滴 翠

2007年6月27日 記

 
  Vistaの新しいパソコンを買って、はじめて文章を書いています。
緑の滴るこのみずみずしい季節、窓辺の机に向かってキイを叩いていると、落ち着いた気分になります。パソコンを最初に買ったのは、2000年6月でしたからちょうど7年の月日が流れました。少しも進歩することなく、現状を維持しているだけのことです。でも、こうして文章を作れるのが、とても幸せに思えるのです。

 書道の展覧会活動をしていた頃は、この季節が大忙しでした。
書作品を創るには貴重な時期でした。
湿気を含んだひんやりとした空気を全身に感じながら、精魂こめて、
8時間も9時間も創作に没頭しました。一年に何回も展覧会があるのですが、
何故か、私はこの時期になると、その感覚がよみがえってくるのです。
一日一日、濃くなっていく緑陰に身を置きながら来し方を懐かしんでいます。

 書の創作活動は、20年以上も続きましたが、実家の両親の介護や、
阪神大地震、 そのあと夫と姑の介護と大事なことがつぎつぎあって、
自分のために、贅沢な時間をとることができなくなりました。
近頃は、私自身の「老い」を痛切に感じています。
「年をとる」ということは覚悟の上ですが、それがどういうものかは、
その場にならないとわかりません。
でも、概して70代になると、グーッと体力気力が減退していくようです。

3 尺×6尺
昭和61年8月、雪心展出品作
於、東京上野の森美術館

 こんな私にも、楽しみがいくつかあります。
そのひとつが、梅田の協和発酵の会議室で開催される、
在家仏教講演会に行くことです。
「在家仏教」という月刊誌が昭和27年に発刊されて、55年も続いています。
私もずっと読ませていただいています。
社長の加藤弁三郎さんが力を注がれた賜もので、ありがたいことです。講師は佛教界の名だたる先生方ですから、深い学問と、広い知識と体験をもとに、熟達した講義をされますから、私は知らなかったことを知る喜びで、目が覚める思いです。
6月は、前浄土宗宗務総長の水谷幸正師でした。演題は「作半―暗闇牛と賢人」です。

 作半(さくはん)とは、田の実入りを分ける意味ですが、涅槃経の中のお話をお聴きしました。
昔、一人の男がいました。なかなかお嫁さんをもらうことができず、30歳になり、そうして40歳になりました。山の中の小さな家に住んでいたのですが、ある日、とんとんと戸を叩く人がありました。見ると、絶世の美女がそこに立っていました。男は、たいへん嬉しく思って「どうぞ、お入りください」と招き入れましたが、後ろにもう一人ついて来るのです。それは目も当てられない醜い女でありました。「後ろの人は要りません。帰してください。私はあなただけが欲しいのです。」と言いました。すると、美しい女は「あれは、わたしの妹です。妹とはいつも一緒にいるのです。離れることはできません」と言って帰って行きました。(ちなみに姉の名は功徳、妹の名は黒闇という)

 ものごとは、よい面と、悪い面と半々に持っているという。よい面を喜んでばかりでもいけない。悪いといっても、卑下することはない。これを作半と言うとのことです。
『姉を愛するなら、妹も愛しなさい』と。

お釈迦様は、このような喩え話をよく使われました。
こんなによく分かるお話をもっと早く聴きたかったと思いました。恥ずかしいことですが私は、良いことだけを欲していました。良いことが欲しかったらマイナスも引き受けなければならないのです。その覚悟がいるのです。人生教育とでもいいましょうか、この真理を、若い時から知っていたら、生きていくのがどんなにラクだったろうかと残念に思います。
「我がために、悪(あ)しき人こそ、善き人なり」とも教えていただきました。深い言葉でございます。