チャレンジ

2006年10月10日 記

膝が痛くなってもう数年になる。
変形性膝関節症という。加齢現象だから仕方のないことと思っていたが、今年のはじめ頃からどんどん悪化して、立ち居振るまいが億劫になってきた。といっても水がたまっているわけでもなく、お医者さんからみればたいしたことはないという。不自由な体と道連れで行かねばならない年齢らしい。だから、整形外科と整骨院のリハビリはかかせない。

5月に上高地に行った。
そのツアーは「24時間上高地」というので充分な時間があったし、ホテルも便利なところにあったから、ほんとうにゆったりした気分で、明神池まで歩くことができた。片道3キロをこなして、スケッチを1、2枚描いて、また河童橋まで戻ってくればOKだ。
前日も雨の中を歩いたから合わせて10キロは歩いただろう。それまでも何回か上高地に来たがいつも大正池と河童橋の間を歩いて、ネイチャーガイドの丁寧な説明を聞いて穂高や焼岳を見ているだけだったから、明神池まで行けたのは大変うれしいことだった。大げさに言えば画期的なことだった。

ずっと以前、私が小学校一年生の頃、両足に湿布をして包帯を巻いていたことがある。
「ハシカの熱が足にきた」と言われてお医者さんに通っていたのだ。
足だけではない、耳やノドなどすぐ痛めるので体には全く自信がなくて、私の行動をいつも後ろに引き戻して抑止しているのは、この虚弱な体だった。

今回の目標は、5月に行った明神池からもうひとつ奥の徳沢小屋までいく事だった。
徳沢は井上靖の小説「氷壁」にでてくるところである。このあたりは奥上高地というらしい。河童橋から片道6キロの道のりである。平坦な山道といっても石ころがいっぱいで歩き馴れない道である。お昼のおにぎりや.甘いものをリュックに詰めお茶は娘が背負ってくれた。持ち時間は5時間しかない。足の遅い私が歩けるだろうか。膝がもっと悪くならないだろうか。気にかかることはいっぱい。でも、「Goー」

暑くもなく、寒くもなく空気はさわやかだった。
期待した紅葉はまだ少しさき、ナナカマドがところどころで赤い実をつけていた。後ろから来る人に追い越されながらも快調に歩いて明神に着いた。
ストックを軽くつきながら歩くのは役に立ったようだ。とくに下るところは支えになってくれる。少し休憩して、お茶と大福もちを口にする。休憩時間もバカにならない、すぐに20分や30分はたってしまう。平坦な道といっても少しはアップになっているのだと思う、息遣いが荒くなってくる。

5月に来たときは道には残雪がありニリンソウなどの花もあったが今はない。秋から冬への準備にじっと静まりかえっている。
徳沢の少し手前で梓川に面して広くなっているところがある。川幅も広く青く澄んだ水が流れていた。向こう岸には明神、前穂、奥穂、西穂の山が重なり合うように聳えていた。そこには数人の人がシャッターを構えていたが、「こんなに良く見えたのは初めてです。」といっていた。
3000mの岩の塊が、白い巻雲がかかった紺碧の天空に地肌もあらわに屹立していた。「これが見たかったのだ!」この誇り高き穂高連峰を目の前にして私は幸せいっぱいの境地だった。この喜びを誰に感謝したらいいのだろうか。

 ついに、目的地徳沢に着いた。が徳沢小屋の前のベンチにすわって、時計を見るとずいぶん予定を過ぎている。急いで帰路に着いたが思うように足は動いてくれない。
娘は明神池に行って梓川の右岸を歩いて帰るというので別行動にした。往復12キロ、いろいろの動きをいれると15キロは歩いただろう。

「よく歩いた」と思う。その達成感と、充実感をこれからの生活の自信にしたいと思ってのことだったけれど、さあーどう活かせるだろうか?