春のうららの 2008年3月31日 記 |
当たり前のことなのにぜんぜん予想していなかったことが、それも喜び事がこの3月に重なりました。 もうひとつ私ごとですが、あーっという間に喜寿を迎えました。 それが、20歳の時でした。風邪をこじらせて肺炎になり、そして肋膜炎と肺結核になりました。40度以上の高熱が何日も続きました。 そして、ストレプトマイシンやヒドラジッドの新薬のおかげもあって、少しずつ良くなってきました。肺結核といっても菌は一度も陽性になったことはありませんから、衰弱した体を回復させることに専心しました。療養といってもラクなものです。痛いところも苦しいことも無く、ひたすら安静にして、おいしいものを食べて体力をつけることだけです。牛乳を飲んだり肉類をたべたりして、苦手を克服していきました。もともと細い華奢な体でしたから人並みになるには5年の療養生活を経ることになりました。 25歳の時、結婚しました。今から2年前に夫が亡くなるまで50年の結婚生活でしたが、それは、平穏無事であったわけではありません。大波小波がいつも打ち寄せて、緊張の連続でしたが不思議なことに、病気はしませんでした。病気をしているヒマがなかったというのが実情でした。自分で言うのもおかしいですが、一生懸命によく働きました。 毎年、決まったように年末から冬の間カゼを引くのに、ことしの冬は珍しく元気で過ごしました。 体を酷使して努力する。体に鞭打って頑張る。私はずーっとそうしてきました。まるでそれが魂を高めるものであるかのように。肉体より精神の方を優先してきましたがその考えは間違っていました。魂は自分のものだけれど、肉体は神佛からの借りものではないでしょうか。大事に使わせてもらわなければならないのです。それがこの歳になって初めてわかったのですからボンヤリしていたのですね。 「60歳まで生かしてください」と祈願した「約束の歳」から、もう17数年も過ぎました。 ありがたいことです。何があっても不足はありませんが、実際はそんな綺麗ごとですまないかもわかりません。でも、私は「なむあみだぶつ」と仏様に帰依していますので、それでいいと思っています。それしか私には何もできません。77年の年月を加護していただきました。阿弥陀様のところには、夫も、姑も、両親もご先祖様もおります。 |