碧空(語り部として-6)

2009年8月31日 記

 
  今年の終戦記念日は64回目でした。
だんだん戦争体験者が少なくなり、ましてそれを伝えようとする人はぐっと減ってしまいました。しかし、その実態がどれだけ残酷なものか、修羅の世界を体験した人が訴えても、分かってもらえたかといえば限りなくノーに近いものです。もう、64年もたちました。
年月はすべてを洗い流していくのです。どんなに不条理で苛酷なことであっても。

 私はいつも8月15日に書いている「碧空」の文章を今年は書く気になれませんでした。
それは総選挙が目の前にあって、その大勢が早くから決まったように言われていたのです。
現代の過剰なメディアをもって民衆を方向づける怖さもひしひしと感じていました。
ハッキリいって、日本の行く末に大きな危惧を持っているのです。

 「政権奪取」を声高に叫んで、その目的のために、財政的にも無理なことを旗印にする非常識な政党に危険を感じるのです。
それ以上にもっともっと恐ろしいのは人の心です。
自分に「利」があるかどうか。それで決めるのです。国益とか、社会の秩序安寧とか、そんなものは考えないのです。「与党がダメだから、交代したいという野党に一度させてみたら」と、知識人といわれるレベルの人達でもそう考えて投票したようです。

 それほど与党に力がなくて内部崩壊で選挙に大敗したのです。誰が悪いと言えるものではありません。みんなの責任ではありませんか。
栄枯盛衰、盛者必滅は世の習いです。戦国時代の武将のようにどちらについたら生き延びられるかと、右往左往して醜い姿を見せていました。
長い間、政権をとっていたのですから、おのずから水垢のようなものが溜まってしまうのです。

 そういう意味では、政権交代も悪くありません。しかし、しかしです。児童手当とか、高速道路の無料とか甘い汁を吸わせて政権奪取をしょうとするのはフエアーではありません。
例えば野党であっても、協力すべきことは協力して国政をよい方に向けなければならに、何もかも反対で、それも恐ろしい顔をして糾弾してきました。その人が総理になれるとなれば、目が笑っています。うれしいのですね。今までの顔付きと違っています。定額給付金を無駄使いだと厳しく追及した人が、今度は多額の国税をばらまきます。

 


 2009.6.27 Toshi

 「昭和の日本人は無知だったから、天皇陛下の為に死に、軍隊に騙されて、日本を潰した。」と戦後に教育を受けた人は思っているでしょう。そう学校で教えられたのですから仕方ありません。私はその愚かな日本人ですが、日本国の行く末をたいへん心配しています。
まず礼節の欠落です。国会議員やマスコミ関係の社会に影響を与える人が、してならぬこと、言ってならぬことを平気でします。それがだんだん世を乱していくのではないかと考えています。

 いままでにも、国民の生活を良くするためにたくさんの施策がなされています。端的な例としては生活保護です。これは増加が著しいそうです。お国としても、830兆といわれる負債を抱えながらも手はうっているのです。
今回はそれがもっともっと、多額の援助を与えるというのです。
財源は大丈夫ですか?
かたよっていませんか?
本当に苦しい人を助けていますか?

自立、自律、自助努力、「カニは自分の甲に似た穴を掘る」と昔はそんな言葉をよく聴きました。人間はみんな個性があるのです。力量も違います。自分なりの生活をすればいいのです。
お隣もお向かいさんも皆一緒というのは本当の公平ではないと思います。これでは社会主義国家です。努力して裕福になればそれが本当の公平です。義務を果たさないで権利ばかりを強く要求するのはどんなものでしょうか。社会主義国家の結末はよく解かっている筈です。国家は衰退の一途をたどります。

「力いっぱい働く」「働く楽しみ」がよく身に付けば、それに伴って親や社会や人様に感謝、報恩の気持ちが湧いて来るのです。働ける幸せを味わいたいものです。
でも、働きたくてもそうできない本当の弱者がいます。
心の障害者、難病の人達です。「助けてーー。」と自分で叫べない人を、助けようではありませんか。この人たちこそ本当に社会的弱者なのです。援助がいるのです。