鶏
頭 (12月雑感)
2002年12月22日 記
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この秋、実生の鶏頭が庭のあちこちに咲きはじめた。去年いただいた三本の鶏頭の種が散って芽を出したらしい。門の近くの植え込みに、元気なのがスクスクと頭角を現してきた。囲いの石とマンホールのわずか3、4cmほどの土の間に出てきた一本だった。
私は、鶏頭があまり好きではなかった。なにかグロテスクに思えるのだ。それに、庭に植える木でないと思っていたから、いくぶん迷惑な感じをしながらそのままにしておいた。
植木鉢から出てきたものなどは、あまり大きくならずこじんまりしていたのに、「その一本」は何としたことか枝分かれをし、横にも縦にも大きく成ってきた。花も葉っぱも特大なのだ。
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アセビや山茶花の緑の中に、場違いながらもピンクがかった真っ赤な鶏頭の花は俄然人目をひいた。それも日増しにアタマをひろげてますます鮮やかな色になっていくのだから家の前を通る人から、「お宅の鶏頭はすごいね」とか、「きれいな赤ね、毎日楽しんでいるのよ。」と声をかけられるようになった。
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もう、そうなると私だけの鶏頭でなくなったようで、ニワトリのトサカを連想して好きでなかった花が美しく見えだした。ビロードのような艶のある柔らかい手触りをときどき楽しみながら、どんな仕組みでこんな形をしているのだろうと、調べてみたくなったりもした。だんだんアタマが重くなって支え棒に支えられながらも、勢いは増すばかりだった。そして、葉も赤いい紫にかわっていった。 |
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つい先日のこと、私はある人から「してあげているというのでなく、相手からたくさん学ばせてもらっている。していただいているのは私の方なのだ。という心で接してください。」と教えていただいた。一生懸命にやっても、それにはいつもそんな気持ちが大きくついて回っていたのだった。それが如実に形に現れたから、注意してくださったのだ。これを節目にして、我が心と対峙したいと思う。
鶏頭は、年末の葉刈りにきた植木屋さんに切ってもらった。今、このパソコンの近くで私を見てくれている。花幅は表面にメジャーを当てたら33cmもあった。花瓶の中でどれだけ生き続けてくるくれるか楽しみだ。植木屋さんの話によれば、実生の木は自分の一番好きなところに芽を出して思う存分開花するのだそうだ。あまり気に入らなかった鶏頭との「縁」の深さを思う。
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