白馬スケッチ紀行

                    2004年5月15日 記

  小さい頃から、絵をかくのが好きだったので、
「もう、そろそろ生命の余白が、、、ウーン」と思える近頃になって、絵筆をもってみることになった。用具は家にあるもので何とかして先ず描いてみることだと思った。

 去年、乗鞍高原にスケッチ旅行に行き、今年は教室で数回の指導は受けたが、なかなかそんなことで描けるものではない。しかし、旅と絵はわたしの希望するところ、
「よーしがんばるぞー」と心の中で叫びながら、白馬に行くことにした。

 ここ数年、北アルプスに足を運んでいるのは、父親が富山県の出身という馴染みのようなものが大きいと思うが、この「白馬」ははじめて行く所だった。
地図で見てもかなり北のほう新潟県に近い。
一般には「はくば」というが、山の名前は「しろうまだけ」が正しいらしい。
もう、数年前のこと、登山家の知人に「どこが一番いいか?」とたずねたら、「白馬をすすめます。」との答えが返ってきた。「一番いい」というのは、私の視点とはかなり違うと思うが、それを十分にふまえての返事だったので、「どうしても」と願望していた所だった。

  2泊3日の連泊だから、まあまあ行けるだろうと気楽に出発した。
松本からバスにのって、最初の写生地の安曇野のわさび園で激しい雨にあった。
拡げた用具をあわててリュックに詰め込んで、バスに戻り雨の中を白馬に向かうことになった。
白馬のMホテルはなかなか瀟洒なホテルで気に入ったけれど、驚いたことには、もうロビーやテラスで絵をかき始めている人がたくさんいることだった。
なんとエネルギッシュなこと。

 私は永い間、書の道を歩いてきた。それは骨肉を削っての厳しい研鑽の道だった。展覧会が迫ってくると、もう寝食を忘れて作品と対峙しなければならなかった。
阪神大震災を契機に展覧会活動から身を引いた。もっとゆっくりしたい。好きな絵も描きたいし、音楽も聴きたい、と。
中国では昔から、書画一体といって書をする人は絵も描くといわれているから、私も書で培ったものが絵を描くときの一助になるかしらと思っていたが、どうしてどうしてそんな甘いものではない。
 
 翌日も、翌々日も快晴だった。
白馬連峰はじめ周りの山々は残雪を輝かせて、「山見たがり」のおばさんを満足させるにふさわしい姿をあらわした。
地図と首っ丈で山の名前を覚えた。北アルプスは何重にも山脈があって、山の向こうにまた山があるといったぐあいで3000m級の山をおぼえるだけでもなかなかむずかしい。
一行はそんなことより描くことに心をうばわれて真剣そのもの。

 先生は「スケッチは手早く描くことです。」とおっしゃる。なるほど、松川の河川敷公園で写生していた時など、夕方が近づくと刻々と山の色が変わってきて川の水まで様子が一変するのだった。とても絵筆は追つかない。
夕食後の講評会に出す作品が無い。皆の前に並べるものは一枚も無い。
仕方がないのでハジをかくことにした。

旅だけなら、温泉にゆっくりということになるだろうがスケッチ旅行にはそれが望めない。何よりも描きたいという人の集まりである。
ハードだなと思うがここでボウを折るわけにはいかないので、遅々とした歩みだが続けていくつもりだ。でも、写生をするようになって、ものをよく見るようになったと思う。山の形、木のすがた、花や葉っぱの色など観察が細やかになって、少し目を開かせてくれたかなと思っている。