アメリカンブルー

2002年8月31日 記

  我が家の鉢植えのアメリカンブルーは、今、真っ盛りに咲いている。 今朝、あまり見事なので、花の数をかぞえてみたら73こあった。「わざわざ数えたん? へエ…」と、友達にあきれられたが、うれしいから仕方ない。  

 この鉢植えは、去年、かわいいブルーの花にひかれて買い求めたものだった。しばらくは喜んでいたものの、秋になり冬になると根元からカットして、裏庭に打っちゃっておいた。ある冬の日、鉢植えによく付いている簡単な育て方を目にしてびっくりした。アメリカンブルーは寒さに弱くて冬は暖かい所に置くようにと書かれてあった。  厳しい寒さの中で枯死している鉢を、急いで家の中にいれたところで、どうにもならないことは分っている。しかし、うかつな事をした罪滅ぼしのような気分で、二階の南部屋の窓際に置いて時々水をやっていた。

 

 ずっと以前、私がまだ実家にいた頃のことだけど、チロというシバ犬がいた。賢くて、姿形がとても良かった。
 ある時チロは病気をして何も食べなくなった。もう駄目だろうとみんながそう思っていた時、私は試しに指先にミルクをつけて口に持っていったら、しんどそうなそうな顔をしながらも舐めてくれた。
「しめた!」と、ひと指ひと指、根気良く口に運んだ。何日もそんなことを繰り返すうちに目に見えて元気になっていった。 チロはそれから又、何年も生きた。

 私自身も体が弱くて、20歳の時に病気になり衰弱がひどくて、両親がもう諦めなければならない状態になった。
 母方の祖母は「かわいそうだけれどこの子はもう助からないと思う。20年も育ててきたけれど諦めなさい。」と言ったという。これを聞いて母は、一夜にして髪の毛がまっ白になったらしい。
 ドタン場の私は、「死にたくない。草木になってでも、この世に居たい」と強く願った。

 
 それから半世紀がたった。結婚して47年、病気した事はない。よく働き、よく食べて、動き回っている。手帳はスケジュールで一杯だ。父や母の大きな愛情に守られ、まわりの人のお蔭で起死回生をすることができのだ。 

 暖かい春の陽射しがさし始めた頃、あの鉢の根元に何やらミドリ色のものが見えるのに気がついた。たしかに待ち針の頭ほどの緑の葉っぱらしきものが、点々と5粒ほどあるではないか。
「生きていたのか!…」ダメだとばかり思っていたのに、生命力の手応えを感じたことはたいへんな喜びであった。その後、スクスクと順調に育って、今を盛りと咲き誇るっている。何とすばらしいことだろう。

  日々の生活の中で味わえる大きな喜びの一つだ。