さくら雑感

2007年3月30日 記

 
  さくらの季節に合わせて、「さくら夙川」という駅がJRにできました。いい名前です。あかぬけしています。永い間ずっと工事はしていたので、「突如として」いうのは適切ではないかもしれませんが、わたしは、そんな感じがしました。報道の過剰な現代にあって、ひそやかに、ソッと、こんな大きい建造物が動き出すのですから驚きです。好奇心旺盛な私は、すぐ見に行ってきました。きれいな駅でした。よく考えてみるとその周辺の人にとっては、とても便利になることです。JRにとっても、地域にとっても、利益が一致しているので、世間を騒がすことなく、さっと事業が成り立ち、営業が開始されたのですね。
さあー私も便利だから夙川に、何度もさくらを見に行こうっと。

 

満開  2006.4.10 toshi
丹生都比売神社 (にゅうつひめじんじゃ)付近

 

「さまざまのこと思い出すさくらかな 芭蕉」
さくらの時期になると、震災の年を思い出します。春4月さくらが咲いても、それがかえって悲しく、家族を亡くした人にはどんなにつらかったことでしよう。私のように、家を失くしたものでも、さくらを見る気がしなかったものです。すべて夢の中の出来事のようで、うつろな心で過ごしたのをおぼえています。

 

「世の中に絶えてさくらのなかりせば、春の心はのどけからまし 在原業平」
その時期は、日本中がさくらでおおわれるといっても過言ではないと思います。山も谷も町も村も、さくらの花がパアーッと咲くのです。順番に。さくら前線といって気象庁も丁寧に知らせてくれるのです。でも、「さわがしくって、しんどいなー」とどこかで感じることはあります。一雨あるたびに心配します。散りはしないかと。そして、さくら吹雪になるとその盛観をなごり惜しく眺めます。本当にこの上もなく贅沢なことを、日本人は毎年味わっているのです。

 

「清水へ祇園をよぎる桜月夜、今宵あう人みな美しき 与謝野晶子」
さくらを詠んだ歌で、いちばん好きなのはこの歌です。明治、大正の封建社会の中で大胆に胸のすくような歌を詠み上げる、彼女には敬服のいたりです。我が家のお墓は五条坂の大谷廟にありますから、清水、祇園は目の前です。この歌を現場でたどっていきたいと思いながら、まだ実行していません。というのは、京都はライトアップがおおはやりで、そんな作られた「美」をあまり見たいと思いませんので。

つぼみ 2007.3.12 toshi
彦根城天秤櫓

 

 「ねがわくば花の下にて春死なん、その如月の望月のころ 西行法師」
西行は願いどおり、満開のさくらの時期に亡くなられたそうです。2月16日でお釈迦様より、1日遅れて旅立たれたということです。西行は花や月をこよなく愛して、詠まれたミソヒト文字の和歌は、仏教への深い帰依に立脚したものだといいますから、その生涯をこれから学んでいきたいと思っています。
私も「ねがわくば...... 」と西行法師と同じことをいって、そうなりたいものです。