東南の部屋

2008年12月15日 記


 我が家は玄関が南にあり道路に面している俗に言う南向きの家です。JRの甲子園口駅から3分ほどの閑静な場所にあって、大阪まで14分、三宮に17分という交通の至便なところです。私がこの家に嫁して来たのは、今から53年前のことでした。

 その頃の駅前は松林があって住宅は駅の周辺にまばらにあるだけの本当に静かな美しいところでした。夫が中学校に入学した時にここに来たといいますから、昭和15年頃だと思います。二階の窓を開けると西宮球場が見えたといいますから殆ど畑や田んぼだったのでしょう。私が結婚してここに住むようになっても、道で行き交うのは知った人ばかりでしたし、結婚のあいさつ回りも母(姑)につれられて1軒1軒まわったものです。

 昭和40年代ぐらいになると、その環境も徐々に変わってきました。社宅が多くなり個人の住宅も増えて、人が多くなってきました。
それでも、長女が小学校へ通うようになると通 学途上の様子を、「今日は田植えをやっていた」「もう稲刈りが始まった」と報告をしてくれていました。
息子も、近くの用水路にメダカやおたまじゃくしを捕りに行っていましたし、夏には子供たちをつれて甲子園の浜に海水浴に行ったものです。松林も砂浜も自然のままでその向こうに大阪湾の青い海が私たちを待ってくれていました。
そうそう、まだ路面をチンチン電車が走っていていましたから、本当にのどかな恵まれた住環境でした。

 平成7年の阪神大震災でこの地はたいへんな被害を受けました。
我が家もかなりの痛手を受けたので、新しいものに建て替えました。 私は二階の東南の部屋を自分の部屋にしました。そこはいままで娘の部屋があった場所です。
南側はベランダで大きな掃きき出し窓ですし、東の窓はかなり大きいのです。それに南も東も家が無いものですから、広い視界が望めます。窓際に置いたベッドに横になると、夜でも暖かい季節は雨戸を入れませんのでそれはまるで「天空に横たわって眠る」感がするのです。

 朝、真っ先に東の窓を開けます。 東の「気」を入れたいのです。
近頃の7時では、東の空は明るくなっていますが日の出はまだというところ、 西よりの中天には半月が懸かっていました。
夜になると、これからの季節には「冬の星座」という歌のとおりにオリオンや大三角形がよく見えるのです。私は子供の頃からこの星空には大いに興味はあったのですが未だにちゃんと勉強していないので、「美しい夜空に心を奪われる」という程度なのです。 これは人生の時間を上手に使わなかったということになります。

 野球のシーズンでは甲子園球場のライトが明るく応援歌がやかましく聞こえてきます。阪神が勝った時は、六甲おろしが聞こえてきますが、それはじかの声かテレビの声か定かではありません。自分もうれしいから一緒に歌っているからです。
ベランダに出ると西の空も見えますから、真っ赤に燃えて落ちてゆく夕日の姿もよく見えます。これは大阪からJRの電車に乗って帰ってくる時にも、見事な落陽を見ることがよくあります。
車窓からこの夕日を見ながらこれは阪神間にすんでいるものが味わえる喜びなのかと思ったりしましたが、そんなことはありませんね。お日様はどこででも見られますから。

 一年の季節の移り変わりをこの窓から楽しませてもらっています。
先日の満月も、静かにそっと控えめに東の空にのぼっていました。その季その日によってお月様の表情が違って見えます。朝日の輝きもいろいろに変化しています。まして雲はひと時もじっとしていないので行雲流水の言葉通りに動きまくっています。
私はこの大自然に呼吸をあわせて、それと会話をしながら暮らさせてもらっています。この地球の上に棲息させてもらっていることは、ほんとうにうれしいことでございます。