先日、吉野山にサクラを見に行きました。4月10日〜12日は金峯山寺(きんぷせんじ)の花供会式(はなくえしき)があるので、たいへんな人出でした。それにお目当てのサクラはやっぱり花吹雪となって、緑の葉っぱが勢いよく吹き出していました。去年もこの吉野に来て、スケッチブックに蔵王堂を描きかけた途中になっているので、今年こそは仕上げようと用意して行ったのですが、なかなかそんな雰囲気ではありませんでした。
その吉野山に入る手前に大淀道の駅があります。そこで筍、菜の花、蕨など季節の野菜をどっさりと買いました(野菜は一度にたくさん買うものではないのに)。
その筍を晩に茹でておきました。たけのこ御飯を作ろうと思っているのですが、あまりいろいろな具を入れないことがコツかと思っています。筍と、うすあげと、人参にしぼりました。そして昆布とかつおでダシをしっかり採ることです。具はサラダ油で少し炒めて薄あじをつけておきます。
出来上がった御飯は思い通りのものでした。
「その美味なること子牛(犢)の如く」と たけのこの愛好者であった京大の河上肇先生も言っておられますが、そのように思います。
おいしいものを、自分たちだけで食べているのはもったいない。
毎朝、家の前を散歩しているご近所のおばあさんに声を掛けました。「あした、お昼にたけのこ御飯を食べませんか。うちにいらしてください」「うわー、うれしい」と。
次の日はまた朝からたけのこ御飯の用意をしました。少し多い目に炊きました。テーブルをはさんで二人でお昼を頂きながら、昔話などで楽しいひとときを持ちました。「たけのこ御飯は初ものよ、おいしかったわ」と喜んでくださいました。
帰られた後、私はお弁当を一つ作りました。そして、旧知のAさんに電話して、たけのこ御飯のお弁当を届けました。Aさんは「うれしいわ。主人に供えてあげたい」と言われました。去年ご主人を亡くされたのです。
数年前のことですが、私の夫は病院に入っていましたので、ずっと病院通いの生活でした。ある日の夕方おそく、チャイムが鳴って友達が来ました。「晩御飯を持ってきたよ」とお弁当を差し出されました。「ええーっ」
毎日何を食べていたかわからない私にとって、それは感動ものでした。ふるえる胸を押さえてフタを開けると中には手の込んだお料理が何種類も入っていました。私はそれを頂きながら、「これを一人で食べるわけにはいかない」と思い、同じようなものを造ろうと思ったのです。
そして、翌日、「マネ弁当」を造って病院に行きました。そして隣の部屋をノックしました。お隣の部屋は、ご主人様の病状が思わしくなく、奥さんはずっと看病しておられるのです。「お弁当を造りましたので、お口に合うかどうかわかりませんが。」とお渡ししました。少し驚いた顔をしながらも受け取ってくださいました。
2、3日して廊下でお会いした時「うれしかったわ。」と一言われました。思いがけないことでした。私は「おいしかった。」という言葉を心の中で期待していたのです。
その翌日、病院に行ってみると、お隣の部屋は空っぽでした。
夫の状態もあまりよくなく、長期療養の出来る三田の国立病院に移りました。ここで安らかに療養してくれたらと願っていたのですが、だんだん弱っていきました。そして、とうとう最悪の事態となりました。私は家に帰ることなく夜も付き添っていました。
ある朝、まだ7時頃、「トントン」とノックの音。出てみると「これ朝ごはんにしてちょうだい、コンビニで買ってきたのよ」と袋を差し出されました。私と同じく夫の看病をされている顔見知りの奥さんでした。中にはパンやコーヒーなど心尽くしのものが入っていました。「ありがとう。ありがとう。」
その晩、夫は帰らぬ人となりました。
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