ご来迎

2003年10月28日 記

 父の郷里の立山にいってきました。
3年前に初めて行って、その次の年に再び訪れ、今年で3度目になります。
富山には、親戚がたくさんあってイトコはいるし、疎開していたなつかしさもあるので、足を運びやすい所ですが、なんといっても、登山のできない私が高い山を間近で見るのには、立山は絶好の場所だと思うのです。

 今年の秋は台風の襲来で天候に恵まれません。だが、旅の楽しみは何があるか分からない好奇心ではないかとハラを決めて、中3の孫娘と一緒に行くことにしました。彼女は小さい時から何度も私と二人旅をしていので旅慣れています。バトミントンで鍛えた体は170cm以上の背丈があって大学生に見えるのです。私にとっては心丈夫な助っ人です。

 
2004.10.24  大観峰より後立山連峰のご来迎を仰ぐ

 やっと美女平に着いて、高原バスで登って行くのですが、あたりはガスがかかっていて、霧の中、雲の中にいるよう。
終点の室堂で降りてホテルに入り、夕方の1時間散策コースに参加しました。相変わらず、この高さになると(2450m)少し歩いただけで苦しいのです。孫娘だけ行かせて近くのベンチで一人待つことにしました。シーズンが過ぎた室堂平は人影もまばらで静まりかえっていました。しばらくすると、霧が晴れて雄山も、真砂岳も姿を見せてくれました。そして、西の方から、だんだん夕焼けの雰囲気がひろがってきました。雲を赤く染めて刻々と変わっていく雄大な空をながめながら陽が落ちるまで堪能させてもらいました。ふだん、何もしない時間など考えられないことですが、旅に出ればこんな余裕が持てるのですから、やめられませんねえ。
 
  翌朝は、ご来光ツアーに参加することにしました。
 「ご来光」は広辞苑によると、「高山に登っておがむ日の出」となっています。私は、このれを「ご来迎」と書いていますが、この読み方は「ごらいごう」でも「ごらいこう」でもいいらしい。
「阿弥陀如来が衆生を救うため諸菩薩を従えて人間世界へ降りてこられるさま」とのこと。
有名な「山越阿弥陀図」(国宝)というのがあります。13世紀ごろの作品で阿弥陀如来が観音、勢至菩薩を左右に従えて、山越えをされる図です。新聞に載っていたのを切り抜いて持っていて、私はこれをよく見ているのです。

 山からお日様が昇るのを見て、ただ物理的なものとする人は少ないと思います。それを見た時、改めて、天地大自然に畏敬の念をもって、手を合わさずにはおれない気持ちになり、一切衆生に感謝合掌する。人に教えられなくても、みんなその心になれるのは、そこに真理があるからだと思うのです。

 私達は、トロリーバスに乗って大観峰に行き、そこで、後立山連峰に朝日が昇るのを待ちました。身が引きしまるような朝の寒気の中でじっとその時をまちました。やがて、山かげに一粒の光が現れると、あーっという速さでグングン昇り始めました。一年に何回もないといわれる快晴の空の下、山も太陽も神々しいまでの美しさで耀き、黄金の光は天空を覆っていきました。
 大いなるものへの感動と讃歌と共に、いちばん強く思うのは、やっぱり畏敬の心です。
そして、この地球上に棲息しているありがたさなのです。美しい大自然に抱かれて生きている喜びでありました。

2004.10.24   室堂平より、朝日を浴びた奥大日、大日岳

 室堂に帰ってから、立山連峰をスケッチしたいと思ったのですが、逆光で暗いものですから、向かい側の朝日を浴びた奥大日岳を描きました。あまり目立たない山ですが大きな山塊です。帰りは立山カルデラを見に行ったりしてゆっくりした旅をして来ました。

 孫娘の感想は「ああー、遠かった。」でした。