思いつくままに

2009年12月30日 記

 
  あすは大晦日、静かな年末です。
 経済が右肩上がりの時は、危ういながらもクリスマスや年末は活気に満ちていたのですが、昨年の世界経済の大変動以来の不況と、国政に不安を感じることばかりで、世の中はジーっと静まりかえっているようです。来年度の膨大な国家予算案などは、経済の破綻が目に見えているように思われます。「日本はどうなるのだろう」と昔人間の私は国家の先行きが心配でなりません。

 今朝の日経新聞の「春秋」欄にいいことが書いてありました。
二宮尊徳は「経済」と「道徳」の両輪が大切な柱と考えられたそうです。
「経済なき道徳は労多くして功なし」「道徳なき経済は永遠の道おぼつかなし」とのこと。
「倫理や徳と同じように(経済)は重んじられているだろうか?鳩山首相は(友愛)をしばしば唱えられるが、国の台所は火の車。そんなに家庭にお金を配って大丈夫かと心配してしまう。(経済)が霞んで見えてならない。二宮尊徳なら(経済)の基本がなっていないとあきれるばかりだろう」とありました。

 今、NHKで「坂の上の雲」が放映されています。司馬遼太郎さんの原作もいいものですし、俳優さんもよくやっていますね。
永い鎖国の夢から覚めて、世界の大勢を目の前にして、日本はどう生き抜いって行ったのでしょうか。人材を重く用いています。
秋山真之の友人広瀬武夫は小学唱歌にも歌われています。 

 轟く砲音(つつおと)飛び来る弾丸
 荒波洗う デッキの上に
 闇を貫く 中佐の叫び
 「杉野はいずこ 杉野はいずや」

日露戦争の旅順港外の戦いで、沈んでゆく船の中で部下を探して、自分も戦死するのです。
秋山真之は日本海海戦で、総司令官の東郷平八郎元帥に殆ど任されて勝利を博するのです。また私の大好きな正岡子規は病床で喘ぎながらも、文学に多大な功績を残すのですから、よくこんな逸材ばかりがこの時代に輩出したものだと思います。文武においても経済においても明治時代は偉大な人物がたくさん出ております。時が人を作るのか、人が時を作るのかと考えてしまいますが、時が人を必要とするのだと思います。

 「坂の上の雲」を見てから、私は小学唱歌をよく歌っています。誰もいないとき一人で歌うのですが元気が出るように思います。自分が生きた時代がなつかしく、よろこびと納得があります。
お正月は大きなけじめでした。そのため大晦日は締めくくりの大切な日でした。その1年のススを祓い新年の用意で人は大忙しの日でした。お正月は家の前に幕を張りました。その幕には家紋が入っていて、私の家は丸に蔦でした。大阪の商家ではみなそうでした。出入り口のところは紐で結んで吊り上げてあるのです。正面にしめ縄を飾り両側には門松です。
家族、従業員一同大勢でお祝いの膳を囲みました。
父の挨拶で始まるのですが、私達はあまりゆっくりしてはおれません。学校に行って新年の式に出席します。セーラー服を着て白いリボンを結んで幕をくぐって出て行きました。

 年の初めのためしとて 終わりなき世のめでたさを
 まつたけ立てて門ごとに 祝う今日こそ楽のしけれ

お正月の歌を歌って、紅白のお饅頭をもらって帰りました。それから着物を着て、氏神様に初詣にまいります。
すがすがしく希望に満ちた新年でございました。


パステル画 建仁寺境内  2009.12. 6 Toshi

ピカピカのお茶碗とお箸、自分のお気に入りのものを母はどの子にも揃えてくれました。
そして着物です。着物、長襦袢、帯、たび、ぞうり、2男6女の子供を持って母はどれだけたいへんだったでしょうか。そうそう、羽子板も一人ひとりが好きなものを持っていましたから。
家の前が大きな公園だったので、天にも届けと羽根を打ち上げました。キーンと紺碧の空深く吸い込まれて見えなくなった羽根はやがて姿を現して、くるくると舞い降りてくる。すかさずまた打ち上げる。胸のすくような豪快な遊びでした。

毎年、兄姉会の新年会があります。来年は1月5日、みんなその日を待っています。

私達は父母へ感謝の思いいっぱいでその時を楽しみます。