「立山に行ったら、おじいさんが喜びはるよ」といいながら、その日を待ちました。
今では、3時間で富山に着くのですが、昔は随分かかったのでしょうね。大正の初め、お父さんが大阪へ就職する時は、たしか、高岡まで、父親に送ってもらったといっておられましたから、その高岡の駅も感無量で眺めました。私が、疎開していた時の景色がまだ残っていました。イネが黄色い穂をずっしりと垂れていましたし、杉の木に囲まれた大きな農家も所々で見られました。
ローカル線や、ケーブルに乗り美女平につきました。そこからは、高原バスで左右に広がる景色を見ながら登っていきました。
だんだん雲が切れて3000メートル級の山々の姿が見え始めました。このあたりでは、もう、高い木が無いので紅葉したナナカマドや黄色のダケカンバが鮮やかな色で出迎えてくれました。ホテルに荷物を置いて、ナチュラリストと一緒に弥陀ヶ原(1930m)の湿原を歩きました。
木道はよく整備されていて、尾瀬の湿原とよく似ているのですが、北の日本海、西の富山平野とその眺望の広がりはスケールが大きいように思いました。錦秋の秋という言葉がありますが、錦を織りなす見事な色彩は、神仏の賜物としかいいようのないものでした。
夜は夕日の美しさに圧倒されましたし、富山湾の漁り火まで見えました。
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