屋久島  

                    2004年4月15日 記

 屋久島に行ってきた。
  
 「暑いところはいやだあー」とハナから敬遠していたところだけれど、遠いところは元気な間に攻めておいたほうがいいかしらと思い直して行くことにした。
旅の面白さは「何があるかわからない」という好奇心と、その土地との出会いの喜びではないかと思っている。

 4月のその日は快晴だった。
鹿児島空港についてそのさわやかさに驚いた。新緑のその街はすっきりと落ち着いて、さすが島津藩77万石の城下町だけの貫禄はあった。
そして、「西郷どん」は薩摩の人にとって今も尊敬と誇りの人だということがよくわかった。フェリー乗り場の前には桜島が全容を見せて迎えてくれた。

 船は、鹿児島湾を南下して左に大隈半島、右に開門岳を従えて穏やかな海をすべっていった。
私は、このあたり九州の南の果てに来ると「俊寛」を思わずにはおれない。
平家物語の悲劇の主人公の無念さが痛いほど感じられる。
「有王島くだり」があって、やっと少し救われた気持ちになったものだ。俊寛が流された「鬼界ケ島」はそれらしい所が三か所あるが何処と決められないそうだ。

 途中、種子島に寄港して2時間あまりの船旅で屋久島に着いた。
この島の特長は小さい島なのに九州での高い山の5番目までがこの島に聳えているらしい。洋上のアルプスといわれるゆえんだ。
緑が多くて本土と少しも変わらないと思っていたが、ガジュマルとか、アコウとか、はじめてみる樹にやっぱり違うと感心したものだ。山が高く雨量が多いので、川は急流となって海に落ちるから、屋久島の川にはお魚はいないらしい、棲めないという。

 まわりは、東シナ海と太平洋という豪快な海だから食卓に出たお魚はトビウオの唐揚げとか、サバのおさしみとかで初めて頂いたものだ。サバの燻製を入れたサバうどんというのを賞味したがなかなかのものだった。ポンカンによく似た「タンカン」というみかんも皮が薄く甘くてとてもおいしい。
 
 屋久杉には神が宿ると信じられていて、千古、斧を入れなかったので、自然が温存されていたのだともいわれている。
屋久杉ランドではコケむした木々の中を歩いたが、有名な宮之浦岳などの山は、見ることもできなかった。宮之浦岳への登山は大へんきびしいらしく、相当な健脚の人しか行けないという。

 帰路、鹿児島湾に入ると、またまた桜島が待っていてくれた。好天に恵まれて青い空と青い海の中で、白い噴煙を吹きながら赤みを帯びた山肌を見せていた。単独峰の山は、みんなに見てもらえるので幸せだと思う。登山のできない私のような山好き人間にはとても親切なんだから。空港への道は湾岸に沿って走っていくが、走るにつれて山容を変化させながら、あますことなくその姿を見せてくれた。私は、車窓からずっとそれを見つづけた。