沈丁花

2003年3月28日 記

 我家の沈丁花が咲き始めた。
  あまずっぱい香りが漂い始めると、「春だあー」と思う。

 震災のあと、家を建て替えて、小さくなった庭に、横浜の娘の家から沈丁花の枝をもらってきて、挿し木にしておいた。
それが今年、やっと沈丁花らしくこんもりと一塊の姿になった。
 この木は、我家から持っていって横浜に挿したものだから、何年振りかでお里帰りしたことになる。 

 金木犀の香りに秋を感じ、沈丁花に春を感じるのは、当たり前の事かもしれないけれど
私にとって、沈丁花の香りは簡単なものではない。
恐ろしい思い出とともに、香りが漂ってくるのだ。

 それは、今から46年も前の事だった。私は初めての妊娠で5月が出産予定日だったが、体調が思わしくなかった。妊娠中毒症で水分や塩分の制限をうけて、食事は殆どノドを通らなかったし、両足は浮腫で日増しに太くなってきた。
 プーンといい匂いがしてきた。沈丁花だ。春の暖かさを連れてやってきた。大好きな匂いだけれどその時の私は、もう、にっちも、さっちもいかない状態で身重の体をもてあましていた。本当に不安のどん底にあった。

 4月に入るとどんどん、病状は悪化して大阪の日赤病院に入院した。もう、その頃は、普通のお小水は出ず、血尿がでるようになっていた。病院での治療の効果もなく、姉が来ていうのには「自分の体が助かったらいいとこよ。赤ん坊はあきらめなさい。」とのこと。
そして、ついに、人工陣痛で出産する事になった、、、、、、、、。
 
 産まれた娘は、大きくて3400gもあった。
主治医の先生は「あなたは、心臓も腎臓も弱いから「もう、出産は無理ですよ。」と言われた。
「どうしてもと言うなら3年以上あけないと体力が回復しませんから。」と念を押された。
 
 それから6年たって、息子を妊娠している時に、また、そこらあたりに沈丁花の香りが漂ってきた。ああー、沈丁花だと気がついた頃には、またまた、足がむくみはじめた。沈丁花イコール浮腫なのだ。同じことの繰り返しかと思ったが、6年の間に妊娠中毒症の良い薬が開発されていたので、助かった。
これは、良い薬があると知って、もうひとり産もうと決心したのだから、話が前後することになる。だから、心配度はかなり違っていた。
 

 それから、幾星霜。    
 娘も、息子も良く育ってくれて、社会の一員として元気に働いている。どうも私の虚弱な体質を受けつがなかったようでうれしい。娘は、2年おきに3人の子供を産んで、超安産型だった。今年の春、孫息子は大学生になる。

 不思議なものですネ。