つゆどき

2009年6月19日 記

 
 梅雨に入っても降りそうで降らない日が続いています。 一日一日濃くなっていく緑の木々は、繁茂しながら雨を待っているのがよくわかります。雨の時期には洪水にならない程度にたっぷりの雨量があるといいですね。
世の中はいつも騒がしいものです。テレビやインターネットで情報が氾濫して必要以上に頭をいっぱいにしてくれます。だからこんな雨の季節は、人間も自然に接してしっとりとうるおいを補給したいものです。

 この季節になるといつも思うのは、書道の作品を創っていた頃のことです。
朝は早く明るくなりますし一日がとても長いのです。だから、4時頃に起きて書きはじめて家人が起きる7時にはある程度の成果を得たいと思って頑張ったものです。それに、湿度の含んだ空気が何よりありがたいのです。紙も墨もこの湿度によって滑らかに落ち着いてくるのです。
3尺×8尺の真っ白の紙のうえに立膝をして座ります。墨は硯にたっぷり、筆にふくませた 墨量の手ごたえを感じながら、大きな字は乾坤一擲とでも言うのでしょうか。小さい文字の時は一字目に余裕を持たせて書き始めます。


臨書 西狭頌 1988.7 Toshi

 紙の大きさは、自分が作る作品によって違います。2尺×8尺もあれば、3尺×9尺もあります。
かなり大きいものですが、それは切ったり、糊で継いだりして、自分で何十枚用意しておくのです。それまでの詩句を選び、書風を考え、構成を模索しての道のりは90パーセントですから、最後の10パーセントで勝負するのです。その緊張感は、喜びでもあり苦しみでもありました。そんな展覧会活動を20年以上も続けていたのです。

 その修行中のことですが、忘れることのできない思い出があります。ある練成会に参加した時のことです。
それまでは縦長の作品ばかり書いていたものですから、横長の作品にしようと思って、紙を用意し草稿を作りました。今井先生は周りの人にアドバイスをしたり、手本を書いたりして、ご指導されていました。
私は「横物を書きたいのですが、初めてですからお手本を書いてくださいと」といいました。即座に「だめです。自分で書きなさい。」といわれるのです。
「初めてですから、どう書いていいかわかりません。」とお願いしましたが、
「ひとりで書くのです」とのこと、私はまなじりを決して先生見ました。

「何もわからないのに、手さぐりで書くのですか?」
「手さぐり以外に、なにか確かなものはありますか!みんな手さぐりです。」
と、 短い言葉できっぱりと言われました。

ぐわーん、脳天をぶち抜かれた一撃でした。
ようし、一人で書くぞ。どうでもこうでも一人で書くぞ。一字一字を紙の上に置いていきました。たどたどしくも必死でした。時間がきて大広間での作品講評会になりました。
私は未だ出来ていないので、ひとり部屋に残って書き続けていました。

すーっと、後ろの戸が開いて、今井先生が立っていらっしゃいました。
「よく書けましたね。それを持って大広間にいらっしゃい。途中でいいのです」
言われたとおりにしました。大広間ではたくさんの人が先生を待っていました。
そこに私の作品が張り出されて、先生は私とのいきさつを話されて、手さぐりで書き込んだ作品に望外のお褒めをいただきました。うれしかったですね。先生のありがたさが骨のズイまで沁み込んでいきました。

 過ぎ去ったことは夢幻のように思うのです。すべてが空しいものですが、その時そのときは一生懸命であったのです。それでよかったと思っています。
今井先生に教えてもらったことに、この「手さぐり」と、もうひとつ「二者択一」があります。「どちらを選ぶかは自分で決めなさい。自分で決めたものは、強い意志が伴うからよい結果が出ます。」とのことです。

何もかも、忘却のかなたに去ってしまった近頃でも、先生から受けたこの二つの教えは私のバックボーンになっていると思うのです。

(今井先生は、筑波大学の名誉教授で、学問、芸術の面で多大な功績のある今井凌雪先生です。)