水無月雑感

2005年6月25日 記

 今年は梅雨といってもあまり雨が降りません。カラ梅雨になるんじゃないかという心配もありますが、私はこの季節がとても好きなのです。それは日が長いからだと思います。
 朝は4時すぎには、もうお日様が上がってきますし、さわやかな朝の空気の中で小鳥がさえずり、みどりの草木は目を覚まして花を開きはじめます。
ずっと以前、私が、まだ一生懸命に書道に励んでいたころ、この時間をどれだけ有効に使ったことでしょう。本当に貴重な「時」でした。
 
 社中展は8月の初めでしたから、ちょうど6月の中頃は合宿や下見会で大わらわになっているのです。創作作品は筆をもって書くよりも、それまでの草稿づくりにエネルギーの大半をつかいます。
紆余曲折しながらやっと白い紙に向かうのです。
我が思いのタケを吐きだすように、心を鎮めて墨を紙に食い込ませていきます。

 それは、今から17年前のことでした。
毎年同じ時期に同じことをしているのですが、その年はちがいました。実家の兄の病状がかなりすすんでいて、とても創作に手を染める気にはならなかったのです。
グズグズしているうちに兄の終焉の日がきました。すべてが終わった後は締め切りの日が目前にせまっていました。
 
 自分の壁面を空けるわけにはいきません。3×8尺か4×9尺かどちらかだったと思いますがその寸法の作品は自分の責任で納めなければなりません。
夜のうちに紙を切って貼り合わせ、墨を機械でたくさん造っておいて用意万端そろえておいて、朝、4時ごろから書き始めるのです。
6月の空気はさわやかでした。私を可愛がってくれた優しい兄のことを思いながら無我夢中でかきました。
そして、そんなことを何日か繰り返してどうにか仕上げた後は、すぐに、臨書の作品にとりかかります、

 臨書は紙も自分で染めますからタマネギやウーロン茶などいろいろ工夫したものです。
やはり、4時頃から2〜3時間をかけて一通り書くのですが、この6月の夜明けころの湿度は書作品を創るのにとても適しているのです。
臨書作品は装丁も自分でしていましたから充分楽しいひと時でした。やわらかい光に中で。

 東京、上野の森美術館で展覧会が開かれた日に電話がありました。
この展覧会のトップの大賞を受賞することができました。「ええっー、どうして!」青天霹靂のことでした。 授賞式では、えらそうに、挨拶させていただくことになりました。
「ああー、若かったなあー
」と思います。その頃がいちばん輝いていたのでしょうか?
 
 いま、私の夫は入院しています。病気になってからもう5年にもなるのですが、半年ほど前からぐっと弱ってしまいました。一日も休むことなく病院に行きますが、医療に対して不満と不信がいっぱいで、爆発しそうなことが再々ありました。それは、私たち家族があまりにも医療の現場を知らなさすぎたのかもしれませんが、その中にいる人はとても許されないことを平気で見過ごしているのです。
 
 人間すべてに不信感を持ちました。
「病気になったらあかん。」 理不尽を甘受しなければならない弱い立場になるのだから。
私が生きてきたこの人間社会はこんなものだったのかと失望と諦めの日々でした。が。
 
 いえいえそうではなかったのです。
誠実な人はいっぱいいます。
弱いものをいたわる人もいっぱいいます。
それを確信することができました。(それは、後日、稿を改めて書きたいと思っています。)

「一生懸命に生きるのよ。」と誰かが教えてくれています。
そんな2005年の6月でした。