シクラメン  

                    2004年4月8日 記

 私とシクラメンはどういうわけか相性がいい。

 毎年十二月の中頃になると近くの生協で一鉢買い求める。廉価な物だけれども赤い色を選ぶことにしている。赤といってもいろいろあるが、ピンクがかったものや薄い赤は敬遠して真っ赤な色のものに心が動く。
毎年きまって同じことをするのを不思議に思う。

 去年のその時期は何故かぐずぐずしていて、残りはわずかしかなかった。
でも、どうしても、シクラメンのあるお正月でなければ気が済まない。
赤い花のその小さい株はあまり元気そうではないが「仕方がない。買いそびれたのだから。」とにかく、それを求めた。

 シクラメンを育てるのには、適した場所があるのだと思う。
我家の玄関口は上がベランダになっていて、雨はあたらないし、風も防御している。南向きだから適度の光をうけているが、冬の戸外はきびしい寒さだ。でも、シクラメンにはその寒さが合っている。お正月を迎える頃には、かなり、元気な姿になってきた。

 置き場所を変えないことと、水は下の口から注ぐこと(土の表面には水を掛けないこと)これさえ守っておれば手はかからない。
そのシクラメンはどんどん成長して葉っぱや、花の数も増えて立派な鉢植えになった。そして、花の色は燃えるような赤さで、日に日に鮮やかなものになっていった。

先日、それをスケッチして水彩画にしたが赤い色が似て非なるものとなってしまった。
が、気に入らないまま展覧会に出品した。




 三月のお彼岸の頃になって、春の陽光がだいぶきつくなったと感じたら、もう、シクラ メンは蔭に入れてやる。今は、玄関の内側で元気に鎮座している。今日、花の数をかぞえ てみたら、36こ、大きな蕾は12こであった。
あの「仕方がない。」と思って買ったシクラメ ンがみごとに咲き誇っている。

 「モノのいのちを永らえるように」と小さい頃から母親や祖母に教えられてきたが、どう いうわけか私は、鉢植えでも切花でもとても長生きさせている。というより花が私を充分 に楽しませてくれる。限りある命をいとおしんで愛すれば、花もそれにこたえて「今」を精 一杯、咲いてくれる。花も人も一体となってお互いが呼応しているようだ。

 シクラメンはこれから五月の末まで、元気に咲きつづけてくれると思う。毎年そうして 同じことを繰り返しているのだが、考えてみると十二月から五月まで半年もずーっと咲き 続けているこの生命力のすごさに感服のほかはない。