初 夏 の 候

2006年6月4日 記

 気候が不順といっても、やっぱり季節は確実にめぐって、はやくも初夏の候となりました。
緑の木々も濃さを増していっそう広がりを見せています。

 先日、みどりを訪ねて友達と京都をぶらついてきました。いままで一度も行ったことのな い上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)に行きました。
ここは、桓武天皇が京都に遷都された時に、いろいろといきさつのあった早良親王(さわら しんのう)や井上内親王(いがみない しんのう)、他戸親王(おさべ しんのう)など世を恨んで逝った八柱の怨念を鎮魂するために建てられたものでした。
平安の昔は怨霊とか、たたりとか、陰陽師が活躍していたりして、現代のわれわれにはピンとこない社会でしたが、 それだけに心の奥底の問題を大きく考えていたのだと思います。
境内の木々の太さ高さをみても、この社の歴史の古さがが想像できました。八所八座の怨霊神の絵像を見たかったのですが、扉の中らしく見ることはできませんでした。

 つぎに寺町通りを下がって阿弥陀寺に行きました。たまたまその日(6月2日)は信長忌で、 墓所であるこの寺にはたくさんの信長ファンが集まって、今、話題の小説「信長の棺」の 作者である加藤廣先生の講演会などが開催されていました。私たちも、信長、信忠父子や 森蘭丸兄弟のお墓にお参りしました。

 御所の東側、寺町通りをずうっと下がって、御所の巽(東南)に位置する下御霊(しもごりょう)神社につきました。祭神はやはり八柱ですが、桓武天皇の皇子である伊予親王(いよ しんのう)とその母である藤原吉子(ふじわらのきっし)が加わって、上御霊神社の井上内親王 と他戸親王の二人と入れ替わっていました。いずれも、桓武天皇にとっては恐ろしい存在であったわけです。それで、怨霊鎮魂の神として祀られたのです。

 上、下の御霊神社は御所の産土神(うぶすながみ)でありました。しかし、今日の荒れ果てたようすはかなりのもので、とくに、下御霊神社は目も当てられない状態でした。
京のど真ん中にありながら、「これは一体どうして?」と地元の人にお訊ねしたい気持ちに なりました。屋根瓦はずり落ち、社殿にはホコリが積もり、樹木はのび放題、人っこひと りいない境内は廃寺のような感がありました。

 しかし思い当たることがあります。
私の家の氏神様も近頃はお参りする人影も少なく、かなりの寂しさです。こうなったのは、ここ20年ぐらいのことのように思います。今は、 宮司さんが不在で用がある時は隣の神社から来てくださるそうです。前の宮司さんが朝早 く熊手できれいに砂利を掃いておられた姿が目に浮かびます。
「氏神様」は、その土地に生まれた人が一生を終えるまでずっと守護し続けてくださる存在といわれています。京都の神社でも、特別有名な平安神宮や八坂神社にはたくさんの人 が参詣しています。
でも、やっぱり全国的に見て「氏神様」の衰退は顕著のように思えます。これも時代の趨勢というものでしょうか。「うぶすながみ」に親しんで、崇拝して、それに守られて生活してきた日本の社会はもう戻ってこないのでしょうか。

利益重視の、物質主義の社会になりました。トクか損かで物事をきめています。精神的なものはどうしても遠のいていきます。これは歴史の大きな流れの一時期なのでしょうか。
また、かつてみたことのないほどの人心の荒廃によるものでしょうか。
私にはわかりません。でも、両手を広げて「待ってください」と立ちはだかりたい気持ちです。