甲子園球場界隈

2003年8月27日 記

 今夜(8月27日)、阪神タイガースが広島に勝って6連勝ということです。タイガースは甲子園球場で、戦うとめっぽう強い。5万数千の観客のパワーというか念力のようなものが影響しているのではないかと思います。
 
 今年は、アテネでのオリンピックで日本勢が目の覚めるような活躍をしていたので、高校野球はちょっと注目から外れていたようですが、大きなことがあったのです。それは、北海道の駒大苫小牧高校が優勝して、初めて、優勝旗が津軽海峡を渡ったことです。時代の流れを感じながらもとてもうれしいことでした。

 

  私は、毎日のように甲子園筋を通るバスに乗っていますから、球場を横目で見ています。
球場の前には、阪神高速と国道43号線の高架があって、その雄姿が見えにくいというか阪神甲子園駅の方からは見えないのです。
駅前で「甲子園球場はどこですか?」と聞いている人を時々見かけますが、目の前にある球場が見えないようになっているのは残念なことです。

  高校野球が開催されているあいだは、その応援団のすごいこと。
観光バスが十数台も連なって来るのです。
バスの駐車場は浜の方にあるのですが、びっしりと隙間もなく大きな車を駐車してあるのです。これには驚きです。
球場から駐車場までの2Kmほどの間、甲子園筋は応援団の行列です。
勝った学校、負けた学校はその表情で察しがつきます。汗と涙で戦っている熱血の選手も応援団も一体となっていると思うのです。

  阪神タイガースの試合の時も、やっぱり甲子園筋は大変な人並みです。
特に、巨人が相手のときなど、ファンの気の入れようは漂ってくる雰囲気でわかります。
阪神ファンは立て縞のユニホームの背中に[KANEMOTO]とか[IMAOKA]とか応援する選手の名前が書いてあるのを着て、それも、小さいお子さんも同じようにしてもらって、とても可愛いのです。
いまどき、家庭崩壊や児童虐待などが問題になる世相の中で、家族が一緒に同じチームを応援しているのは、ほんとうにほほえましいことです。

もう、40年ほど前、私の子供がまだ小さかった頃、甲子園の浜によく泳ぎに行ったものです。
甲子園筋には、チンチン電車が走っていましたし、(今も、その停留所が車道の中央分離帯になって残っています)海辺には大きな松の木がいっぱいあって、白砂青松とまではいかなくても目の前に大阪湾がひろがっていました。
 
 ある時、上の子が「息つぎができない」というので「お父さん、教えてやってください。」とむりやりに、甲子園浜に来たけれど子供は苦心して泳いでいるのに、夫の姿が見えない。どうしたのだろう?とあたりを見回してもわからない。とうとう、はるか沖のほうを一人で悠々と泳いでいるのを見つけました。その、夫も今は病気療養中です。

 世の中は移り変わって諸行無常、あらゆるものが有為転変の流れの中にあります。トレードマークの「つた」が外壁を覆う、古びたこの球場も近い将来、姿を変えることでしょう。
大正13年、「きのえね」の年に誕生した甲子園球場の華々しい越し方を、憧憬と、回想をまじえながら今日も眺めています。