雪の降る日に

2007年12月23日 記

 
2007年も、あと僅かとなりました。
今年は、静かな年末だと感じています。ジングルベルの音楽があちこちで流れ、クリスマスを騒がしく送っていた頃から見れば、この落ち着いた雰囲気はなかなかいいものです。先行きが不透明で、明るい話題が無い昨今の状態では、みんな、ひかえめに、つつましやかな手綱加減をしているのではないでしょうか。

 以前、私は書の道を進んでいて、展覧会活動で多忙な日を送っていました。1年に公募展と社中展と合わせて数回はあるのです。ひとつの作品を創るのに2ヶ月はかかりますから、1年中、背中に重荷を背負って、追いかけられていました。作品の大きさを決め、詩句を選び、構成を考え、1字1字を創っていく。すべて自分の独創です。それは、勝手気ままに創るのではなくて、古典を基盤として、何年も臨書を重ねた上での文字であるわけです。時間と体力の消費はすごいものでした。

そんな、生活を20年以上も過ごしているうちに、阪神大震災に遭って、たくさんの参考書、字典、辞書、紙、筆などの書道用品を、散逸してしまいました。それを機会に展覧会活動から身を引きました。自然の流れとでもいうのか、私にはちょうど良い頃だったのです。あんなに、無我夢中で勉強したことは、かけがえのないことだったと思っています。

社中展の選抜展というのは、年末に奈良の文化ホールで開かれました。毎年、12月22日ごろから、27日ごろまでのその年最終の展覧会でした。
東京上野の森美術館の社中展は8月でしたから、社中展としてはこの二つが大きなものでした。
木枯らしが吹き始め、年末のあわただしい雰囲気が、町中にながれているのに、私は、作品作りに没頭していました。大きな作品は、すでに表具屋さんに渡っているのですが、もう一つ臨書作品を作らなければならないのです。紙を選び、染色し、文字を書き、表具をするのです。

搬入の日にあわせて、出来上がった作品を持って奈良に飛んでいきました。搬入の手伝い、受付の当番、最終日の搬出の仕事、何回か奈良に通いました。世の中は、クリスマスや、お正月の用意をしているのに、私たちは、展覧会を済まさないとお正月はありませんでした。そんな時期でも、かなりの人が観に来てくださいましたので張り合いはありました。

搬出が終わって、帰路につくのは6時頃でしたかしら。
奈良は盆地で寒いのです。暗くなった外は底冷えがして、チラチラと雪が舞っているのです。「おおー、雪だー」と口々に叫びながら、仕事の終わった安堵感に満たされて帰りました。それは、不思議なことに、毎年同じように雪が降るのです。急ぎ足のすぼめた肩に降りかかってくるのです。白い雪が。
奈良から、近鉄線に乗って、生駒山のトンネルを抜けると大阪です。そこは、別世界のように雪は降っていないのです。山ひとつを越えるとこんなに違うのです。

町まちは、しめなわ、お餅などお正月の用品を大声で売っています。さあ、明日からは、私も、買い物、煮しめ、掃除等、残り4日ほどを獅子奮迅の働きで、お正月の用意をしました。

元旦の朝は、夫を上座に、母(姑)子供二人を座らせて、祝いの膳に着きました。
普通の主婦のように。二日目は、ダウンして寝込むことが多かったようです。
懐かしいことですが、愚かしいことでもあります。

  過ぎ去ったことは夢まぼろしのようです。
年の瀬の迫った奈良の都大路を、暗い天空から舞い降りてくる白い雪を肩に浴びながら、美しいと見たわたしは、その幻想的な光景が、この時期になると胸の中を去来するのです。