霜月雑感 

2003年11月28日 記

 この秋、私はどうしていたのだろうと思う。
毎日忙しく働いていたのにそれがどうもおかしい。掲示板に二ヶ月も書きこみをしていなかったようで、消されてしまった。「ゲーッ」という感じ。ショック、ショック。

 仕方がない。また、一からやり直しだ。手帳は毎日のスケジュールでびっしり詰まっているし、曲がりなりにもそれをこなしてきたのに、何かおかしい感じがしていた。
やっぱり、「時の流れの速さ」に歩調が合っていないのだと思う。

 その根底になにがあるのか?、「甘え」があるのだと思う。そうそう、この秋の初め頃より妙に体が硬くなったようで、柔軟さが自慢の体がロボットのような動きになってきた。関節に、自転車のアブラでも注したいような気がしていた。今日、病院の整形外科で診てもらったら膝関節症と五十肩(?)といわれた。これで四肢に病名がついた。

 昔、清水寺の大西良慶師が「90才になってみて、初めてわかる事がある。」といっておられたが、70才で初めて分ること、80才になって初めてわかることがあると思う。「なるほど、なるほど」と、うなずいている昨今だ。

 その年、その年の気候のありようによって、木々の紅葉は千差万別に違ってくる。近頃の落ち葉のラッシュに、一葉一葉の姿を楽しんでいる。

 私はそれを拾って本や手帳に挟んでおくクセがある。それというのもみんな可愛くて美しいのだ。家に帰って辞苑を重石にしておくと、忘れた頃に押し葉ができる。それはいつまで経ってもほとんど変わることがない。旅行の案内書をひろげても、思い出の押し葉がでてくる。また、愛読していた本を何年ぶりかでひもとくと、ヒラリと押し葉が落ちる。といった具合に大げさだけれどいつも私は押し葉にかこまれている。

 木々の葉が落ちたあとには、もう新芽がのぞいている。赤ちゃんが待機しているのだ。生成化育、輪廻転生しながら生命は受継がれていくのだから、大自然の法則をしっかり受け止めてオナカに入れておこうと思う。

 

おり立ちて 今朝の寒さを 驚きぬ

露しとしとと 柿の落ち葉ふかく    伊藤左千夫