一日のうち何時間ぐらい台所に立っているかしら、と思います。
台所などと言わずにキッチンといえばいいのですが、やっぱりお台所がいいです。小さい時からお料理が好きだったということもあるし、何より食いしん坊で、おいしいものには目がないのです。自分が作ったものが一番お気に入りです。
長時間料理をしているといっても、手の込んだものをしているというわけでもなく、近ごろは何をするにしても時間がかかるのです。
私の場合は、独身の息子と住んでいますからその子の為にもいろいろと工夫をしているのです。彼はなかなか食感のレベルが高いものですからこちらも気を使うのです。気むずかしい性質を推し量って、あれこれ考えるのですが、これは私にとってはプラスではないかと納得しています。人は誰かの役に立っているという意識がないと生きていけるものではありませんから。
パソコンをはじめて買ったのは2000年のことです。
その頃は2階に置いていたのですが、 膝が痛くなって階段が苦手なものですから、2〜3年前から台所の一隅に置いています。天井が天窓になっていて一日中明るいのです。広さは10帖ぐらいです。
調理台の前にいるか、パソコンの前にいるかその辺りで日暮らしをしているのが現状です。
今、椎茸を炊いています。
昨日水に浸しておいたものを、弱火でコトコト煮ているのですが、すぐそばにいるのですからまあ失敗をすることはありません。今晩の御飯はおすしです。椎茸を細かく切ってすし飯にまぜてメインにうなぎをのせて飾り付けをしようと思っています。
年をとって忘れやすくなりましたので、テーブルに手帳をおいていつも献立の予定を書き込んでいます。が、それすら忘れてお買い物に行っては別のものを買って重複することが何度もあります。
それに2人の食事ごしらえはどうしても余り気味でカレーなどは残った分は冷蔵庫にいれておいてもう1回分にします。4人家族が一番作りやすいでしょう。
流し台の窓辺には、いつもコップに草花を入れています。
庭に咲いた小さい花々ですが、命あるものは最後まで生かしてやりたいのです。お仏壇のお花も玄関の花も庭にあるもので間に合いますから経済的です。
そんなお台所で料理を作りながら、私は至福の時を過ごしているのですが、時々考えることがあります。
「人間は何のために生きているの?」という人生の目標です。
これは大きな課題ですからいつもその問いに対峙しながら暮らして来たと思います。が、なかなか掴みきれませんでした。品性の向上のためとか、人生は魂の修行の場とかで茫洋としたものでした。が、
最近、それは、幸せになる、幸福を得る、ことではないかと思うようになりました。
別の言葉いえば「人を愛する」ことと「人に愛されること」ではないかと思っています。これをしっかり掴んでいれば、人生の意義が良くわかるのです。
人に愛されたいと思えば、言葉も、行動も慎重になりますし、気配りも細やかになりますし、深い思いやりの心も出てまいります。目標がはっきりするのです。それに明るくて、さわやかではありませんか。どうでしょうか。今のところそう考えています。
さあー、パソコンの前から調理台のほうへ行って、きゅうりの浅漬けをしておきましょう。明日の朝、きゅうり好きの息子がカリカリ音を立てて食べることでしょう。
|