」と言っていましたので、補聴器を購入しました。けっこう高価なものですが着けても着けなくてもあまり変わりなく、電話の時などかえって聞き取りにくく補聴器を外したりしていたのです。
 
 電話機の親機は2階にあって、ファックスの送受信には使っていたのですが、殆ど通話で使うことが無かったのです。子機は二つ、キッチンとベッドの部屋にあって、この二つとケイタイでずっと用を足していたのです。
昨日のこと、ちょうど親機の前にいるときベルが鳴りました。取り上げて会話をすると、そのよく聞こえること。「えっー」。明瞭な音声には仰天しました。犯人は二つの子機の老化だったのです。

 話が長くなると、ピーピーと音がして切れるのは分かっていました。娘に言うと「大事な話は親機で」と言ってくれていたのに、老いのせいにしていたのです。私は特別に理科系の頭が弱いのです。息子は「子機を買ったらええやろ」といっていますが。私は新しいのを買いたいと思いながら、1階の居間に親器を置きました。